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ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア的文化・思想がオリエント(東方、主として中近東を指す)世界に流入し形成された東西融合文化である。
ヘレニズム形成のきっかけとなったのは、とある偉人の大偉業。
即ち、アレクサンドロス大王の東方遠征である。
※東方遠征とは
ペルシア(イラン)を滅ぼした後、中央アジアからインダス川(インド)西岸までを征服したアレクサンドロス大王の大事業。
〔「イッソスの戦い」ポンペイ出土、床面のモザイク画〕
〔画面左側の馬に跨り、かぶとをつけていない人物がアレクサンドロス大王〕
彼の東方遠征から、彼の部下が建国したプトレマイオス朝エジプトの滅亡までの約300年間をヘレニズム時代と呼ぶ。
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アレクサンドロスは、父の暗殺により20歳でマケドニアの王に即位した。
〔エーゲ海を挟んで西のバルカン半島に位置するマケドニア、東のアナトリア半島に位置するペルシア〕
彼は反乱を鎮圧した後、22歳で東方遠征という大事業に着手する。
ペルシアの王・ダレイオス3世を倒し、彼の帝国を征服した。
エジプトを手中におさめ、ファラオとして振る舞った。
中央アジアを征服し、更に東へ東へと突き進んだ。
そして、遂にインドにまで辿り着いた。
〔ギリシアからインドにまたがるアレクサンドロス帝国〕
次はアラビアだと意気込んでいたアレクサンドロス大王は、熱病にかかって死んだ。
32歳のことである。
彼は22歳から32歳の約10年間でギリシアからインドにかける大帝国を建設したのであった。
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アレクサンドロス大王は征服した各地に、自身の名を冠した植民市アレクサンドリアを建設した。
有名なのはエジプトのアレクサンドリアであろう。
各地に建設されたアレクサンドリアには多数のギリシア人が入植した。
これによりギリシア風の文化・生活様式が西アジアに伝わった。
征服者の文化であるギリシア文化は、意外にも征服された土地の人々から受け入れられた。
人は良いものを良いと判断するが故に、文化に対立は関係ないのだ。
こうして、ギリシア文化とオリエント文化が融合してヘレニズムが形成された。
ヘレニズムはやがてインドに伝わり、果ては中国・日本にも影響を与えた。
ギリシア文化が世界を席巻したのだ。
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アレクサンドロス大王の東方遠征から始まったヘレニズム時代。
ギリシア文化が世界各地で認められ、受け入れられた時代。
ギリシア人が世界各地のアレクサンドリアで活躍した時代。
ヘレニズム(Hellenism)時代とは、まさしくギリシア人がヒーロー(Hero)だった時代である。
(終わり)
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