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期待値的な認識の大切さについて。【因果律を磨く】

  • 自分が望む結果を得るために、中長期的な目線で、「因果律を磨く」という行為が大切だと考えています。

  • 今回はその前編として、物事を期待値「的」に認識することの大切さについて言語化していきます。

こんにちは。
先日の投稿で、note上で「知性の曼荼羅」を構築していきたいことをお伝えしました。

簡単に言うと、「色々な思考をより深めていくために、noteに書くことで日々の思考を言語化・リスト化し、複数の思考の連鎖反応を誘発させやすい状態を作る」ということです。

上の投稿はまだ先週なので、具体的にはこれからの取り組んでいくんですが、勢いでコミットしてしまったせいでしょうか、頭の中で色々な思考が「早く言語化してくれー!!」と声をあげ始めました。noteに投稿予定の項目をメモってるんですが、もう既にパンパン。嬉しい悲鳴です。

さて今回は、私が、自分が望む結果を獲得するために意識している「因果律を磨く」という行為についてご紹介したいと思います。
ただ、どうも長くなりそうなので、今回は前編として、その前提となる物事を期待値「的」に認識することの大切さをご説明したいと思います。
(※)期待値「的」と「的」を付している理由は末尾でご説明しています

そもそも「期待値」とは。
「ある試行を行ったときにその結果として得られる数値の平均値」です。

言葉だと分かりづらいですよね。
実際に期待値を求めるには、「ある値」と「その値が出る確率」を掛け算し、その値をすべて合計します。

では、「サイコロの目」の期待値は。

「目」の値(①)とそれが出る確率(②)を掛けたものが一番下の行で、その行の数字を全部足すと、1/6+2/6+・・・+6/6 = 21/6 = 3.5

となります。

つまり、サイコロの目の期待値(平均値)は、3.5となります。

だから何?それが私たちとなんの関係が?と思われるかもしれませんが、実は私たち、生活の中でも無意識的にこの期待値的な捉え方をしているんですよね。

例えば、多くの人が、車に乗りますよね
ただ、車って、たまに事故が起こります。事故が起きると、怪我をしたり、最悪死んでしまったりするかもしれません。

でも、だから車には乗らない!という人はあまりいません。
それは、我々が無意識的に、車に乗ることの「期待値」を計算し、それが「正」つまり「プラス」の値となりそうだ、という結果となることから、車に乗っているんですね。

車に乗ることの期待値が「正」なので、私たちは車に乗る。

こういった考え方は、社会において色々なところで実際に使われています。

例えばコロナ禍で何かと話題のワクチン。これも、ワクチンの副作用反応が出る方を完全にゼロにすることは出来ません。

ただ、治験等を繰り返すことによりその副作用が出る「確率」を可能な限り下げ、社会全体で見たときに、ワクチンを打つメリットがデメリットを上回る、つまり、社会におけるワクチン効果の期待値が正になったことで、そのワクチンにゴーサインが出る、というのが大きな考え方です。

さて、この期待値「的」考え方から示される示唆は大きく2点あります。

まず1点目。

物事をする、しないの選択をするにあたっては、その「効果」だけではなく、その「確率」に思いをはせることが大事だ、ということです。

特に私は、これは「過度にリスクサイドの判断をなくす」という文脈でとても大事になって来ると思います。

例えば、飛行機が怖くて乗れない人。
飛行機が墜落せず目的地まで行けるというメリット(+の効果×確率)と飛行機が墜落して死んでしまうというデメリット(-の効果×確率)を合計すると、確実にその値は正になります。つまり、客観的なファクトとして飛行機に乗ることの期待値は正なのに、恐怖心から飛行機に乗ることの便益を捨ててしまうことになります。

また、恐怖心を煽ることで何かを売りつけようする手法(過度に高額な保険とかですね)などに対しても有効です。「それは確かに恐怖だけど、その恐怖が発生する確率って、どの程度のものだろう」と考えると、そうそう起きるものではない、と気づけることが往々にしてあります。

次に2点目。
それは、「プラスの効果が発生する確率を高めれば、期待値は上がる」ということです。言い換えると、何かの物事をうまくいかせたいのであれば、そのプラスの効果がもたらされる確率をあげる努力をすれば良い、ということです。

こちら、私が冒頭で述べた「因果律を磨き上げる」ことの重要な一要素となってきます。

それでは長くなってしまいましたので、後編「因果律を意識し、働きかける」に続きます。近日中に言語化しますので、ご期待ください。

【注】
「期待値」は、平均という概念を軸としているため、確率論的に厳密な議論をすると、それぞれの事象が起こる確率に極端な差がある場合にはなじみにくい概念とされています。ですので、上の交通事故の場合も、「事故が起きる確率」は極端に低いため、厳密には「期待値」の考え方にはなじまないところがあります。
ここでは、物事の「効果」だけなく、その「確率」に思いをはせることが大事だ、ということを示す分かりやすいモデルとして「期待値」の考え方を使っており、それが、冒頭から期待値「的」と「的」を付けている理由となっています。


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