これだけでOK。「つぶし」が効く社会認識「VUCA」
「社会をどのように認識すべきか」。色々な切り口や考え方があるこの命題に対して、「これだけ押さえておけば間違いない」という、「つぶし」が効く社会認識をお示しします。
こんにちは。
今日は、「現在の社会をどのように認識すべきか」ということについて言語化していきたいと思います。
というのも、私、他にも色々と言語化したい話題をストックしているんですが、今日ご説明する社会認識があらゆる物事の根幹にあり過ぎて、この話題を説明せずに他の話題を説明することがなかなか難しい状況になっていました。
なので、今回の投稿は、今後の色々な思考の言語化(「知性の曼荼羅」構築)に向けたハブ的なものとして捉えていただければと思います。
さて、ここからが本題です。
「現代社会の認識の仕方」というテーマについては、当然色々な切り口があると思いますし、正解は一つではありません。
今回言語化する社会認識は、そういった多数ある認識の中でも非常に根っこのところ、もっと言うと抽象度が高いものとなっています。
そしてその「抽象度が高い」ことのメリットとして、色々なことに敷衍して(演繹して)考えることが出来ます。
簡単に言うと、「この認識さえ持っておけばまず間違いない」「色々なことがこの認識の下解釈することが出来る」
更に言うと「つぶしがきく社会認識だ」ということです。
では、その社会認識とは何か。
これはタイトルにもある、「VUCA(ブーカ)」という考え方です。
上のイメージをご覧ください。
「VUCA」とは元々、冷戦終結後の従来の戦略が通用しない国際情勢を表現するためでアメリカで使われ始めた軍事用語でしたが、昨今、現在社会の状況を端的に表す言葉として、社会的に、又はビジネス文脈で多用されることとなってきています。
ここでは、「VがVolatilityで変動性、Uが・・・・」等々、この言葉自体を詳細に覚える必要はありません。
ここで認識すべきは一つ。
「現在社会では「予測」という行為が通用しなくなっているのだ」ということです。
テクノロジーの高度発展に伴い社会システムが高度化・複雑化し、かつその変化のスピードも極限にまで高まってきている。
そのような社会では、我々を取り巻く環境は「VUCA」であり、未来の予測困難性が非常に高まっているのです。
以前の投稿で、「因果関係」について言語化しましたが、この文脈を使って言い換えると、現在の社会では、因果関係の網の目が人類の情報処理可能なレベルを超える形で張り巡らされ、駆動することとなってきた、と理解することも出来ます。
そして、「予測」が出来ない社会では、原理的に、「計画」も立てることが出来ません。正確には、計画を立ててもその通りに進むことなど基本的にないので、計画を立てるという行為が無意味なのです。
非常にシビアな世界観、社会認識ですよね。
ただ私が伝えたいのは、「この世界はVUCAだから、無計画に、無鉄砲に、無思慮に行動することとしよう」といったことでは当然ありません。
「この世界は予測ができない」「計画が無意味だ」という厳然たる事実をしっかりと認識したうえで、そのような条件下で我々がハッピーになっていくためには何をどうすべきかということを考える必要がある、ということです。
特に皆さんが、新しい何かを企画したりSNSで情報を発信したり(なんでも良いんですが)、社会や外界に対してなんらかの働きかけを行う場合、その対象としての「社会や外界」はVUCAであり、予測が困難なものなのだ、ということをまず認識し、その前提を踏まえた上で取り組みを進めていくことが重要です。
そしてこれは、認識論の話なので特効薬はないと思います。
まずは、「そういうものだ」と正確に認識する、その行為自体がとても大切です。
以上、「つぶし」がきく社会認識「VUCA」の話でした。
なお、特効薬はないものの、そういうVUCAの社会だからこそ大切となってくる考え方や思考的アプローチなどもあります。
近日、そういったフレームワークなどをご紹介していければと考えています。どうぞご期待ください。
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