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【SS小説】毒薬と花冠

■あらすじ■
 父に命じられるまま婚約者の王子に毒を盛った公爵家の娘マディーハは、壊れた王子と離宮に籠り、花冠を作り、お茶を飲む穏やかな日々を送っていた。
 そうして一年が過ぎようとしていたある日。午睡から目覚めたマディーハは、冤罪で処刑されたはずの王子の側近たちに囲まれていた。

 

「マディーハ、君の美しい黄金の髪に花冠を飾ろう」
「ありがとうございます。ミシュアル様」

 春を迎えた離宮の庭園には花々が咲き乱れている。背が高く精悍な青年の瞳は理性の光を失って、幼い少年のように明るく微笑む。

 白髪に紫色の瞳。剣で鍛えた体は鍛錬を辞めてしまった今でも衰えていない。その武骨な手が作り上げた拙い花冠がとても嬉しい。

 半年前、私は同い年の婚約者、第一王子ミシュアルに心を狂わせる毒を盛った。

 この国の王は王宮内に後宮を持ち、複数の妃を迎える。王妃は私だけと約束していてくれていても信じることが出来なかった私は、公爵である父の命令を実行した。

 父は勇猛な獅子と人々に畏怖されるミシュアルではなく、温厚な第二王子を王にすると計画していた。

 愛する王子に毒を盛ることに、迷いが無かったわけではない。毒で命を失うことはなく、ただ心が狂うだけと聞いて、日々の公務に勤しむ王子を独り占めにしたいという欲望に逆らえなかった。

 王子は二日の間、毒で苦しみ続けた。黄金色の髪は白髪になって、回復後には二十歳とは思えない幼子のような言動をとるようになり、王は第二王子を後継者にすると宣言し心労で病に倒れた。

 花冠を頭に飾ったまま、手を繋いで部屋へと入る。離宮には従僕に化けた監視人がいて、部屋の中でも常時王子の動向を見張っている。

「ミシュアル様、花茶はいかがですか?」
「僕が淹れてもいいかな」
 王子が花茶を自分で淹れたいと言い出したのは、この離宮へ来た直後のこと。これまでは、婚約者である私の仕事でもあった。テーブルの銀の盆には、乾燥させた花や実が入った銀の壺が並んでいる。

「春になったといっても、今日は寒いからね。体が温まる花を選ぼう。えーっと、これと……これと……これは綺麗な色だね」
 子供のようにはしゃぐ王子が様々な乾燥花を摘まんでガラスのポットへと入れていく。お湯を注ぎ、ポットの中で美しく開花する様子を二人で眺めて楽しむ。

 完全に花開いた頃が飲み頃。王子が慣れない手つきでカップへと花茶を注ぐ。華やかな芳香を振りまく花茶の一口目を口にして、王子が首を傾げた。
「ん? ……今日の花選びは失敗だったかな?」
 お茶の作法を正式に習ったことのない王子が自由に淹れる花茶は、時々変わった味がする。今日の美しい青色のお茶は、酸味が強い。

「大丈夫です。きっと体が温まるでしょう」
 二人で笑いながら花茶を飲み干すと、王子が欠伸を始めてしまった。完璧な王子だった頃には見たこともなかった可愛らしい仕草が愛おしい。

「なんだか眠いなぁ」
「昼寝を致しましょうか」
 大きなカウチで二人、一枚の掛け布の中で寄り添って温もりを分け合うだけ。この時ばかりは監視人たちも遠慮をして部屋から出て行く。

「おやすみなさい」
 そっと額に口づければ、王子が微笑みながら眠りに落ちる。王子の未来を奪ってしまった罪悪感と、王子を手に入れた満足感に満たされながら、私も微睡む。

 花が咲き乱れる離宮の中、二人で花を摘み、本を読み、夜も子供のように眠るだけ。夢としか思えない穏やかな毎日が、飽きることなく繰り返された。

      ◆

 夏が過ぎ、秋が来て収穫の季節が終わった日。午睡から目覚めると王子は既に起きていて、見知った男たちがその周囲に集まっていた。

 男たちは王子の元側近。父は王子の毒殺未遂の罪を、側近たちになすりつけた。処刑されたはずの側近たちが何故ここにいるのかわからない。

「どうしてという顔をしていらっしゃいますね」
 側近の一人が状況を理解できない私を嘲笑う。

 王子は狂ったふりをしていただけで、側近を逃がしていた。私と飲む花茶の中に眠り薬を入れ、私が眠っている間に、今後の計画を話し合っていた。

 第一王子廃嫡の計画を立てた第二王子と父の公爵を油断させる為、お前は利用されていたのだと側近たちが私を嗤う中、王子は憐れみの色を瞳に乗せて口を引き結んでいた。

「十日前に王が殺され、明日第二王子が戴冠式を行います。我々は国民を味方につけました。我々は公爵家による王位簒奪を絶対に許さない」
 この一年近く、逃げた側近たちは罪の証拠を集め、糾弾する準備をしていた。静かに国民にも私の父や第二王子たちの悪事を知らせて世論を作り上げていた。

 第二王子が二十歳になるまでは王は生かされると予想していたのに、早く王妃になりたいと願った私の妹のせいで王が殺されていた。

「マディーハ、君が隠れる場所を用意する。計画が終わるまでしばらく隠れて……」
 知性の光を取り戻した紫の瞳が、憐憫の色を帯びている。王子の言葉を側近の一人が遮った。

「お待ちください、ミシュアル様。この者も断罪しなければ、民に示しがつきません」
 私が王子に毒を盛った罪は、広く知られてしまっていた。自業自得とはいえ、その恐ろしさに体が震える。

「貴族の娘が父親の命令に逆らうことは難しいと、皆知っているだろう?」
「ですが国民は、その罪を知ってしまっています」 

 王子の懸命な擁護は側近たちには通じなかった。王子との最初で最後の一夜を過ごし、翌日私は後ろ手に縄で縛られ、罪人用の馬車へと乗せられた。

 王宮前の石畳の広場には、父母や兄、第二王子の婚約者だった妹。そして第二王子やその側近が処刑されて無残に吊るされていた。中央の処刑台を取り囲む民衆は皆、恐ろしい興奮状態にあり「殺せ」「吊るせ」と口々に叫んでいる。

 木で作られた処刑台は、黒く血で汚れていた。何故か王子が共に台へと登る。
「すまない」
「いいえ。謝るのはわたくしの方です。申し訳ありませんでした。短い間でしたが、貴方と過ごした時間は嬉しくて、とても素晴らしい時間でした」
 囁く言葉に私の精一杯の気持ちを込めて返し、もう二度と見る事ができない王子に向かって微笑む。犯した罪が重すぎて涙は流せない。……私は泣く資格もない。

「この者は、私に毒を盛って殺そうとした! よって、私はこの者に毒を飲ませる!」
 堂々と響き渡る王子の大音声は、興奮状態で騒いでいた人々を一瞬で黙らせた。人々を従わせて導く王の資質を見た喜びに心が震える。

 ミシュアルは王になる運命を持った方だった。独り占めをしたいという私の願いは間違っていた。

 側近が大きな瓶を王子に手渡した。私は別の側近に背中から支えられ、動けない状態で立たされた。王子の片手が私の顎を押さえて口を開かせ、瓶から液体が注がれる。

 赤い血のような毒が喉を焼く。飲んだことのない量の液体にむせても、情け容赦なく注がれた。飲みきれなかった毒が生成色の絹のドレスを汚し、赤く染めていく。

 私の全身から力が抜けると王子の手が私の首を掴み、周囲に誇示するように持ち上げた。体に力もなく、すでに痛みも苦しみも感じない。

「我が復讐は完遂された! 我らの手に正義と勝利を!」
 王子の宣言と民衆が勝利に沸く声を聞きながら、私は意識を失った。

      ◆

 後宮の庭園に降り注ぐ穏やかな日の光の中、私は花冠を編む。

 毒を飲まされた後、半日の仮死状態から息を吹き返した私の髪は、豊かな黄金の波と言われた色を失い、闇の色へと変わっていた。
 一度死んだ私は、シファーという新しい名前と同盟国の公爵の娘という肩書を与えられ、王になったミシュアルの妃になった。

 シファーとは癒し。……薬という意味も持つ。ミシュアルは、自らへ毒薬を贈った私に何故この名前を付けたのか。

「シファー様! 裸足でどこへ行かれるのですか!」
「わたくしの王様の所よ。後宮へのお渡りを知らせる鈴が鳴ったもの」
 間違いなく、先触れの鈴の音が聞こえた。
「私どもには聞こえておりません! せめて靴を……! シファー様!」
 侍女たちが止めるのも聞かずに、私は子供のように裸足のまま走り出す。広い後宮を走り回ると、誰も侍女は着いてこれない。

 私の部屋に向かう廊下でミシュアルに出会った。その髪色は黄金を取り戻している。
「また侍女どもを困らせているな!」
 笑うミシュアルが広げた腕に迷わず飛び込む。そのまま、ミシュアルは私を優しく支えてくるりと回る。その腕は力強く、私を軽々と持ち上げてしまう。

「だって、誰も鈴の音が聞こえないというのですもの」
 あんなにはっきりと聞こえるのに。

「王様、貴方の美しい黄金の髪に花冠を飾りましょう」
「ありがとう。……愛しているよ」
「私も、愛しています」

 そうして私は、すべてを忘れた狂人のふりをして、彼に微笑む。
 家族を殺されても彼の隣にいたいと願う私は、本当の狂人なのかもしれない。
 彼を愛している。ただ、それだけ。

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