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#12. 闘病 【虹の彼方に】

8月13日 通院の日だった。

しかし何日か前から妻のお腹は妊婦さんのようにみるみる大きくなってしまい、下半身はパンパンに浮腫んで、1分と同じ体勢をキープできないほど身の置き所がないしんどさに襲われていた。

結局自宅には戻れず、その日は急遽緊急入院となってしまった。

お腹の張りは腹水が溜まっているとのことで、針を通して水を抜くことを試した。

しかし結果的にうまくいかず、利尿剤を使って水分をとにかく体外へ出すように促した。

おかげで少しお腹は楽になったようだったが、それでも体調は優れない状態が続いていた。


8月15日 CTなどの各種検査をして、各種数値や検査結果が、規定をクリアできているかをチェックする為の検査をした。

ストーマ(人口肛門)の具合が落ち着いたタイミングで、主治医の先生が外科から内科へと移り、内科の主治医の先生が女性だということもあって、妻もとても話しやすくて信頼できそうな先生だとよろこんでいた。


8月16日 各種検査の結果が出た頃、主治医の先生と今後の治療方針についての面談があった。

食事を摂れるようになることで今後の治療に耐え得る体力をつけるため、ストーマ造設手術と胃と小腸のバイパス手術をしてから落ち着くまで、この1ヶ月は「腫瘍」に対して未だ何の治療もアプローチもできていない。

ボクが心の中で抱いていた漠然とした不安・・・

この1ヶ月間「腫瘍」はおとなしくしてくれていたのだろうか?

ずっと気になっていた。

妻の急激な体調不良・・・

妊婦さんのようなお腹の張り・・・

そして検査の結果・・・

この1ヶ月の間に転移した肝臓の腫瘍が、4.5cmから8.5cmへと大きくなってしまっていた。

妻の身体の中に巣食っていた腫瘍の増殖スピードは驚異的で、一般的な腫瘍の約3〜4倍の速さで成長してしまっていた。

これはどちらかといえばレアケースの部類に入るそうだ。

ここまで大きくなってしまった肝臓の腫瘍は静脈や多臓器を圧迫し、結果として妻のお腹は妊婦さんのように大きく張ってしまっていたのだった。

あれだけしんどそうだったのだが、面談の時の妻はとても明るく振舞っていた。

でもそれはきっと無理をして、平静を演じていたのだと思う。

各種検査項目の数値も、ギリギリのボーダーラインを彷徨っている状態だった。

「抗がん剤治療」に踏み切るかどうかの判断は、かなり厳しい瀬戸際の状況あった。

そのような検査結果と現状を報告してくださった先生は、続けてこう仰った。

「まず・・・このケースだと、もし10人の医者がいたとしたら7人は『抗がん剤治療』ではなく、『緩和ケア』への移行を勧めるくらいのレベルだという認識を持っていてほしいです。私もカンファレンスでたくさん話し合って検討を重ねてきました。」と前置きをされた。

ボクは先生に質問した。

「・・・『緩和ケア』というのは、具体的にどういう治療になりますか?」

「そうですね・・・わかりやすく言えば、腫瘍に対する攻撃的な治療ではなく、患者さまの身体の痛みをできる限り緩和することに特化することで、ご家族さまとの残された時間を少しでも穏やかに過ごせるように協力させていただくという事になります。」

「それって・・・」

「愛子さんの場合、本当にギリギリの瀬戸際の状態です。抗がん剤治療をするとなると、かなり踏み込んで攻める事になりますので、そのぶん身体への負担やリスクは高くなると思われます。」

「それは身体の負担やリスクは高くなるけど、逆にうまく効く可能性もまだあるってことですか?」

ボクと先生のこんなやりとりを聞いていた妻は、先生に対して、いつもの笑顔でこう言い放った。


「ねぇ先生、先生がもし私をこのまま治療してくださったらね、私は先生を大きく出世させてあげることが出来ると思うの。だって専門のお医者さんが10人中7人も諦めるくらいの腫瘍なんでしょ?だったら私は絶対に『生還』するんだから、先生は私の事を論文にでもなんでも書いて、新しい症例でもなんでも世界に見せつけて証明やればいいのよ。先生が私を救ってくれたら、私は先生を出世させてあげる。これこそwin-winじゃない?」


先生も看護師さんもボクも、彼女のカッコ良すぎる言葉に思わず呆然となった。

そして先生は・・・

「今まで数多くの患者さんに接してきたけど、患者さんからこんな風に言われたのはさすがに初めてです。そして愛子さんのようにこんなにエネルギーに満ち溢れた患者さんも初めて!わかりました!何の根拠があるわけではないけれど・・・愛子さんならなんだかイケそうな気がする!一緒に命懸けで頑張りましょう!我々も最善を尽くさせていただきます!」と言ってくださった。

闘病していく上で体力ももちろん重要なんだけど、一番大切なのは患者自身の「治したいという強い心」と「元気で明るいメンタル」で、その両方を彼女は兼ね備えていた。

そして彼女のそれは病院の先生の心すらも大きく動かした。

「愛子さんからとにかく『生きよう』とする圧倒的なパワーを強く感じました。」

先生も笑顔でこう仰ってくれた。



この面談の後日、じつはセカンドオピニオンの段取りもしていた。

今の病院ももちろん信頼はしているのだが、もし今後『緩和ケア』に移行すると判断された場合、それでも治療を施してくれる病院を探す目的もあった。

妻の知り合いから大学病院の権威ある先生を紹介していただいていて、そちらに意見を聞きに行けるように段取りさせてもらっていた。


8月20日 ようやく「抗がん剤治療」の1クール目がスタートした。

特に大きな問題もなく、比較的安定していたように思う。

最初だからか副作用もあまりなく、身体も比較的元気だった。

ただ、元気さとは裏腹に、彼女の身体はどんどん痩せていった。

数日で落ち着いたらまた退院して、次の2クール目まで自宅療養となった。

 彼女は仕事や会社のことも、入院中からかなり気にかけていて、彼女が動けないぶん、彼女の指示の元、各種役所関係の手続きやら家庭と彼女の会社関係の経理業務をボクがカバーして奔走していた。

タワーマンションにある彼女のサロンも、とりあえず何人かの方にレンタルサロンとして時間貸しなどをしていたが、やはり家賃とのバランスを考えた上で、解約することをボクは勧めていた。

しかし彼女は涙を流して猛烈に反発した。

「私にとってサロンは・・・『今』を生きる支えなの。お願いだからそれだけは奪わないで・・・サロンがあるからこそ『必ず生還するぞ!』っていうモチベーションを保てているの。例え一時的だったとしても、お店や会社を閉めちゃうってなったら、私はきっとすぐにでもお星様になっちゃうよ・・・そうなりそうで怖いの・・・だからお願い・・・どうか私からモチベーションを奪わないで・・・」

いろいろ万が一のことを見越して、彼女の会社関係のことを含めて行動に移そうと考えたりしていたが、涙を流しながら訴える「これが今の彼女の『生還』へのモチベーション」なのだと思ったら、彼女からそれらを奪うような行動や発言は、この時のボクにはどうしてもできなかった。

生きることへのモチベーションを保つのがどれだけ重要か、それを間近で見てきたからだ。

彼女のその熱い想いには並々ならぬ彼女の過去の苦労や、これまで歯を食いしばって背負ってきたものの上に成り立っていて、サロンにはそのすべてが詰まっているのだと感じた。

「あいぽんの気持ちはスゴくよくわかったよ。じゃあさ、サロンを移転してみるっていう考えならどうかな?どちらにしても今のタワマンのままだとどうしても家賃が圧迫するし、復帰したとしても、仕事をしていく上で体力的な面とか考えると、もう少し手狭なところの方がいろいろサービスも行き届きやすくなるんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?」

詳細は割愛するが、じつは同時にその他いくつかの問題も生じていたこともあり、まずは移転を前提にタワーマンションを解約する方向でボクは彼女を説得した。

最初は渋っていたが、説得の甲斐あってマンションの解約に関しては納得してくれた。


 ストーマの取替えなども、少しずつ慣れてきたとはいえ、彼女はいつもこう言っていた。

「私やっぱりこの子(ストーマ)のこと好きになられへんわ・・・スタイルも結構良かったのにさ、お腹も変な形になっちゃってさ・・・」

それなりに自信もあっただろうし努力もしていたので、余計に傷付いていたのだと思う。

それを聞くたびにボクの心もチクチクと痛んだ。

代わってあげられるものなら、代わってあげたいと本気で思っていた。

ストーマになると腹部に便が入る袋が常時あるので、破損してしまう恐れもあることから、うつ伏せに寝転ぶことができない。

そこでいろいろネットで調べていると、オストメイト(ストーマ保有者のこと)用のマットレスのようなものが販売されていた。

マットレスに丸い穴が空いていて、そこにストーマの袋が入るようにすれば、うつ伏せになることは可能だった。

さっそくそれを購入した。

試してみると思っていたより便利で快適だったようで、

「私ね、思いついたの!いろいろ調べてるとね、ストーマ付けてる人って世の中には意外と多いのね。このマットレス使ったら、オストメイト(ストーマ保有者のこと)の人も安心してマッサージ受けてもらえると思えへん?私もオストメイトだし、気持ちもわかるからさ、新しいお客さんの裾野がめっちゃ広がるんちゃうかな?」

「おおー、それ良い考えやん!」

「ジョニーさん、お願いがあるの。今すぐ働くのは無理なのはわかるけど、今のタワマン解約するんやったら、新しい物件一緒に見にいくの連れてってくれへん?すぐ決めておきたいの。今使ってくれてるレンタルさん(時間貸しでサロンを使用してくれている人達)が困らないようにもしておきたいし、契約できたらすぐにレンタルさんに入ってもらうようにするからさ。諸々の引越しとか実務的な事はジョニーさんにお願いしたいの。」

「んー、気持ちはわかるけど、体力的にもうちょっと落ち着いてからの方が良くない?」

「ダメなの、今すぐ決めておきたいの。サロンがあるっていうことが、生還する私のモチベーションになるから!お願い!」

「オッケー、わかったよ。」

さっそく彼女の友達の不動産屋さんにお願いして、こちらが提示した条件に見合った物件をいくつかピックアップしていただいた。



8月28日 妻は「抗がん剤治療」2クール目に向けての検査入院、ボクはセカンドオピニオンをお願いしている大学病院に予約を入れている日だった。

午前中に妻を病院へ送り入院の手続きをした後、午後からのセカンドオピニオンに向けてボクは大学病院へと電車で向かった。

予約していた時間になり、ご紹介いただいた権威ある先生と話をさせてもらった。

結果を端的にいうと・・・

妻の一番最初の緊急入院が無ければ、きっと9月を迎える事はできなかっただろうということ。

それくらいかなり逼迫した状態に今もあるということ。

腫瘍の成長速度が異常に早すぎる特異なタイプであること。

今の病院は約束通りかなり踏み込んだ治療をしてくれていて、抗がん剤治療に余程の自信が無いとここまでの治療はできないだろうということ。

おそらくこれ以上の治療をしてくれる病院は、他にはなかなか無いということ。

そして今の状態だと、いつ何が起きてもおかしくない状態に変わりはないということ。

最終的に「まずこの秋を越せるかどうかが勝負の分かれ目ではないか・・・」というような事を言われてしまった。

そして家族としては、目標を短く持つこと。

まずはこの秋を越せるかどうか、秋を越せたら次は年を越すことができるかどうか、年を越せたら春を越せるように・・・そして気がついたらいつの間にか1年越せてたねっ・・・という風な気持ちで挑む心のあり方を勧められた。

ボクはもっと「他にもこういう治療方法もあります」といった内容の期待を抱いていたのでかなり動揺した。

(彼女にどういう風に伝えよう・・・秋を越せるかどうかって・・・そんな・・・)

ボクはあまりにもショックが大きすぎて、帰りの電車を乗り間違えてしまうほどだった。

夕方、病院に戻った。

「どうだった?」

彼女はセカンドオピニオンの結果を心待ちにしていたようだった。

ボクはショックを隠しきることができず、テンションが低い状態でありのままを彼女に伝えた。

「ふぅん・・・」

しばらくの沈黙の後、彼女が口を開いた。

「ジョニーさん・・・あのね、ジョニーさんはこのまま家に帰るんでしょ?そんな暗い顔で暗い話されて、この後私がどんな気持ちで病院の夜を迎えたらいいかわかる?ただでさえ毎日不安に押し潰されそうで淋しいのに!ジョニーさんにまでそんな顔されたら・・・私はどうすればいいの?・・・こんな状況絶対にイヤ!」

彼女はボクの落ち込んだ態度にとても激昂していた。

「・・・ゴメンな。」

ボクはそれしか言えなかった。

「違うねん!私の中の『腫瘍』はかなり足が速くて手強いんやろ?何が起こるか分かれへんのやろ?でも今はスゴく踏み込んだ治療してもらえてるんやろ?だから病院を変える必要もないんやろ?報告はそれでええやん!暗い顔してマイナスなこと言わないで!辛気臭い顔されたら邪気が集まってくるねん!」

「・・・うん、ゴメン。」

「はい!やり直し!もう一回病室に入ってくるところからやり直して!そして明るい顔で明るい声でちゃんと報告して!ほら!早く出て!」

「えっ?・・・マジで?・・・う、うん。」

ボクは一度病室を出た。

彼女の言う通りだと思った。

一番苦しんで闘っているのは彼女なのだ。

ボクが暗い顔しているわけにはいかない。

そう言い聞かせ、もう一度病室に入った。

「あいぽん、ただいま!セカンドオピニオン行ってきたよー!」

「あら、おかえりー!どうやった?」

「なんかなー、なかなかあいぽんの腫瘍は手強いらしくてさ、正直いつ何が起きてもおかしくない状態やねんて。でもな、今ここの病院の治療はどこの病院よりも踏み込んだ治療をしてくれてるんやって!だからこのまま信じて一緒に突き進もう!あいぽんならきっと大丈夫!」

ボクはできるだけ明るく伝え直した。

「よかった!ありがとう!・・・はい、よくできましたー。」

彼女は笑顔でボクに寄り添ってきた。

「・・・ね?明るく言った方が同じ内容でも気分が全然違うでしょ?」

本人が一番辛いはずなのに・・・

ボクは自分がとても情けなくなって、彼女の言葉にその場で涙を流してしまった。

そんなボクの肩に顔を乗せて、

「・・・キツい言い方してゴメンね・・・ジョニーさんはスゴく助けてくれてるのに・・・大好きよ・・・ありがとう。」

「うん、こっちこそありがとう・・・一緒に乗り越えような・・・」

それからボクは病院を出て、涙を流しながら帰った。

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