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#最終話. 虹の彼方に 【虹の彼方に】

 妻の告別式の日、彼女の親友でありジャズヴォーカリストの吉田真理子さんからLINEで1本の動画が送られてきた。

話は少し遡ることになる・・・

妻の病気が発覚するずっと前、真理子さんがヴォーカルレッスンの教室を開いてすぐ、2019年の夏頃に彼女は彼女の親友のひろぽんと一緒に生徒として入門した。

その話はボクも聞いていて、妻がレッスンに行った日は、よく家で歌の練習していた。

 きっかけはレッスンを始めたばかりの真理子さんの教室を少しでも盛り上げるつもりで入門したようだが、通っているうちにいつの間にか彼女自身が歌を唄う楽しさにすっかりハマっていった。

ある時、ヴォーカルレッスンに通う生徒さん達の発表会を、生演奏のライブ形式でやろうという企画が持ち上がった。

曲はすべて洋楽で、発表会での彼女の課題曲の一つは『Over the Rainbow』(虹の彼方に)だった。

「オズの魔法使い」のテーマ曲で、これまでたくさんのアーティストがカヴァーしているので、誰でも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか?

発表会の日時は2020年7月18日に決定した。

夏休みの宿題を初日に終わらせるタイプだった彼女は、発表会が決定したその時からとても気合が入っていて、時間があれば歌詞を覚えたり歌の練習をしていた。

英語の歌詞がなかなか覚えにくくて、うまく感情移入できないからと言って、ネットで簡単に調べるわけでもなく、わざわざ自分で和訳をしてから歌詞の内容を理解し、英語の歌詞を覚え直すといった熱の入れようだった。

よく彼女と一緒にお風呂に入ったときに、狭い湯船に2人で入りながらボクが正解の歌詞を書かれた紙を持っていて、彼女が唄うんだけど途中で間違えたり詰まったりすると、笑いながらヒントを出したりして・・・まだ元気だったあの頃の事を思い出すと本当に充実していて楽しかった。

しかしそんな彼女の意気込みとは裏腹に、発表会の日が近付くにつれて彼女の体調はどんどんと悪くなっていった。

それでも彼女はどんなことがあっても、発表会には参加すると言って聞かなかった。

ボクはそんな彼女が心配でならなかった。

7月13日、一番最初に救急搬送されて緊急入院した時も、投薬で少し落ち着いたら「私、18日は行けるやんな?」と真っ先に発表会の心配をしていた。

7月20日にストーマ造設および胃と小腸のバイパス手術が決定してしまったので、病院に「18日だけはどうにか仮退院させてもらえないか?」と懇願していたのだが、彼女の容態の深刻さがそれを許してはくれなかった。

そこで彼女はどうにか病院を抜け出そうと計画を企てた。

「自分のパートの時間だけでもなんとか抜け出されへんかな?」

「行き帰りの時間を計算して、ジョニーさんに車を飛ばしてもらって、ほんの2時間、いや1時間半だけでも、うまいこと外に出られへんかな?」

しかし点滴のチューブが常に刺さった状態だったし、新型コロナウイルスの影響もあって病院のセキュリティも厳しかったため、その目論みも幻となってしまった。


7月18日 発表会の日。

彼女は自分だけが参加できない悔しさを噛み締めて涙を流していた。

ボクは隣でそんな彼女を慰めていた。

夕方、彼女と一緒にレッスンを受けていた親友のひろぽんから、発表会の動画が送られてきた。

生演奏をバックに歌を唄うひろぽんをみて彼女は「わー、ひろぽんめっちゃいいやん!私も次こそ絶対に参加したい!っていうか絶対参加する!」と言っては、何度も繰り返し動画を観ていた。

彼女は動画を送ってくれたひろぽんに対して「めっちゃうれしい!」と目に涙を滲ませてよろこんでいた。

ここから手術をすることによって、絶飲絶食と薬の副作用による不眠が続き、彼女にとって地獄の闘病生活が始まった。

彼女はひろぽんが送ってくれたこの発表会の動画を自身の励みの一つにし、何度も何度も繰り返し観ては、自分も次こそは発表会に出るんだと夜を一つずつ越えて苦痛に耐えた。


 8月15日 数日前に体調が悪化して再び緊急入院となり、今後の治療方針を「抗がん剤治療」と「緩和ケア」のどちらにするのかを決定するための検査入院中だった。

彼女の不安な気持ちを察した真理子さんが、彼女を励ますつもりで発表会の彼女の課題曲だった『Over the Rainbow』のピアノの弾き語りをした動画を彼女に送った。

曲の最後に「愛ちゃ〜ん!」と彼女に手を振ってエールを送る真理子さんが映っていた。

ちょうどその当時は一般病棟の大部屋が満室だったので、しばらく個室に入っていた時期だった。

ボクも全然知らなかったのだが、彼女は複数持っていたスマホを駆使して、真理子さんが励ましのために送ってきてくれた『Over the Rainbow』に合わせて自分も一緒に唄い、それを動画に撮っていた。

それを真理子さんへのアンサーとして送っていた動画が、告別式の日にボクに送ってきてくれたものだった。

曲の終わりに、「マリリンとデュエットでした〜、ありがとう、お姉ちゃん。」と笑顔でコメントしていた。

ああ、少し遅れちゃったけど、彼女なりの発表会への参加だったのかな・・・

一人っ子だっただけに、真理子さんのことをホントの姉妹のように慕っていたんだな・・・

その動画をみて、ボクは思わず泣いてしまった。

(※ちなみに今回ピックアップさせていただいたお二人には事前に名前とエピソードの使用許可をもらっています。)

 こうやって真理子さんやひろぽんのように、彼女と心の通った繋がりがある人達が他にもたくさんいる。

結果的に家族葬という形で親族だけで葬儀は済ませてしまったけれど、彼女は会社も経営していたし交友関係もかなり広かったので、やっぱりこのままにしておくというのも申し訳ないという気持ちがボクの心の奥にぼんやりとあった。

彼女の訃報を知らせてから、彼女の友人や知人をはじめ、たくさんの関係者から問い合わせもいただいていた。

ボクは告別式の日に真理子さんがボクに送ってくれた動画をきっかけに、彼女と心を通わせてくださった人達が、彼女とちゃんと「お別れ」ができる場を設けようと心に決めた。

新型コロナウイルスの感染拡大が猛威を奮いはじめたタイミングでもあったので、いくつかの懸念材料は感じていたが、とにかく前向きに検討した。

まず開催するなら、湿っぽい雰囲気よりは彼女らしく明るく楽しく「お別れ」ができるようにしたいと思った。

これまでのボクの人生で、通夜や葬式には行ったことがあるけれど、「お別れ会」のようなものには出席したことなどなかったが、たぶん一般的には湿っぽい雰囲気なのだろうなというイメージを抱いていた。

だけど形式にこだわるのは彼女らしくないと思ったし、ありがちで取って付けたような、そして事務的な雰囲気の会はどうしても避けたかった。

そこでまず「お別れ会」をどこでするのかを考えたとき、ボク達が結婚式を挙げさせていただいた会場が最初に思い浮かんだ。

約一年前にボク達が結婚式を挙げ、たくさんの人に祝福していただいた素敵な思い出の場所で、心の通った皆さんと「お別れ」ができたのなら、それはなんだかとても彼女らしい気もするし、きっと彼女もよろこんでくれる形になるのではないだろうか?

たった一年の花嫁となってしまったことは、とても悲しいのだけれど・・・

会場を決めるにあたって、普段レストランウェディングをメインに営業されている場所で、故人の「お別れ会」をするのはお店的に縁起が悪いのではないか?

そんな懸念は拭きれなかったが、ダメ元で問い合わせをしてみた。

元々彼女の知合いということもあって、彼女の訃報を聞いてから、会場側もじつはボクが思い描いたような会が出来ないか、ボクに提案しようと考えてくれていたことを聞いて驚いた。

ボクはその懐の深さにとても感謝した。

会場が決まったので、その後彼女と近しかった友人の協力を経て「お別れ会」の準備を少しずつ進めていった。

調整でかなり右往左往したが、最終的に「お別れ会」は11月26日に決まった。

内容としては、「お別れ会」を開催しようとボクが決心したきっかけを作ってくれた彼女の親友の真理子さんに『Over the Rainbow』をメインに数曲ピアノで弾き語っていただくことにした。

そして彼女が長年通っていたフラダンスのハラウの人達にも参加をお願いをして、彼女が大好きだったフラを踊っていただくことも快諾していただいた。

参列者の方々には歌やフラダンスの中を、彼女の遺影に花を捧げる形で、「お別れ」していただけるように考えていた。

諸々の整理の為に、公私共に日々バタバタしていたが、「お別れ会」に向けて手分けして複数の人達に協力していただいた。

もうすぐ「お別れ会」の本番が近付いてくるという頃になって、政府が新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けて、緊急事態宣言の計画を発表した。

大阪ではボク達が企画していた「お別れ会」の二日後に緊急事態宣言を発令するという。

ボクは「お別れ会」の開催を中止しようかと、キャンセル可能な期限のギリギリまでとても悩んだ。

もしクラスターでも出してしまうと、会場も含めあらゆる人に迷惑をかけてしまう。

だけどもしこのタイミングを逃したら、きっと次はいつ開催できるかわからないし、そのままうやむやになって「お別れ会」自体が立ち消えてしまいそうな気がしていた。

「もし彼女ならどうしただろう?」

そう考えるともう答えは既に決まっていた。

決行だ!

彼女なら絶対に開催の決断をしたと断言できる。

ボクは開催することを決断した。

もちろん会場側と共に、参加される方への感染防止対策を含め、様々な配慮はひと通り考えた。

ある程度予想はしていたが、参加予定だった方のキャンセルの知らせが相次いだ。

キャンセルの理由の大半は、やはり新型コロナウイルスだった。

当初ボクが把握していた大まかな参加人数の、半分以上のキャンセルが確認できた。

しかしキャンセルの選択をされた方だって何も悪くない。

むしろそれはそれで苦渋の選択をしていただいた上での、賢明な判断だと思う。

キャンセルしていただいた方には、後日自宅に手を合わせに来てお線香をあげていただいてもいいし、自宅に来にくければ、一心寺さんにお参りに行ってあげてくださいと案内をさせてもらった。

それでも開催をこのまま決行するにあたって賛否両論あった。

その中には厳しい意見を頂戴することもあった。

しかしこの「お別れ会」は社葬でもなんでもなく、彼女ときちんと「お別れ」ができなかった方達へのボク個人からの気持ちなのだ。

彼女と心を通わせてくださった皆さまへ、配偶者であるボクからできる精一杯の「誠意」での開催であって、決して参加を強制するものではない。

ましてや感染防止対策の準備もしていたし、ギリギリとはいえ緊急事態宣言に突入する前の開催となるので、何の責任も及ばないところにいる偽善的な人達から厳しく言われる筋合いなどないと腹を括った。

キャンセルの連絡はさらに相次ぎ、このままでは会場代やその他かかった経費は赤字になる予測もしていたので、ボクは参加者が例え0人であったとしても、費用を全額自己負担してでも開催する覚悟を決めていた。

11月26日 「お別れ会」当日。

結果的に当初の予想を遥かに上回る多くの人達が、彼女と「お別れ」をするために駆けつけてくださった。

彼女と近しかった友人達には受付や誘導等でうまく臨機応変に立ち回っていただき、真理子さんのピアノの弾き語りでは思い入れのあるナンバーでしっとりと感動し、フラダンスのハラウの人達はプロジェクターに映し出された彼女がフラを踊っている動画に、寸分の狂いもなく完璧に合わせて踊ってくださった。

本当に素敵な「お別れ会」になったと思ったし、ボクは彼女の存在をその時そこに感じていた。

事実、結婚式のとき同様にワンキチも会に参加していたのだが、途中でワンキチは何度か涙を目に浮かべていたり、フラダンスを踊っていただいているときはしきりに天井を見上げ、鼻をクンクンとさせていた。

やっぱり開催を決行して良かったと心から思った。

明るくて楽しくて、そしてちょっぴりせつなく悲しい「お別れ会」は、参加していただいたすべての人達のおかげで大成功だったと思っている。


そして彼女もきっと安心して、「虹の彼方に」旅立って行けたんじゃないかなと思った。



 彼女が空に旅立ち、四十九日が過ぎてすぐにボクは陽当たりの良いところに引越しをした。

リニューアルするサロンの新物件を内見に行った時の「陽当たりの良いところに引越そう!」という言葉がずっと心に残っていたから。

彼女と一緒に暮らした部屋の整理、彼女の会社関係の整理、彼女のサロンだったマンションの退去、いろいろ並行してやっていたので大変だったけど、引越しをすることで逆に整理もかなり捗った。

その後、ワンキチやちくわと共に、彼女に対して恥ずかしくない生活をしようという強い決意で、自分自身の気持ちを律しながら、どうにかどん底の「絶望感」からは少しずつ立ち上がれたかのように思えた。

時には悲しみに暮れる日もあったけど、できる限り前向きに、彼女のような太陽の明るさを目指して生きてゆくつもりだった。

ボクが以前所属していた会社は、彼女が亡くなってすぐに退職した。

そして彼女の闘病以前からお声掛けいただいて内定をもらっていた会社に、随分と待っていただいたにも関わらず、年が明けてから無事に就職することもできた。


 そして彼女がいなくなった生活を続けて約半年が経つ頃・・・

ある程度の整理や片付けも目処が立ってきて、新しい仕事も順調だったので生活もようやく安定しだしたのだが、それに反比例するかのように少しずつボクの心が不安定になりはじめた。

生活が安定すればするほど、突如襲ってくる強烈な喪失感や虚無感で急に涙が出てきてしまったり、どうにもやりきれなくって無気力になってしまったり、自暴自棄になって感情の起伏が激しくなってしまうようになってきた。

感情のコントロールが少しずつ出来なくなってきて、元々晩酌はあまりしないタイプだったのに、お酒を大量に呑まないと眠れない日が続いた。

身体を鍛える為にやっていた食事制限も度が過ぎてしまい、偏食ばかりでまともな食事も摂らなくなって、心はどんどん急降下していった。

彼女を絶対に救うと約束したのに救えなかったという強い罪悪感に苛まれ・・・

自分だけがおめおめと生き残ってしまって申し訳ないという思いが強く溢れてくる毎日・・・

ボクの心はゆっくりと闇に侵蝕され、いつ自身に刃を向けてもおかしくない状態にまで陥っていた。

無理矢理にでも罪を背負おうとする事で、彼女を守ることが出来なかったことへの赦しを請おうとしていたのかも知れない。

ちょうど新型コロナウイルスの第2波第3波の影響もあって、誰とも深く会わず、誰とも深く話さず、誰とも距離を置かれるような生活が重なって、いつ何時も襲いくる苛烈で強大に膨れ上がった喪失感と虚無感に心は圧迫され、ボクはどんどん孤立してゆき、完全に方向性を見失っていた。

元々彼女と繋がりがあって、彼女と一緒になってからはボク達夫婦共々仲良くさせていただいていたと思っていた人達の中には、考えてみれば当たり前の事なのだが、それは彼女個人と繋がっていた関係なのであって、ボクと繋がっていたわけではなかったのだなと改めて気付かされる機会もいくつか重なり合ってしまい、孤立感を抱えたボクの心はさらに闇に侵蝕され続け、加速していった。

そんな心が荒んだ状態をいつまでも独りで抱えきれるわけもなく、いよいよメンタルが決壊するところまできてしまった。

ああ、オレは遂に鬱になってしまったのかな?

自分自身でそう感じていた。

そんな時・・・


「そんな事では愛ちゃんが悲しむよ!」

「空から愛ちゃんがずっと見てるよ!」


少しずつゆるやかに、でも確実に醜く荒んでゆくボクの心の闇と、どんどん堕ちてゆく生活を知った周囲は親切心からそんな言葉を投げかけてくれるのだが、その時のボクの心の中には、もうそのような言葉を聞き入れるスペースなどどこにもなかった。


そんなことわかってる!

わかってるけどよ!

そう言うんだったら連れてきてくれよ!

もし見てるんだったら姿を見せてくれよ!

もし側にいるんだったらもう一度触れさせてくれよ!


誰かにかけられる「その言葉」が逆に自身へのプレッシャーとなって反発し、さらに苛つきを抑えられなくなっていった。

そんな心のギリギリの深淵を彷徨っていたボクだったが、本気でボクの様子を心配してくださった方が、コロナ禍にも関わらず荒んでしまったボクの心の内をゆっくりと話せる機会をわざわざ作ってくださった。

ボクは心の奥に潜んでいた気持ちをようやく少し吐き出せる事ができたおかげで、自分の現在地に気付くことができた。

あれ?

オレ何やってるんだろう?

彼女に対して恥ずかしくない生活をしようと、毎日感謝しながら健康的で充実した明るい生活を目指していたはずだったのに・・・

それがいつの間にか気が付けばメンタル崩壊して、アル中になる寸前まで堕ちてしまって、鬱になったと嘆いている・・・

現在地を知ることで、やっと我に返ることができた。

このままではダメだ!

ボクは自分自身を再起動すべく、彼女から教わったたくさんの大切なこと、彼女が与えてくれたたくさんの愛、そしてこれまで抱えていたボクの気持ちを文字に起こしてみることにした。

とにかくどんな形であれ、気持ちの「アウトプット」をすることで何かが変わるような気がした。

彼女という、ボクにとってはかけがえのない素敵な存在がいた証を・・・

ボクのような「クズ人間」を底辺から掬いあげてくれた彼女の愛の深さと大きさを・・・

そんな最愛の妻との楽しかった濃密な日々を・・・

そして、苦しかった闘病と悲しい別れを・・・

書き綴っていくうちに、大切なものをもう一度思い返すことで、心のバランスがまた保てそうな気がした。

だからボクは魂を込めて全力で書き綴った。

その魂を込めて書き綴ったものが、もし誰かの心に刺さってくれたり、誰かの人生が好転するのに役立ってくれたとしたのなら、ボクも彼女もこれほどうれしいことはない。

もしあなたの身近に、ボクと同じような境遇にある人がいたり、大切なものを失って深く悲しんでいる人がいたり、心が大きく傷ついている人がいたとしたのなら、どうか慰めの言葉を投げかけるより、まずは話をゆっくりと聞いてあげてほしい。

もし話を聞くのが重くてしんどかったら、紹介していただけるのならボクが代わりに聞いたっていい。

一方的な価値観で上から慰められるより、心の内を優しくゆっくりと聞いてもらえることの方が何倍も心が救われる事を、ボクは身をもって学ぶことができたから。


今これを読んでくれているすべての人へ・・・

そしてどこか「虹の彼方」で見守ってくれている最愛の妻へ・・・

どうかこの想いが届きますように・・・

やがてボクもいつか「虹の彼方」へ旅立つその時まで、精一杯生きてゆけますように・・・


最後に・・・

様々な整理をしていく上で、彼女の手掛かりを探るために彼女の手帳を開いてみた・・・

そこにはボクへの愛情に溢れた言葉の数々と労いの言葉がたくさん書き連なっていて、ボクはそれを読んでまたたくさん涙を流した。

それは大切にボクの心の中に閉まっておこう。

そして彼女が大きな苦境や不安に立たされていたであろう時に書かれていた言葉のいくつかを、ここに置いていこうと思う。


「『今日だけ笑っていよう』を続けたら、毎日笑顔でいられる」

「とにかく笑おう」

「いつも笑顔で」

「辛い時も苦しい時も、毎日死ぬ事を考えていた時だって、笑顔で乗り越えてきたんだから、これから先なんだってできる、だから大丈夫」

「人間はいつだってやり直しができるんだよ」

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最後の最後まで彼女にまた「笑顔」の大切さを教えてもらえた。

そっか、人間はいつでもやり直すことができるんだったね。

もう大丈夫だよ。

あいぽん、ホントにありがとう。



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