読書感想:キャッチャー・イン・ザ・ライ
J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読みました。村上春樹訳です。
これは、人を選びますね。
僕は嫌いではなかったです。特に冒頭の寮の部分は面白かったですから。ただ、もう一度読もうとは思わないと思います。
主人公は、モラトリアム期間真っ最中のひとりの少年。彼は(多くの人が同じ経験をしたと思うが)自分は他の人たちとは違う、特別な存在であるのだと思っています。
彼の前には「いつも」変わった人たちが現れるのです。彼は周りを否定し、また全世界を否定しながら3日間、一人で考え続けるのです。
そんな彼ですが、唯一心を開ける存在がいます。それが妹です。後半はいつも、彼女のことを思い出す描写が出てきます。彼にとって彼女は、この世界で唯一心を開ける相手なのでしょう。なんせ彼女は「僕の言いたいことを、言い終わる前に全部分かっちゃう、そんな子なんだ」なのですから。彼女とはちゃんと会話ができるんです。
さて、彼は結局のところ、何も成し遂げず、何も変わることなく、(この本の中は)終わってしまいます。成長したのかしてないのかも分かりません。どこにも行けず、終わってしまいます。
彼は何を求めているんでしょうね。
逆に、こう思いもしました。彼が何を求めているのかが理解できなくなってしまったら、それは僕たちは既に子どもの心を失ってしまったということかも知れない、と。
それはよく言えば、自分のことが分かった、自分を受け入れることができた、ということで、悪く言えば、自分という型にはまってしまった、と言えるかも知れません。ともかく、大人は非効率なことと、危ない橋を渡ることが大嫌いですから。
この話のひとつひとつに多分、それほど意味はありません。最後にホールデンが言ってること、これが全てのことを表している気がします。
「僕にとりあえずわかっているのは、ここで話したすべての人のことが今では懐かしく思い出されるってことぐらいだね。」
恐らく彼が、「変わっているのは周りではなく自分である、そして自分は特別な存在でも何でもない」、と気づいた瞬間に今よりも少し大人になるんでしょうね。
そして多分、僕たちも心のどこかにホールデンを少しだけ持っていて、それを自分自身で押さえつけているんだと思います。「そんなこと考えるのはやめろ」って。
それが正解なのか、そうじゃないのかは分からないですが、少なくとも「今の」僕たちにはそれを考えているほど時間がないということです。
それが「大人」ということなんですかね。少し寂しい気もしますが。
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