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共同体の基礎理論 前編


内山節さんの共同体の基礎理論を読みました。今までずっと読もう読もう、と思っていたのですが、とてもいい本ですね!

地域や農村を学びたい人にとっては、そもそもそういった社会(共同体)は何なのか、ということを知ることは非常に学びになります。

今回は、第1章〜3章までを要約しました。もし興味があれば、読んでみてください。


◇◇◇

共同体とは:

家族や村落など、血縁や地縁に基づいて自然的に発生した閉鎖的な社会関係、または社会集団。協同体のこと。



第1章 :時代による、共同体に対する認識の変化

「共同体」この言葉が意味することは、時代によって変わっていった。

つい半世紀まで、日本では共同体社会は、遅れた社会様式であると見なされていた。欧米などでは既に共同体社会は「乗り越えられて」いて、日本未だ共同体社会が中心だったので、より発展するためには、共同体社会を脱し、個人を基礎とする市民社会になる必要があると。

しかし、高度経済成長期を経て、その資本主義の市民社会を実現した現在、目指していたはずの資本主義社会の問題点が大きく見えてくるようになった。例えば、孤立、不安、行き詰まり、関係の喪失、大量消費、地につかない暮らし、、近代社会がまだ目標である間は、近代化はそのプラスの面ばかりが目に入る。ところがそれが現実になってくると、「私たちが目指した社会はこんな社会だったのか」疑問の声が上がるようになる。

そうした中で、再び共同体にスポットが当たった。そして、以前は否定的な意味で捉えられることが多かったそれは、「関係性、結びつき、助け合い、質を重視、自然に基づいた暮らし」など、ポジティブな意味を持って捉えられるようになった。



第2章 : 日本人の自然観と共同体は密接な関係がある

・共同体といっても様々。縄文時代には縄文の、江戸時代には江戸の、明治には明治の、共同体の形があり、また農村、山村、漁村など場所・属性によっても異なってくる。

・日本では、共同体と自然の関係は切っても切り離せない関係。

・「自然」は、もともとはジネンと呼ばれるのが一般的で、オノズカラという意味で使われていた言葉だった。外から入ってきた外来語の自然を、「自然」と訳したのは、日本人の自然に対する意識が現れている。


・真理が一つではなく、複数あると見なす精神のあり方を、多層的精神という。例えば日本人は、自然を、自分達に恵みをくれるものであると共に、洪水や土砂崩れなど、災難(渦)を引き起こすものであると、その両面を捉えていた。

つまり、変化の激しい日本の自然は、日本的な自然観・人間関係を生み出し、ここから自然と人間の共同体として、共同体が生み出されることになった。


どちらが正しいかではなく、どちらも正しいという見方をすること、それが多層的精神。


第3章 :共同体のかたち


共同体は多層的である

農村における共同体は、1集落、あるいは1村で一つの共同体と見なせるが、人々はその一つの共同体のみに所属しているわけではない。

例えば、ある集落があるとする。その集落単位で見ると人々は強い関わり合いを持っているし、共同体と見なせる。しかし、日々の生活においては集落単位ではしていない・できないこともある。例えばお祭りなどは、周りの他の集落とも合同でやるかも知れないし、水路や山の管理など、幅広い面に関わる行事は、複数の集落で実施する。その範囲は、例えば小学校区の単位かも知らないし、もっと狭い(広い)かも知れない。それを第2の共同体とする。

さらに広い範囲で見ると、その町・村自体は、第3.第4の共同体として見なせるし、人々もそこに所属しているという認識がある。


つまり、人々は一つだけではなく、いくつもの共同体に所属していて、大きな共同体の中には小さな共同体が含まれているという、多層的な形になっているのだ。

ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体なのだ。これを「多層的共同体」という。


共同化しているグループと、そうでないグループ

グループは、共同体化しているもの、していないものの二つの形に分けられる。

共同体化していないグループとは、ある目的を持って集まっているもの。そこでは目的を達成することが、その共同体が存在するところの意味となっている。


共同体化しているグループとは、目的のため存在しているというより、その関係性自体に意味があるグループ。

もちろんそのグループにも達成すべき目的もあるが、その共同体が継続すること自体が目的となっていることも多い。つまり、特定の目的や意味を持たず、そこに存在していること自体に意味があると見なせる共同体だ。

都市で作られるグループは前者が多く、農村で見られるグループは後者のようになる傾向がある。

前者のグループでは、メンバーはお互いの詳しいことを知らないし、知ろうともしない。(ネガティヴな意味で書いているわけではないが)

それは、目的を達成することに焦点が置かれ、それ以外での関わり合いを求めているわけではないからだ。

しかし農村で作られたグループは、共同体化してしまうことが多い。それは、お互いのこと、例えば職業、性格、家族構成、収入など、大体わかってしまうし、またそういったコミュニティでのグループは、そのグループに入っていないひとにとっても大きな存在となり、目的遂行以外の力がはたらくのだ。


では何が、農村のこのような共同体を生んだのだろうか。それは、江戸時代或いは中世以来のことを考える必要がある。

影響を与えた要因の中に、以下の2つが含まれる。

・自治の精神

・家業の精神


元々日本では、共同体単位の力が強かった。もちろん支配者もきて、武士がいたのだが、一つ一つの共同体の自治力は高く、そのため幕府含め、支配者は天下統一に手こずった。百姓たちは表向きは支配者に従いながらも、様々な方法を駆使して自分達の世界を守ろうとしていた。


家業の精神は、家のことを将来的にも考えるという精神を生んだ。つまり、自分の人生だけではなく、子ども、その先の孫のことまで考え、自分の家業が周りの人の信用を得れて、家が続いていくように考えるようになった。例えば、他の村人と徹底的に争えば禍根が残り、子孫が影響を受けるかも知れない。時には我慢しても、一歩下がることを選択することもあった。


◇◇◇

今回はここまでとします。共同体の成り立ちから考えると深いですね。良い悪いは別にして、日本人の生活様式・自然観が、現代の文化の根底となっている気がします。


次回は、4章以降を整理していこうと思います。良かったらそちらもお読み下さい↓

https://note.com/wildlife_yoko/n/n91641073e180








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