この時代に藤井風のgraceが必要な理由
今では誰もが口にする「癒し」という言葉は、90年代に入ってから様々なメディアに出現してきたような気がする。それまでの日本は「癒し」なんて言ってられないほど忙しくてイケイケだったからだ。
バブル期の若者は「平成貴族」と呼ばれ空前の好景気を謳歌。その恩恵を直接的に享受できなかったとしても、未来は明るいと信じられるパワーが時代を支配していた。が、それは当然ように泡沫の夢と消える。
そんな時にリリースされたのが、「心配ないからね」と励ますような歌詞で始まる「愛は勝つ」だ。
シンプルな4つ打ちのリズム、優しくポジティブな歌詞、元気がでる明るいメロディと力強いKANの歌声。
絶えず重なるコーラスは曲全体を包み込み、みんなで一緒に歌っているような安心感を醸し出す。希望に向かって上へ上へと上がっていく転調。そして、このキラーワード。
「信じることさ。必ず最後に愛は勝つ!」
そりゃ売れますわ。
実際、この曲はオリコンで8週連続1位を記録し、200万枚以上を売上げ、日本レコード大賞・日本歌謡大賞をW受賞。
後を追うように、大事マンブラザーズの「それが大事」、ZARDの「負けないで」などの”応援歌”が大ヒットした。
今になって思えばこの時はまだマシだった。なぜなら人々には何かに打ち勝とうとするエネルギーが残っていたから。だが、現在20代以下の人が生まれた頃にはすでにその火も消えかけ、温い優しさを商品化した”癒しブーム”に救いを求めていた。
令和には令和の応援歌を
あれから30余年、世界は不況、疫病、戦争、自然災害と不幸の四重奏に見舞われている。
特に日本は賃金は上がらず物価だけが上昇。非正規雇用者割合4割以上、平均年収以下世帯6割以上、若年自死率先進7カ国中トップ。。。もはや「弱者」はマイノリティではないのかもしれない。
しかし、不況などの外的要因よりもさらに深刻なことがある。特に若年層において自分自身さえ肯定できず苦しむ人たちが多いと言うことだ。外側よしも内側の問題がどんよりと燻っている。
例えば、謙遜を美徳とする国民性もあるだろうが、諸外国に比べ自己肯定感が突出して低い。
各国の若者を対象とした調査で「自分自身に満足しているか?」との問いに、「そう思う」と答えた日本人は半数にも及ばないのだ。
もっと言えば、「自分には長所がある」と答えた日本人はわずか62.2%。他調査対象国の平均は85%を超えている。
ネット上には自分を愛せない人たちの書き込みで溢れている。日々のストレスで自己嫌悪に陥ったり、自分には価値がないと凹んでしまう。消えてしまいたいとまで沈んでしまう人もいる。それはどれほどの苦しみだろう?
自分自身を肯定できなければ、例え外的要因が解消しようとも幸せを感じることも、誰かを幸せにすることも難しいだろう。
自尊心はそれくらい大切だ。誰もが一番に守るべきものであり、他者のそれも決して傷つけてはならない。
ややもすると「自分大好き」=「ナルシスト」と嘲笑しがちな風潮だが、とんでもないことだ。誰がなんと言おうと、いつも、どんな時でも、逃げることなくちゃんと向き合い、大切に愛すべき人、それが自分自身だ。
藤井風の「grace」は、ただその1点を歌っている
それは宗教でもスピリチュアルでもなく、最も根源的で普遍的なことだ。
1番のサビまでは”言葉もなく身を引く自分”、”ただ微笑み誰かに助けを求めるだけの自分”、そして”去ってしまう自分”が、やっと自分の中にいる「神様」の存在を自覚するところまでが歌われる。
そして、”やっと共に廻り始める”喜びが、全ての呪縛を解き放つ多幸感に満ちたサビへと繋がっていく。
あたしに出会えちゃった後の2コーラス目はもはや”無敵”だ。自分を、自分の中の神様と一緒に肯定し愛することで、初めて生まれる他者への愛。
藤井風は、平成の応援歌のように「勝つ!」「負けないで!」と励ますのではなく、自分を肯定し愛することの難しさを、そして、それが叶った時の昇天するような歓びを、全ての音に、声に、映像に込めている。
時代がこの曲を必要としている
初めてMVとともにこの曲に触れた時、人智の及ばない圧倒的な大自然を前に、茫然と立ち尽くしているような気分になった。決して侵してはならない聖域。そこでしっかりと守られている自分の心を愛おしく思う。
それから何度このMVを観ても、知らぬ間に目が潤み口元に笑みが浮かぶ。自分だけでなく、家族を、友を、そして世界中の人々を抱きしめたくなる。
ただ”自分を心から大切に思うこと”を思い出しただけなのに、その愛は勝手に溢れ出て他者をも救おうとするのだと知った。
全編インドロケのオーガニックな映像。プリミティブな風景や人々に宿る、確かな実感を伴った生命力。経済的、物質的にはおそらく豊かとは言えないであろう人々が、それぞれの苦しみも悲しみも大らかに抱きしめ、笑顔で踊っている。
その中に藤井風もいた。”みんなと等しく光っていた”
心から満たされた人間の瞳はこんなにも美しく輝くのか。
藤井風はことあるごとに「自分を大切に」「自分をケアして」と語りかけてくる。「grace」に凝縮されたそのメッセージは、力強いリズムで前進し続けるアウトロのように、明るく鮮やかな色彩となって心に染み込んでいく。
「いつでもどんな時でも、まず自分を愛そう」
すべてはそこから始まる。
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