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天才 米津玄師が歩んだ馬鹿の道

「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第27章>

*プロローグと第1章〜26章は下記マガジンでご覧ください。↓

 幼子が人生初の喧嘩で相手に投げつける言葉は「バ〜カッ!」ではないだろうか?それくらいポピュラーな悪口だが、大人になるにつけ「馬鹿」には毀誉褒貶さまざまな意味があることに気づく。

人をバカにしていた米津玄師

「僕は周りにいる人間を常日頃バカにしてるんですよ。
    バカにすればする程、自分をバカにするっていうことに
    なっていくと思うんですけど」
( Rockin'on JAPAN 2012年インタビューより)

 デビューアルバム「diorama」リリース時のインタビューで、好感度アップ度外視の発言をかました米津玄師。この頃はTwitterでも他者に対する批判的な投稿が目立つ。

 これは元を辿れば、幼少期からの「自分はものすごく馬鹿な人間なんだ」(Rockin'on JAPAN 2015インタビュー より)と言う卑下から出発し、他者を「馬鹿にする」ことで返り血を浴び、後に「馬鹿」を美しいものへと昇華していく過程だったのかもしれない。

14曲に出てくる16の「馬鹿」

 米津の歌詞には「馬鹿」が16回出てくる(曲数だと14曲)。

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 最も多いのは「馬鹿みたい」で7回登場している。そのほとんどが他者に向けられた侮蔑ではなく自虐的な「馬鹿みたい」だ。

 片思いの健気な女心を明るく歌った”あたしはゆうれい”。いじけた「馬鹿みたいね」の次の「ひゅるる〜」が照れ隠しのようで何とも愛おしい。

それでもきっと 変わらずにずっと
あなたが好きよ 馬鹿みたいね
ひゅるる
(あたしはゆうれい)

 女心に限らず、米津の書く「馬鹿みたい」は、心の丈を吐露する照れや恥ずかしさを代弁しているものが多い。それは予測される「拒絶や嘲笑」へのエクスキューズのようだ。

バカみたいな夢を 笑わないで聞いてほしい
(ごめんね)

馬鹿みたいに願っているんだ
(雨の街路に夜光蟲)

馬鹿馬鹿しい虚しさと馬鹿になれる強さ

 2番目に多いのは「馬鹿馬鹿しい/馬鹿げてる(4回)」。この無意味なモノ・コト・感情を「くだらない」「しょうもない」「カスみたい」「取るに足らない」などの言葉でも表現している。(17曲で19回)

 努力やこだわりや生活が、ふと無意味に思えてしまうことの虚しさは、あらゆるモチベーションを容赦なく奪う。それは他者からの揶揄や蔑視よりも耐えがたいものかもしれない。

 これは筆者の感覚で馬鹿を分類したチャートだ。

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 かつての米津本人が自覚していた「馬鹿」は極端なまでに卑屈だった。トップボカロPだったのに、大嫌いな自分の声と姿を晒したのも「馬鹿だったから」と語る。

 コミュニケーションの全てが面倒くさく、相容れない他人を馬鹿にし、自らも嘲罵を浴びた。チャートで言うと下部の左右を行ったりきたりしている状態だ。

 それがYANKEEリリース以降、少しずつ変わってくる。2014年には実質的な初のワンマンライブを行い、2015年発売のBremenでは、たとえ馬鹿にされてもそれを跳ね除ける意志を歌詞にしてる。ある種の開き直りだ。

馬鹿にされたって愛を歌うよ
(雨の街路に夜光蟲)

貶されようと 馬鹿にされようと 
君が僕を見つめてくれるならとまで
(アンビリーバーズ )

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 それは、徐々に強度を増し2016年には今まで無縁だったダンスを披露。この数年間の変化は米津にとってあまりにも劇的だったのだろう。2017年のREAL SOUNDのインタビューでは、その反動とも取れる発言をしている。

生きていて興奮することとか、ワクワクすることは確かにあるんですけど、そういうものをもう全部使い果たしてしまったんじゃないか、と思うこともあるんです。

 2018年Lemonの大ヒット後、怒涛のごときスピードで「米津玄師と言う偶像」が祀り上げられていく。

 彼はそんな激流の中「”馬鹿じゃねえ? こいつ”みたいなものが出てこないと人の心って動かない」とフラミンゴをリリース。あえて自分のみっともなさを曝け出し、そう言うものを隠そうとする風潮に「否」を提示した。

 ちなみにフラミンゴは恋の歌でも酔っ払いの歌でもなく、この頃の米津を取り巻くものに対する強烈な嫌味と自分へのエールソングだと思う。(これに関してはまた別記事で)
2023年1月追記:
今更すぎる米津玄師「Flamingo」の考察 をアップしました

バカじゃないといけないところってありますよね
いろんなことを1年ぐらい考えてみた結果、
やっぱりバカになるという
最終的にはそれしかない

ハイスノバエティ2018年

 そして2019年の「海の幽霊」で長年の夢が全て叶ってしまい、燃え尽き症候群のようになる。

 そのとき、いつも冷静に物事を斜め上から俯瞰していた米津が切望したのは「我を忘れる、正気じゃいられない」つまり本当に「馬鹿になる」ことだった。「馬鹿」の意味が上記チャートの左上へとシフトしていく。

 こうして生まれたのが、文字通りの”馬と鹿”だ。

この曲を作ってる最中ずっと「馬鹿みたいな曲だ」と思っていたんです。(略)いろんなタイトルを考えたし、もっと長い言葉もあったんですけど、削ぎ落としていったら「馬鹿」しか残らなかった。(2019年ナタリー)

 スポーツに無関心だった米津がサッカー観戦にハマり、そこで見たのは、まさに「我を忘れる美しさ」だった。

 米津は”馬と鹿”で、「愛」と言う言葉に「馬鹿になること」の尊さを託している。

これがじゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
(馬と鹿)

 「馬鹿をやる」ことは誰にでもできる。しかし「馬鹿になる」ことは容易ではない。自意識や世間体や立場を凌駕するような機会はそうそう訪れるものではない。積み上げたものを手放す勇気も、つまらない分別に阻害されるだろう。

 そうやって人は「賢く」生きていこうとする。ここが自ら「馬鹿になれる」天才との違いなのかもしれない。

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<Appendix>

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