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短編ミステリー「ホワイトキューブの悪魔」 第1話 (創作大賞2023・ミステリー小説部門応募作品)

現代アート×殺人事件の短編小説(しかし全7話)です。
まとめると、謎の画家の個展会場で起きた殺人事件に強火のファンが挑む話。気取りまくりコッテコテな感じ。なにぶんミステリーなので、是非最後までお読みいただければと思います。

7/16
あとがきを追加しました。「フィクションにはよく『正体不明の芸術家』が出てくるけど、現代日本でそのスタイルを貫くのは難しくない? 〜芸術家、作品制作以外にやること多すぎ問題〜」という感じの話です。

あらすじ
 表に出る役目は風間という代理人に任せ、自らは素性不明を貫いてきた若手画家、ヤスミン・リード。そんなヤスミンが、抽選で選ばれた四人の前に姿を晒すというイベントを催した。
 ところがイベント当日、ひとりの女性が殺される事件が起こる。殺されたのはヤスミンだと告げ、四人を美術館の地下に閉じ込める風間。
 四人は彼に脅されるがまま、自分達の中に潜む殺人犯を暴くべく、推理ごっこに興じることとなる。

本文 1

『彼女は確かに死んでいました。……殺したのはあなたですね』
 場違いなまでに平坦な風間かざま辰樹たつきの声が、茫漠たるホワイトキューブに響き渡った。
『ほら、あなたには彼女を殺す理由があるでしょう?』
 四人の男女は順繰りに顔を見合わせる。誰もが同じ疑問を持っていた。
 ……あなたとは誰のことだ?

     *

 日本美術史上における最も大きな革新とは、展覧会制度のはじまりだと成河なるかわ眞維子まいこは考えている。つまりは作品鑑賞の場の多くが、寺社仏閣などの空間からやがてホワイトキューブ――文脈をもたない真っ白な展覧会場に移り変わったことだと。

 ヤスミン・リードという素性不明の画家がいる。作家名こそ西洋風だがおそらく日本人で、若手アーティスト限定の展示にしばしば参加しているあたり、三五歳未満なのは間違いない。最近知名度をじわじわ伸ばし、「謎の天才画家」などと呼ばれつつある。
 ……噴飯ものの表現だが、実際のところこの六文字はヤスミンの本質を言い当てている。眞維子はそのことを嫌というほど知っていた。彼女あるいは彼の成功が、ホワイトキューブの存在なくして成り立たなかったであろうことも。

 初めてヤスミンの名を知ったとき、眞維子は美大の油画科に在籍していた。自分は絵画で身を立てていく人間だという確信がまだあった、一年生の冬。当時の彼女にとってヤスミンは、単なる推定同年代の画家のひとりにすぎなかった。色遣いやモチーフ選びの傾向が自身に近く、その上自分よりも優れた技術を持っていたから、多少気になる存在ではあったものの。
 ヤスミンが作品に用いる技法は主に油彩。特筆すべきはその大胆な筆致である。
 迷いなき筆遣いは光の表現よりも、モチーフ生来の形状をカンヴァス上へと写し取ることに注がれる。下絵や綿密な構想の存在など一切悟らせない、ほんの一瞬、筆の一撫でによって描かれたとしか思えないストロークの数々。それらが構成するどこか荒々しい絵肌。にもかかわらず、描き出されるモチーフはどれも均整がとれていて、画家の確かな眼と技術を証明する。一方背景は簡略化・抽象化され、主題を浮かび上がらせるための舞台装置と割り切られていた。
 つまりは見るべきものだけが見える眼と、描くべきものだけを写し取る指先を兼ね備えた画家。そんな羨むべき才能の持ち主を、羨まずに済むだけの余裕あるいは若さが、一年生当時の眞維子にはまだあった。

 初めての邂逅から一年後、いち鑑賞者として訪れた銀座のギャラリーで、眞維子はヤスミンの作品と再会することになる。
 画家がその一年、作風の確立に注力したことが見てとれる洗練ぶりであった。背景の描写には琳派のごとき装飾性が取り入れられ、平面的に描かれた家具や花瓶といったモチーフが、一見ミスマッチな立体感あるタッチで描かれた主題を、不思議と違和感なく引き立てていた。
 さらには、宮彫りを彷彿とさせる彫刻が施された、荒削りな木の額縁が絵画の四辺を囲っていたのだ。キャプションによればそれもヤスミンの作である。自身も額装への試行錯誤を始めたばかりだった眞維子は、先を越された気分になった。

 それから彼女は、焦りとわずかな敵愾心を胸にヤスミンの展示を追うようになる。
 一方自身の制作活動もおろそかにはせず、三年生の夏ごろ、大規模な展示参加型コンペにエントリーした。これはギャラリストをはじめとする美術関係者が若手作家の展示ブースを回り、その場で受賞者を決めるという形式のコンペである。受賞ならずともギャラリストの覚えが良ければ、ギャラリー所属の誘いや、企画展への招待を受けるチャンスが生まれるというものだ。
 そこである中年ギャラリストを捕まえ、渾身のプレゼンを終えた眞維子は、「うちの契約作家にヤスミンさんという方がいましてね。似た作風のあなたの作品は取り扱いづらいのです」という旨のことを、もう少し婉曲的に告げられる。不意の衝撃の後、それより大きな羞恥と屈辱が襲った。

 この体験を経て、眞維子は今一度自身の創作を見つめ直すことにした。自分だけの作品世界をつくり出そうと、モチーフ選びや技法の研究に励んだ。
 しかし作風そのものを変えようとしてもうまくいかず、結局行き着いたのは額装の外、会場までも作品の一部とする試みであった。いわば平面作品とインスタレーションの融合的展示。
 進学のため単身上京し、学費を除く生活費をアルバイトで賄っていた眞維子に、大規模な展示計画の実行は難しかった。それでも卒業制作に全てを懸けようと、制作と就職活動以外の時間は極力シフトに入るようにした。
 しかしややもせず知ったことには、ヤスミンはその試みすら既に通過していたのだ。眞維子は嘆息し、ようやく認める。やはり自分はヤスミンに似ているのだ、表面的な作風などではなく根本的な思考が……そして間違いなく相手の方が優れているのだと。無力感とやり場のない怒りが湧いて仕方なかった。

「眞維子は頭がいいんだし、普通に就職したほうがいいよ。私には絵しかないからさ」
 そう羨むふりをして、その実堅実な眞維子を下に見ている――かといって芸術で生計を立てられるわけもなく、実家暮らしでアルバイトや家事手伝いの傍ら、制作を続けると嘯く同級生。眞維子は眞維子で、あいつらは自称芸術家だと内心蔑んでいた。社会的に正しいのは自分なのだと自らに言い聞かせ、大学の就職支援の貧弱さに辟易しながら、日々孤独にスーツをまとった。
 結局、ギャラリーに所属することもできないまま彼女は美大を卒業し、印刷会社に営業として勤めることになる。せめてクリエイティブ職での採用をと望んでいたが、それすら叶わなかった。

 社会人となり、仕事に忙殺される日々にあっても、現代のアートシーンに欠かせない存在となったヤスミンの活躍と展示を追うことだけは忘れずにいた。そのうち、自分こそが誰よりも徹底してヤスミンを追っている人間だという、妙なプライドが眞維子の中に芽生える。しかし卒業後六年が経つ現在でも、作品世界の向こうに作家本人の正体を垣間見ることはできていない。
 現代アート――特に若手作家の世界においては、ともすれば技術以上に本人の作家性、または本人が語る制作コンセプトの独自性などが重要視される。その中における「謎の画家」ヤスミン・リードの成功はある種の奇跡であり、これは眞維子にとって理想の作家の在り方でもあった。

 ある初秋の日のこと。制作時間の捻出のため印刷会社を退職した眞維子は、久々にのんびりと美術雑誌を眺めていた。個性を求めての迷走の末、脱色したマッシュカットの髪を指にくるくると巻きつけながら。
 誌面にはヤスミンのインタビュー記事が掲載されている。インタビューといってもヤスミン本人が答えるわけではない。こうした場ではいつも、風間という若い男が表に出る。
 風間辰樹、ヤスミンの代理人。展覧会でも作家本人の代わりに在廊している。眉目秀麗という言葉にふさわしい容姿の持ち主で、彼目当てと思われる客もしばしば見られるほど。鼻筋はすっと通り、切れ長の目元は良く言えば涼やか、悪く言えば冷淡そうに見える。さっぱり整ったツーブロックの黒髪から覗く一粒石のピアスは、不思議と軽薄さも嫌味な印象も感じさせない。
 彼はヤスミンの恋人あるいは本人だという噂もあるが、眞維子はデマだと確信している。あれは単なるヤスミンの作品に魅せられた協力者だ、一度でも直接話せば簡単にわかることだと。
 ……何はともあれこの代理人の存在が、あるいは謎の画家ヤスミン・リードへの神秘性の付与に一役買っているのかもしれない。
 そんな具合に、「正体不明」はある意味ヤスミンのアイデンティティだった。

 しかし事情は変わりつつあるらしい。
 インタビュー記事掲載の一か月ほど前、ある首都圏の近代美術館におけるヤスミンの個展開催が発表された。そのせいで世間への知名度が一気に上がり、湧いて出た野次馬がヤスミンの正体を探り始めたのだ。
 それで観念したのか、あるいはガス抜きのつもりか。どちらにせよ、ヤスミンはついに姿を晒すと決めたらしい。ただし不特定多数の人間に対してではない。
 件の個展の会期中、展示替えのために設けられた二日間の中日。その一日目、抽選で選ばれた四人だけが、特別な展示の中で画家本人に会える。そんなイベントの開催がメールマガジンで告知されたのである。
 眞維子は当然、当たるはずがない、どうせ抽選のふりをして関係者を集めるだけの茶番だと思ったが、万が一の可能性を考えて即座に応募した。
 ヤスミンの姿を見たいかと問われれば、正直迷う。好奇心よりも恐ろしさが勝るとすら思われた。しかし「特別な展示」については別だ。見たいという気持ちしかない。その欲求に従い、ただただ当選を祈った。

 ……結果、彼女は今、近代美術館・地下展示室の入口前にいる。
 通知を受け取った直後はひどく動揺した。抽選は本物だったのだ。ならば、自分達の前に現れるはずのヤスミンもきっと本物に違いない。根拠もなくそう思った。
 眞維子はまだ誰も到着していないと思われる美術館周辺を、息を大きく吸ったり吐いたりしながら見回した。
 美術館は市営公園の奥に建っている。ここまで穏やかな陽光のもと、銀杏の盛りの並木道をゆったりと歩んできた。にもかかわらず、鼓動は興奮と期待に高鳴っている。呼吸も速くなっているかもしれない。今ヤスミンに遭遇すれば不審者だと思われるだろうか? それは避けたいものだ。
 苦笑いが漏れた。まるでアイドルの握手会に向かうファンのような心境だ。
 地下展示室の階段下から、カツカツという硬質な足音がした。
 眞維子はその主こそヤスミンに違いないと思い、あるいは思うより先に、首の筋肉を痛めかねない勢いで振り返った。
 そして、理不尽にも落胆することとなる。

第2話
https://note.com/why_narab/n/n32c695e29e14

第3話
https://note.com/why_narab/n/n86d53572ec9d

第4話
https://note.com/why_narab/n/nc98965503b00

第5話
https://note.com/why_narab/n/nf0609296e7a2

第6話
https://note.com/why_narab/n/na0d408567a1d

第7話(完結)
https://note.com/why_narab/n/nb3b205a2fc4d

あとがき「『正体不明の画家』という夢みたいな存在」
https://note.com/why_narab/n/ndb0be37d0c4f

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