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キラキラしたインスタグラムに於いて

私は人のインスタのストーリーズは見ません。
いや、これは半分嘘で半分本当。

好きなアーティストのアカウントやお店のアカウント、
その他2,3人の仲が良い人のストーリーは見ます。
けどそれ以外は閲覧しないから、おかげでインスタの
天井は、いつ開いてもレインボーパラダイス。

理由はひとつ。
見なくてもよかったな。
ほとんどのストーリーを見た後にこう思うからです。
こんなこと言ってごめんなさい。もちろん、全てが全てそうではないことは私も分かっています。

幸い私は、人が載せているハッピー映えライフを見て
「羨ましい」と感じないのでそこは本当にラッキー。なら見てもダメージは少ないのでは?と思い、
前は結構チェックしている方でした。
だけど段々、知らなくてもいい事とかどうでもいいことばっかだな〜と退屈の方へねじ曲がっていった。

すりぃさんの「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」
って曲、ご存知ですか?MVも曲もかっけーので是非。
で、その曲の歌詞に「どうでもいいこと呟いてんな」という言葉があります。これは例の青い鳥でのことを示唆しているんだろうけど、インスタ、特にストーリーという機能もさほど変わらないと思う。

でも、もちろん悪いことばかりじゃない。
知らないお店や音楽を知るきっかけになったり、その人の趣味嗜好という表面的なものだけではなくて、考え方なんかも垣間見える時があります。
ただ、それを得られるのは稀だと感じていて。
そりゃそうだよね。その人も、もしかしたら「知ってほしい」と思っている場合もあるかもしれないけど大体は
自己満足や承認欲求を満たすものだもんね。
こういう話をすると、結局「人は人、自分は自分」とか
「自分の自由。好きなように使えばいい」という超ありきたりで綺麗すぎる、つまらない結果になってしまう。

私がストーリーを載せないのは、私が載せるものもつまらないからです。それを分かっているから載せません。
私が「見なくてもよかった」と思うように、誰かも私のストーリーを見て「見なくてもよかった」と思っているのかもしれない。だから載せない。
そう思われるのが怖いとかの問題では全くなく、
「そういう人間」になりたくないのです。

毎日毎日何かを投稿する。
いつ何時でも誰かのタイムラインにいる。視界にいる。
そんなのつまんないと私は思う。
そんなに簡単に人に知られてたまるかと思う。
勝手に人物像を作らせねーぞと思う。
でも適度に情報収集はして、流行りはキャッチする。
でもまたそれも流行りに過ぎない。

大学でファッションの講義を受けていたときに
こんな言葉を知りました。
「流行は色褪せる。だけどスタイルは不変で永遠よ。」
ココ・シャネルの言葉。

私は流行を脱ぎ着する女になりたいわけじゃない。
スタイルを確立して一着の綺麗なスーツだけで生きていたい。

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