人に期待することをやめた
過去の恋愛や人間関係の諸々の出来事から、
私はもう人に期待するのをやめた。
信じるという行為が重さや濃度で表すことができて
それが同じぐらいの人を見極められて、巡り会えればいいのにと思う。
「過去に大分ひどいことがあったから、もう誰も信用したくない。傷つきたくないし、面倒くさい。」
私が好きですと伝えた後、好きな人に言われた言葉。
つい最近のこと。
言いたいことはたくさんあったけれど、
それが言うべきことなのか私には分からなかったから、沈黙を選んでしまった。
私も異性からの大きな裏切りを3度受けていて、
もう懲り懲りだ。だけど、そこで「私も前ね_」と
話し出すのは違うと思った。
そこでさらに、「分かるよ」と言うのもお門違いだ。
相手の悲しみやトラウマ、辛さは私には理解できない。
そんなの当然で、仕方がないことだ。
『なんで分かってくれないの』私が苦手な台詞。
んなの結局どこまで行ってもわからないまま、
分かることと言ったら浅瀬の部分だけだと思う。
人はどれだけ仲が良い友人や血の繋がった家族、信頼している人間同士でもどうしても分かり合えない部分がある。それを分かっている人が私は好きだ。
期待したら、それが返って来なかった時に悲しくなるじゃん。裏切られたって気持ちになる。だからもうそういうの面倒くさい。
ぽつぽつと耳に届く言葉。
私もそれは重々承知している。だからこんな人間になったのだ。つまりは、はなから人に期待をしない人間に。
だからといって、「それはね、最初から人に期待しないことで解決するよ」なんて簡単には言えるはずなかった。
なるほどそうか、と言ってスイッチのように容易に切り替えられるようには人間できていない。
そして結局、過去の出来事は付き纏ってくるのだから。
「一回だけ、私を信じてくれませんか。」
この言葉が一番怖くて、言えなかった。
一番言うべきだったかもしれなかったのに。
過去に裏切られ、傷つき、どこかにいつもその影を持ちながら怯え、震える足で立っている人同士が手を取り合えれば幸せだと思っていた。
しかし、それは想像以上にまた違った種類の壁があるものだと気づいて私は悲しくなった。
私たちは分かり合えないんだよ。
だけれど分かり合おうとするんだよ。
脆くてどうしようもなくて素敵だね。
互いにそう思い合えればどれほど良いだろうか。
期待することは悪ではない。
ただ、期待する以上は
期待を上回ることもあれば期待通りのこと、
全く期待を裏切られることがあることを覚悟しておかなきゃいけない、
って誰かが言ってたな。
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