読書日記#32 初夏の暗闇を生きつなぐための本
6月▼日
Kindleが見つからない。
そのことがどうでもよくなるくらいに疲れている。
いくつかの用事が続くから、本を持っていこうと「あなたのための短歌集」と「東京タワー」をリュックに詰める。
けれどリュックにしまうとなかなか取り出せないから、きっと読まないだろうとわかっている。
「東京タワー」は江國香織さんの作品を順に追っていた小学生の頃、この作品で、ついていけないと思ってしまった、ある意味、思い出の一冊。
大学生の男女がそれぞれ背伸びして道ならぬ恋をする話を小学生が理解できるわけがない。
でも、レビューを見ると評価は高いし、今ならこの気持ちを理解できるんじゃないかなと思って古本で入手した。
なぜ紙の本を2冊も持っていくのかというと、Kindleが見つからないからだ。スマホでも読めるけれど、読みづらい。
そういえば、靴下の片割れも2ついなくなっているし、毎日使っていたヘアブラシもどこかへ消えた。これからいく歯医者の診察券もない。
心が削られる日々を過ごしていると、少しずつ、失せモノが増えていく。
こんな小さなワンルームでなぜモノは消えていくのか。部屋にブラックホールがあるか、小人さんに隠されているとしか思えない。
ただ、仕事にすべての神経をもっていかれていると、それ以外の時間は夢の中のようでまるで現実味がない。
ノイズですらない。水の中に潜って音を聞いているみたいな感じ。
見つからないもののことも、どうでもよくなってしまう。
そんな中、現実に引き戻してくる歯医者。今日の最初の行先。
歯医者はいつも怖い。
マッサージの施術中みたいに夢心地になって、半分意識を失えたらいいのだけど。
「痛かったら左手をあげてください」といって、いつも軽度の虫歯があって、私が息をのむほどに痛いところを突いてくる。神経に響く痛みは耐え難い。
しかし今日は「痛いところは避けますね」といつもの歯科衛生士さんが初めて優しさを見せた。
痛みなく歯医者を終えることができてほっとする。恐怖感は変わらずあったけれど。
会計のところで、
「前回、診察券忘れてましたよ」
と言われる。
診察券に関してはブラックホールに吸い込まれたわけではなかったみたい。
特急のチケットを発券するために有楽町へ行く。早々に支払いと発券を済ませる。
気持ちが落ちてきたら本屋。有楽町なので、三省堂にいくことにした。
実は「ぼくのメジャースプーン」の限定愛蔵版が出るのでその実物を見てみたかった。よかったら購入したい。
「ぼくのメジャースプーン」は私が何度も読み直している数少ない小説で、辻村作品の中でも一番好きな物語。
このため息が出るような美しい装丁、ほしい。高いけど、ほしい。
けれど、なかった。
調べてみたらまだ発売前だった。
やっぱり、ボケてるみたい。
けれど、ここで引き下がる私ではない。
というか、ここで一度生じた本を買いたい欲を抑えることなんてできない。
まずは小説の単行本のコーナーへ。
千早茜さんの「グリフィスの傷」のサイン本をまず発見。やっぱり好きな作家さんのサイン本は機会があるならゲットしたい。千早さん好きなのに、この新刊の情報は知らず、今までハズレだと思ったこともない信頼できる作家さんなので迷わず購入。
エッセイコーナーに行くと穂村弘さんの新刊「迷子手帳」のサイン本も。
穂村弘さんのサイン本は2冊目かな。短歌はそれほど読んでいないのだけど、エッセイは数冊読了していて、好きな文筆家のお一人。
帯には「いつまでも迷子であり続ける人のための手帳」とあり、方向音痴で物理的にも日々迷子なうえに、割と人生もいつも迷子になりがちな私にも刺さるのではと思って購入することにする。
表紙のイラストも丸い角の装丁もかわいい。購入してから開いて見たらサインと一緒に本人の似顔絵?と思われるスタンプが押してある。かわいい。
こういう本は所有する楽しみがあっていい。
実はもう1冊、X上でやたらに宣伝されていて、気になっていた本があったので2階へ移動。
気になっていたのは「カフカ断片集」。
単行本かと思ったら文庫だった。
カフカの小説は「城」しか読んでいないけれど、この生きることに悲観的なところに癒しを感じることがある。
この断片集は「手記やノート等に残した多くの断片」を集めたものだといい、現代のnoteにも近いのではと思う。(そういう使い方をしてるのは私だけかもしれないけれど)
「不穏の書、断章」をちびちび読んでいるし、芥川龍之介の「侏儒の言葉」なんかも好きなのだけど、こういうフレーズをまとめたものはパラパラ読めて、趣深い気持ちになれて、とても好き。
同じ棚にある文庫を見ていてさらに気になるものを拾い上げる。
まず「万葉と沙羅」。本の出てくる本が好きなので、定時制高校で本を紹介しながら交流を深めていく万葉と沙羅の話、というのはあらすじをきいただけで面白そうと思っていた。
手に取ってみてすぐに読めそうな薄さなのもいいなとと思う。
それから「無意味なものと不気味なもの」
もともとホラーとは何か、なぜエンタメになり得るのかを調べている時に同じ著者の「恐怖の正体」という本が気になっていて。
結局「恐怖の構造」と「恐怖の哲学」を買ったので(意外とこの手の本たくさんあるのおもしろい)、入手してはいないけれど、こちらの恐怖の一歩手前の無意味で不気味なものたちについての作品や体験からの思索をまとめたエッセイは本もたくさん出てきそうでより興味が湧く。
実家に実印を届けにいかなければならず、そこからまた移動。
なにせ2冊ハードカバーの本を持っていたのに、さらに5冊も本を買ったので肩にずっしりとその重みがのしかかる。
休みの日に、なんでこんなに、無駄に疲れることをしているんだろう。
「形見に時計があるんだけどいる?」
と到着早々に尋ねられる。
「いらない」
と答える。
なんて冷たい娘だろう、と自分でも思うのだけれども、形見の時計なんて私には荷が重い。もしその時計に何かあったら、不吉なものを感じてしまうし、そうまでいかずとも、罪悪感でいっぱいになるだろうと思う。ほぼ収納スペースのない私には身分不相応な代物だ。
しばらくおしゃべりをして、「ごはん食べていきなよ」を固辞して家を出る。
精神的に余裕がないときはとにかく一人の時間がほしい。
ぼーっとしていたい。
夕飯を一緒に食べるとあっという間に夜になってしまって1人の休息時間が不足してしまう。
外出時にはほとんど読めなかったけれど、夜のお風呂で「あなたのための短歌集」を読み終えた。
お題に対してその人のために短歌をプレゼントするというコンセプトで集められた歌集。単なる短歌集だとテーマが散らばりすぎて集中力が維持できず、文字がいっぱいだとそれだけで気が遠くなるお風呂の時間に、これはちょうどよかった。
そしてこの短歌集、お題を出した「あなたのための歌」であり、なおかつ私の心にもそっと手を差し伸べるような歌ばかりで揺さぶられるものが多かった。
私も今のままならなさなどを説明して短歌にしてもらいたくなり、なら自分でも作ってみようかなと、短歌マイブームが訪れそうな予感。
1番好きだったのは、浮気相手を何年も続けて踏ん切りをつけたい人に向けたこの歌。
どこにも書いてないけど、ここでいう「ごみ箱」は浮気相手である自分のことなんだっていうのがわかる。
しっかりプライオリティをつけて整理整頓できるところが好きだと思っていたことは認めるものの、でも踏ん切りをつけるべきなんだと納得するために、とてもいい歌。
つい、自分とも重ねてしまう。
あとは未来の希望を感じるようなエモい歌もあれば、この「ごみ箱」もそうだけど、ダークな歌もあるのが趣深い。
たとえば「平凡でありきたりだけど穏やかな暮らしがしたい」という気持ちを短歌に…というリクエストに対しては、
という。これはなんともロマンチック。
一方でお題「誕生日」に対して
と絶望を歌うのもまたいとをかし、というか。このバランス感覚が好き。
簡単な本でも、少しずつでも、読了本があるというのも私の毎日の救いの一つかもしれない。
(その後、Kindleはちゃんと見つかりました。靴下も。ブラシも。これを書いている今はネックレスが見つかりません。)
6月☆日
7時半。休日に起きるにはまだ早い。
8時半。昨日読もうとして枕元に持ってきて全然読めなかった枕みたいな分厚さの「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」をぱらぱらとめくる。
これは池澤夏樹さんの書評集。なんと444冊も紹介されているらしい。
こういう膨大に本が紹介されている本は、いつだってとても好き。
体裁としては冒頭は「読書日記」になっている。私のこの読書日記よりはずっと本にフォーカスされているけれど。
少し読んでみて驚くのは、知っている本がほとんどないこと。
たとえばこの「空からやってきた魚」はアメリカ生まれで日本在住の詩人の方が日本語で書いたエッセイ。こんな本、全然知らなかった。どんな日本語で綴られているんだろうと興味がわく。
日々、本の情報収集はがんばっているつもりだけど、もう、池澤さんはそういう世の中の潮流とは全然違う世界で読書している人なんだと思う。
そういうの、ちょっとかっこいいなと思っちゃうけど、私はその域に達するには読書人レベルが低すぎる。
9時半。ようやく起き上がろうという気持ちになってくる。昨日までの怒涛の毎日から少し余裕を取り戻して、周囲の音が聞こえてくる感じ。
夕方に一緒にカラオケにいく予定の友人といくお店を決める。
起き上がってポッドキャスト編集。6月の残タスクだ。
まだ自炊する元気は取り戻せていないので、お昼はUBER eats。
食べながら、ニュイ・ソシエールさんの実況する「オクトパストラベラー」をみる。
ずいぶん前からオクトパストラベラーは気になっていて、何人もの実況者さんで導入だけ見ていたのだけれども、ニュイさんがいろいろ見た中で理想的な実況だった。会話はすべて読み上げ、感受性豊かにストーリーを堪能し、豊富なRPG経験からバトルシステムをすぐに理解するので無駄死にすることはなく、メインストーリーを軸に実況すべきポイントを絞って進行していくのでとても見やすい。
お昼を食べたら、また編集に戻る。
ずっと編集に集中していると疲れてくるので、Audibleで燃え殻さんの「これはただの夏」をきく。あと20分でちょうどよい。
もうどうなるのか、終わりは見えていたのに、最後のラジオの演出でうわぁいい!と心を揺さぶられる。そんなラストは泣いちゃうよ。
偶然だったけれど、夏の始まりの疲れた日々にインプットするコンテンツとしてこんなにぴったりなものはないと思った。
結局派手にバカンス旅行に繰り出したり、いかにも夏!なイベントに出かけたりするよりも、日常を優しい距離間でいられる人と一緒に過ごすことの方が、はからずも尊く、何年も忘れられないような記憶になりそうに感じる。
主人公の男性を含め、彼の周りの女性たちも、仕事仲間の大関もみんなどうしようもない、「普通」の枠組みからドロップアウトしてしまった人たち。主人公の彼はそのことを遠方に住む母親に咎められる。
私も最近母に「普通の幸せを得てほしかった」といわれて傷ついたことを思い出す。
そんなこといわれたって、現在の状況はそう変えられないし、「普通」なんて幻なんだって、それが幸せだなんて誰かのものさしに過ぎないことだと、言い聞かせるしかない。
だからこそ、ここで描かれる日常がいとおしいんだろうなぁと思う。学校にいかなくてもいいし、結婚して子供を育てなくてもいい、「べき」の一切ない世界。
いい作品だった。
夜は友達と会う。残念ながらポッドキャスト編集はまだ終わらない。
まずはごはん。外食してお酒を飲むのも久しぶりだ。
彼女も仕事にマインドシェアとられすぎて疲弊していて、どうしてこんなにつらくなってしまうのか…という話をしていた。
仕事でいっぱいになると、本を買いすぎてしまうのが悩みだといったら、
「本を買うなら損はしてないからいいじゃないですか。私なんて暴飲暴食で太って、食後は気持ち悪くて、健康を失っているんですよ。」
と言われる。
彼女の気持ちもわかる。私は本で、彼女はジャンクフードだった、というだけのこと。
でも、少し自己肯定感があがる。
心のうちではそう言い訳してはいるんだけど。今月20冊近く購入してしまっているけれど、きっとこれも未来への健全な自己投資なんだと思うことにする。
2時間のカラオケの予定が友人の希望で延長して3時間になる。
カラオケは強制的にたくさん酸素を吸い込むので、呼吸の浅い日々には効くと思っている。
ただ、1時間延長になると、それはけっこう体力的にしんどく、最後の方はバラードしか歌えなくなってしまった。ああ体力が。
帰ってきてへとへとになった体を引きずりながら、洗濯機をまわし、次にきくAudibleを何にするか考える。
冒頭だけしかきけてなかった「らせん」を本格的にきき始める。
少しずつ、おそらく踏み込みすぎてはいけない問題に、巻き込まれていく様子にぞくぞくする。
寝る前の洗濯物を干す時間にはちょうどよい作品だった。
6月は友達と会うとか、家事をするとか、仕事以外の文章をかくとか、そういった人間らしいことのすべてから遠ざかって過ごしていた。
この週末、友達とおしゃべりして、洗濯をして、少しずつ日常が戻ってきている気がする。こうしてnoteが書けるというのもとてもありがたいこと。
本ももっと読みたいし、映画も見たい。ゲームもしたいし、つくりたい。文章も書きたい。
でもまずは、明日はポッドキャストを配信して、スーパーにいって、自分でつくったものを食べるんだ。
少しでも自分を肯定できる暮らしを取り戻していきたい初夏の暗闇は深まっていく。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?