職場のアイドル

私は驚きました。あまりにも彼女が職場になじんでいなかったからです。

社員、アルバイト、外国人実習生に至るまで普通に持っていた、その職場で生きる上での呼吸のリズムのようなものが、彼女にだけありませんでした。

彼女は明るく、好ましいように、まるでアイドルのようにふるまいました。ですがそれは、テレビから流れるアイドルの嬌声のように響きました。これが誉め言葉ですって?とんでもない。アイドルの嬌声といっても、ライブコンサートで注目を一身に集める晴れやかな姿ではないのですから。むしろ、社員食堂のテレビに映るアイドルでした。社員食堂では脇目も振らずガツガツと飯を食べる社員、隣の仲間と愚痴をこぼしながら日替わり定食のアジフライをつつく社員などで席が埋まっていて、独特の暗い、しかしどこか落ち着いた雰囲気を共有しています。そこに置いてあるテレビを誰も見てはいません。そのテレビに映っているアイドルのすっとんきょうな嬌声をイメージしてください。彼女のふるまいはまさにそれでした。

もしかしたら、彼女は職場について、自分の明るさを持って改革してやろうという野望があったのかもしれません。

しかしうまく行かないのは目に見えていました。なぜなら職場の共通の暗さや、共通の呼吸のリズムは、日々の業務に地に足をつけて取り組んだ社員、アルバイト、外国人実習生たちが、ひとりひとり違う道、違う足取りで歩を進めた結果、誰もが同じ暗さ、同じリズムという到達点に行きついたすえに身についたものなのですから。

ですから、傍から見ると雰囲気が暗くて愚鈍なリズムであっても、それは信頼できる仲間の証、苦楽を共にした証、通過儀礼を済ませた証、通行手形を持っている証そのものだったのです。

彼女がテレビから出てくる日は果たしてあるのでしょうか

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