渡辺孝宏 T.W.

渡辺孝宏 T.W.

最近の記事

自分の世話

股関節が正しくはまって体が軽くなった今思う。いままで自分の世話もろくに出来ていなかったのに、どうして周りの世話を焼こうとしていたんだろうと。毎日遊んで暮らしているように見える人ですら、こういった解決すべき自分の世話は完全に盲点に入ってしまって手付かずなのではないだろうか。その問題が放射性廃棄物のように体内で悪さをし続けるために、継続的な治療としての贅沢や放蕩が必要になっているだけならば、それはなんら羨ましがるようなことではない。そう考えると、毎日遊んでいる人、気力がわかなくて

    • 姪ちゃんたち

      今日はレーナちゃんが私の膝に座っていちごを食べた。レーナちゃんは次々とイチゴを私の口に運んできて、ブウッ!とオナラをした。私とレーナちゃんでブウ!ブウ!と言いながら、エヘヘアハハと笑った。 ユーナちゃんは帰宅後に階段を真っ先に上ってきて私を呼びに来た。ニコニコしながら、午前中に公園で遊んだことを教えてくれた。私の頭のヘアゴムを取って、グチャグチャにしてしまったw 人生とは愛することだけです。損得や勝ち負けなど、些細な事すぎます。 20240614 家の前の道路に男の子た

      • 物知りおじさんダッサ

        物知りおじさんダッサ。今お前がどのような存在であるかが全てだろ。 その豊富な知識によって他人をあれこれ批評してる、2型糖尿病予備軍みてえなシケた面のおじさんより、何も知らずとも軽快に躍動している若者のほうを誰もが選ぶんだよ。 世界一ダサいおじさん、それこそが物知りおじさんです。 重い体をよっこらしょっと椅子に乗せて、ブツブツと誰も聞いてないことをつぶやき続ける哀れな存在にだけはなってはいけない。

        • 徳は子供のおもちゃか

          子供の頃はおもちゃで遊ぶのに夢中になっていても、大人になると見向きもしなくなる。これは脳の活動という意味ではおもちゃで遊ぶ子供のほうがきっと活発に活動しているのだが、大人の知力体力経験からすると取るに足らないのでおもちゃに夢中になれないのも仕方がない。これと全く同じことが道徳や倫理の領域で自分に起こっているのが実感される。子供のころに比べて、人様やお天道様に見られて恥ずかしくない行動をしているのかとか、そういう徳の高い葛藤がどんどんなくなってきている。あたかもゲームの勝敗に一

          柔軟2

          20240524 Lsitなどで重要な、肩下以下全域クニョクニョが身についてきた。これによってレッグスルーの軽さが全然違う。ホローバックなどで生きてくるのが、背骨を最大伸長させてから、一節ごとの筋収縮で足を持ち上げていくというもの。 初挑戦してみた技が出来ないことを知る→体の持つ問題点を初めて突き付けられる→それを解消するエクササイズをしていく→人生で経験することのなかった軽さを手に入れる、という手順を踏むので、新しい技への挑戦は開けた未来が約束された素晴らしい道。 202

          全てのシグナルをグリーンにするまでPrizeは受け取るな

          Prizeだけ独立してほしがるのはダメ。 例えば体操選手のようなマッチョになりたくて筋肉をマシンやフリーウェイトで鍛えるのはダメ。 体操選手のように柔軟から逃げず、ブリッジウォークオーバーがバーベルバックプレスのような役割を果たすことによって副次的にマッチョになるようでなければならない。 ブリッジウォークオーバーもできないくせにマッチョにだけなりたいというのは、Prizeをかすめ取りたいというようなコソ泥の精神だ。 私は自分が欲しいものを知らな過ぎたし、欲しいものを手に入れ

          全てのシグナルをグリーンにするまでPrizeは受け取るな

          ケチくさいのはダメ

          ケチくさいと道が閉ざされる。 楽しい飲み会で悪口や下ネタに交じってわずかな有益な情報を引き出すみたいなおおらかさが全ての事業に必要。 若いころに割とグレードの高い飲食店で人の陰口で盛り上がるマダム2人に辟易したのを覚えているが、今なら彼女たちのやり方も理解できる。いい店にいるからってかしこまらずに開放的な時間を過ごそうという、ケチくささから離れた立派な思想だったのだ。 これからも、たまに当りが出ればいいかなくらいのおおらかさで物事に当たっていこう。 20240510 良い。

          ケチくさいのはダメ

          しっかり者の正体

          他人のめちゃくちゃさを許容しており、自分のめちゃくちゃさを悪びれてもいない人は、そのまま日々を流すことをそこそこ気に入っているというか納得しているため、葛藤もせず実務を身に着け、いつのまにかしっかり者だとみられる傾向がある。これは皮肉ではなく、好ましい姿だと思う 例えば、繁盛しているが後継者のいない店。彼は後継者問題に頭を悩ませながらも健気に店を切り盛りしているのではなく、今楽しく商売出来てればそれでよく、その時が来たら店を畳むまでなのである 20240507 メンタルの

          しっかり者の正体

          今も輝ける時なのです

          いつだって何かを始めるのにふさわしいし、いつだって素晴らしい時代だよ。 過ぎ去ってわかるよ。あのときだってもっと大胆に時代を楽しんでも良かった。 選り好みして今じゃないとか、それはもったいないよね。 20240416 何をするかじゃなくて、とりあえず毎日外に出ることなんだ。 思いつかずにめんどくさかったら、引きこもりの延長で仕事をしてもいい。 アートの神髄は人にお出しするのが恥ずかしいようなものを垂れ流すことだと理解した今、実生活の態度もそれにしないことは、知行合一の精

          今も輝ける時なのです

          話してみよう

          恥ずかしがらないで、色んなことをお話ししよう。 あれがおいしかったとか、 これがうれしかったとか。 話す相手も、こんな人とはふさわしくないんじゃないかという人でいいんだ。 寂しかったり悲しかった時間が、 人と話すことで、実りのある慰めの時間になる可能性だって十分にあったことに気が付く。 話すことそのものに意味がある。 同じ時代に偶然一緒にいられるあの人と 話してみよう。 20240425 犬が人の顔をペロペロ、とくに口の周りをペロペロなめるのは、群れの上位者

          話してみよう

          ツイッター凍結に従い数年ぶりにサブ垢復帰してみて

          数年間付き合いのなかったかつての相互フォロワーさんが相変わらず元気にしていて、感慨深かった。決してそんなことはないのだが、自分をずっと待っていてくれたかのような温かい気持ちになった。 俺はヒトから頼られるほど高い報酬ももらってないし、能力や時間が有り余ってるわけでもない。何の責任も抱え込む必要なんてない。そういうのは地位の高い人に任せておこう。俺は自由だ 振り返ってみると、"甘えジジイ"に結構まとわりつかれてきた人生だった。周りからまともに相手にもされていないジジイが、最

          ツイッター凍結に従い数年ぶりにサブ垢復帰してみて

          自給自足

          これはちょっとサディズム入ってるんですけど、世の中のお祭的楽しみがどんどん衰退していき、金や地位を持っていても自分で自分を楽しませられない人は絶望する世界になるのも楽しいと思います。 報われない王様ww 中国で2005年、10歳の少年が最年少で大学に合格した。彼は現在28歳になり、社会に功績を残すような仕事に就いているかと思われたが、仕事をするわけでもなくニートのような生活を送っているという。世界の奇妙なニュースを紹介するウェブサイト『Oddity Central』などが

          丁寧な仕事は存在しない

          丁寧な仕事というのは存在しなくて、本人はアップテンポな音楽のようにダイナミックに次から次へと湧く着想に乗りながら、雑に体を動かしている。それが他人から見ると高度な技術であるために、丁寧な仕事という解釈に落とし込まれているだけなのだ。踊るだけでいい

          丁寧な仕事は存在しない

          ブレイキンのエンジン、センター

          ブレイキンのエンジン、センター

          カサンドラ被害を避ける嗅覚を身に着けよう

          例えば部活の選択で卓球部を選ぶ人はカサンドラ被害に遭いやすい、嗅覚の鈍い人といえる。 卓球部は発達障害のオタクくんの受け皿であるため、定型発達者が卓球部に入ると3年間ガイジ君たちのお世話をすることを受容したことになる。 発達障害が集まりやすい場所、発達障害が忌避しやすい場所の見極めが重要なのだ。 20231212 youtubeでのcoach greg doucette のThe Muscle Barbie Steroid Cycleという動画の一幕。「彼女は病院で検査を受

          カサンドラ被害を避ける嗅覚を身に着けよう

          SNS中毒の終わり

          SNSとは距離を置こうと思い始めた。youtubeで無責任に動画をパッと見て現実に帰るくらいの距離感がちょうどいい。SNSで仲いい人が増えると、心に余所行きの身だしなみを整える必要が出てきて、それはSNS上で自分のペルソナに求められる欲求にこたえるための労苦にすぎない。何より、つぶやかれている内容が世知辛すぎる。インターネットをしていても腹が膨れるわけでも、いい汗をかいて爽快になるでもない。実りの少ない現実だったのだ。 SNSをやめることは、自己表現の出口を一つふさぐことに

          SNS中毒の終わり