境界性パーソナリティ障害っぽい?

大切な友達をまた傷つけてしまいました。

好きなはずなのに、自分の言動が裏目に出てことごとく相手を傷つけたり、その中に自己愛的な考え方を潜ませていたりする。

まるで不幸のシステムみたいなものが僕に埋め込まれていて、そのシステムの動作によって、半ば無意識に、自分にとって大切ななにかを、傷つけることなんて望んでないのに、傷つけてしまうかのようなイメージです。

繰り返してしまったことで自分ではどうしようもないなという想いが頭をよぎりました。

そんなこんなで「大切な人 傷つけてしまう」でぐぐってみたらなんと、ヒットしたんですよ。

「境界性パーソナリティ障害」症状は様々な面で出てくるみたいです。

原因は…というと、機能不全家族だそうです。またお前かって感じです。

自分がアダルトチルドレンだと気づいた人の心理としてよくある(自分もよく思う)のが、「家庭環境のせいでこうなった。親が憎い。でも完全には憎めない。むしろまだ親に期待している。」みたいな心理だと思うのですが、僕もこの考え方のせいで本当にどうしようもないことの板挟みで苦しくなる時があります。

このサイトに日常的に空虚感があるって書かれたいましたけど、僕のこの「何も信じれるものがない」とか「自分の人生なはずなのに大して興味がない」みたいな感覚を空虚感って言うんでしょうか。

解決する道はなかなか厳しそうです。

調べれば指針を得られそうですが、少し文句垂れてしまいます。

愛情が十分に伝わらなかったことが問題の原因ならその満たされなかった愛情をどこに求めるって話じゃないですか?現実的に考えてたぶんそんな場所ないんですよ。幼少期に与えられたはずの親からの愛を後天的に得るってどうやるの?里親?たとえ取り戻せるとしても”〇〇もどき”にしかならないのでは?これだいぶクソな設定じゃないですか?

みたいに。

でも絶望みたいなことにはならないです(絶望は生きる意味を求めようと悩んだ時期にしがちでした)。こういう境遇・気質・性格だから良いこともある。例えば感受性豊か(悪く言えば神経むき出し、というかそれはHSPの話かもしれない)とか人の善を信じてる(悪く言えばただ自分が欲しているだけ)とか。悪い環境にさらされてきた分、負荷への耐性がある→自分の望んだ環境に置かれたとき忍耐強さとして発揮されるとか。

たいてい希望はあるんですが、それを共有する他人もいなから、いまいち自分だけだと信じきれていない気がすごくする。自分なりにつらいけど、なんか希望だけは失いたくないって気持ちがいっつも底にある(気がする)。それは自分だけは救われるって願望なのかもしれない。そうだとしたら事態は一変超まずいです。

悲しみはどんなに良く生きててもやってくる気がするから、もしその悲しみがやってきたときに、絶望しないでいれたらいいという考えがある。自分のすべきことの一つが他人にその力を与えること。

そのために今はたくさん学ぶことがあるし知らなきゃいけないことがあるし、体験しなきゃいけないことがあるんですよね…いつも見失いがちだけども。

でも最終的にはアニメがいいなあ。アニメが一番沢山の人に伝わる気がするし感動も大きい気がするから。自分で描くの?自主制作で描いている人いますよね。

人生でだいぶ悩んだと言うか苦しんだと言うかだいぶ負の感情に支配されて育ってきた気がするけど、同じような経験をしている人たち、ネットを探せばいるもんなんですよね。その人達も自分の心の支えになっている。

境界性パーソナリティ障害。医者じゃないから診断できるわけじゃなけど、自分を説明するような言葉があるだけで、それを見つけられるだけで、変わるもんよー。

2019/11/17追記

この論文、障害の認識についてすごく大事なことについて書かれています。

障害とラベル貼りすることで、その人の内面を決めつけてしまっているということ。

自分も勝手に境界性パーソナリティ障害を名乗った(のか?)けど、診断もされてないし、当てはまるところあるという程度です。ゆえに僕は自分の課題を避ける口実にしてはいけないしということです。そこだけは誤解しないようにしましょう自分くん。

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