サークルを卒業した。

追い出しコンパがあった。
僕はサークルを卒業した。
学校にはあと少し残る。まだ卒業はしない。

アルバムをもらった。
僕は怖かった。悪いことが書かれているんじゃないかって。
でもそんなこと書いてなかった。どれも嬉しかった。
きっと僕に後ろめたさがあったから。
僕が黙っていたこと。僕がやらなかったこと。僕が嘘をついたこと。
もちろんそんなことほとんどやっていない、というよりかはやっていない。
でもそう思ってしまうのは、どこかでもっとできるんじゃないかって期待とそれを実行しなかった過去の僕の積み重ねを感じているからだ。
それは完璧主義だろうか?そうかもしれない。その面もあると思う。
ただ、僕は僕の描く全てを実現したいと思いながらも、やり方が分からない。これも逃げだろうか、きっと両方な気がする。それは僕がこれから考えなきゃいけないことだ。
ただ、昔とは少し違う。高校の部活のアルバムにはもっと話したかったって言葉がたくさん書いてあった。高校の時の僕は自分をダメだと思っていたから、何もかもが自分ではなかった。本当の自分でも本当の力でもなかった。僕は生きていなかった。だから昔と同じように後悔をしてみんなの言葉も信じ切れずに僕はダメなんだという言葉で自分を覆っていた。
それなのに今回は、見てみたら僕がいた。メッセージには僕のことが書いてあった。僕は僕だった。サークルで知り合った後輩たちが僕のことを書いてくれていた。それは紛れもなく僕で、それが嬉しかった。
見た目はクールっぽかったけどお茶目とか、よくいなくなってしまう僕の生存報告とか、合宿の思い出とか。

きっと全てセルフエスティームが上がったからかな。
ただ、そう思えたのは成長で、そう思えることは幸せで、僕はまた泣きそうになってしまう。
僕は昔どれだけ辛かったのか、だからこそ今どれだけ嬉しいのか。それは涙が出るほど噛み締められるものなんだ。

昔高校生だった時の自分。もらったアルバム。大学生だった時の自分。もらったアルバム。
ああ、そういや小学校の時のアルバムも好きじゃなかったな。
きっと初めて嬉しいアルバムをもらったのかも。それは、もちろん書いてくれる人がいること自体嬉しいことなんだけど、それを嬉しく思えること、昔はそう感じられなかったのに、それを嬉しく思えるようになったことがとてつもなく嬉しいのだと思う。
僕は今の僕を幸せだと思う。
ありがとう、ごめん、ありがとう。
灯の消えない街の空に、微かに星の光る空を見た。

一つ、終わった。決められていたのだから、終わるしかない。全く同じものは始められない。もう二度と。そして思い出は遠く遠く。

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