マガジンのカバー画像

自分について

28
運営しているクリエイター

#自分

一番つらい日の中で

ここ最近謎の体調不良に見舞われていました。 頭痛、喉痛、口内炎、倦怠感、熱。 普通の風邪かコロナかはたまたそれ以外の病気か。 なんか、すべてがまずいんじゃないかと。 わけわからん体調不良がやってきて自分でも少し参ってしまったのかもしれません。 長い間楽しく生きてこれたわけじゃなかったからですから。 自分、一人暮らししたはいいんですが、ここ最近人の道を外れていたような気がするんですよ。いろいろな面で。何かを叶えようとして無理に叶えてしまった、というか。黒魔法を使って

サークルを卒業した。

追い出しコンパがあった。 僕はサークルを卒業した。 学校にはあと少し残る。まだ卒業はしない。 アルバムをもらった。 僕は怖かった。悪いことが書かれているんじゃないかって。 でもそんなこと書いてなかった。どれも嬉しかった。 きっと僕に後ろめたさがあったから。 僕が黙っていたこと。僕がやらなかったこと。僕が嘘をついたこと。 もちろんそんなことほとんどやっていない、というよりかはやっていない。 でもそう思ってしまうのは、どこかでもっとできるんじゃないかって期待とそれを実行しなかっ

悩みが幸せに変わったとしたら

僕は幸せなのかもしれません。 一種の満足感を得ています。 前座の話なんですが、最近KOKIAさんの『本当の音』と黒木渚さんの『美しい滅びかた』をよく聞いています。 前者は歌詞の「私は今何を信じていいのか」と「私の棲む世界はこのままじゃあまりにも悲しすぎる」って歌詞がすごく素晴らしくて独りでに感極まることができます。信じるものが何もないって悲しすぎますよ、冗談抜きで。こういう世界に至る人は多くはないかもしれませんが。人の死より悲しいです(って書こうとしたんですけど比べるの

内面化・チャイルドフッド・悩み・思考・実践

自分をマクロな視点で捉えたいと思っているが、ある程度進まないと自分は見えない。 自分はあの時からずっと変えようとしてきた。もちろん一貫してその行動ができたわけじゃない。でもそうなろうと心の奥底で思って幾分かそうなってきた。まだまだだけど。 どうやらなんちゃらなんちゃら学(忘れた)というものの見方は人の自由意志や精神論に頼らず、人が本来持つ特性を上手く利用して目的を果たすものらしいのだが、それを知ったって全てが思い通りにはならないだろうと思う。 そもそも人生は思い通りにな

1月を振り返り、今気になっていること

なんなんでしょう。僕はやっぱりよく分からないというか、なんで生きてるのか分からない気持ちになりますね。何を目標にしたらいいのか…といった感じです。 去年ほどではないけど鬱屈した気分になる時もあれば、ならない時もある。 これを書いている今はなっていない。 気分が落ち込んでも落ち込まなくてもたぶんその気持ちは変わらない。 * というわけで、1月の振り返りとしてこの記事を書いていますが、相変わらず僕は僕で変わったところもあれば変わらないものもあります。 今思い返せる限り

その自分、その時を大事に。

たくさん本を買った。過去の自分がバイトしたおかげだ。 書店の棚一面に並ぶ文庫本を見て、ちょっと感動した。 興味を引くものを選んで良いのだ。 もう1つ気づく。これだけある文庫本の中でも自分の興味を引く本とそうでない本がある。 不思議だ。 興味の多い少ないが重要じゃない。 興味のあるなしが重要だ。 興味とはずるい。自分の意志よりも強いからだ。 もちろん自分の意志は興味を制御できる。 でも純粋な興味は自分で消すことができない。 人の中で最も大事なものの1つだと思

自分で決めないから虚無になる

僕はいろんな物事に対してどうせ意味がないという気持ちに陥ることがあります。 でもそんなこと思っても意味はないことは事実です。 それをもう自覚したほうがいいと思いました。 ここいいる自分は変わりません。 自分で決めないというのは当事者意識の問題です。 当事者意識のなさをどう脱却するか、という話になります。 そんな自分ですが、当事者意識のない状況をその状況にいながら認知し、言葉にしていることは評価できます。 今後も自分は度々いなくなってしまうでしょう。幽体離脱してる

2019年の振り返り

2019年は悩んだ年。自我。世界。若者が悩みそうなことについて、ここには書いていないことも含めてたくさん悩んだ気がします。 今なら多少笑いながら言えますが、思い返せば割と冗談抜きで辛かったし、また同じような一年を繰り返せと言われたらそれはまじで勘弁してほしいです。 振り返りをしていきます。そんなわけで少なくとも原因だけは明らかしようと思い、悩みがこじれた原因を考えながら年明けを過ごしました。 悩みをこじらせた2つの背景悩み方の背景には当事者意識のなさと生き方の知識不足が

2019年1月と2020年1月の比較

こんにちは。大学4年。休学中の者です。2019年を振り返り、2020年に期待することについて少しばかりの文字に認めました。 2019年明けにやってたこと2019年はゼミの友達と犬吠埼へ初日の出を見に行きました。車が運転できて楽しかったです。東京タワーの初日の出メダルが欲しかったのですが悔しくもそちらには行けませんでした。 >2020年は念願のメダルをゲット。心残りを叶えることができました。 2019年明けに印象に残っていたこと初日の出ゼミの仲間と見に行ったことです。進路

悩むと見せかけて自己否定をする恐ろしさ

現場の実態をお知らせする記事になっております。当事者が見て独りじゃないと思ってくれたり、自分の状態を言葉にする一助となることを願います。 僕には容赦ない自己否定をしていた過去があります。もちろん自分では悩んでいるつもりでした。でもそれは「自己否定」「自責」「自虐」であり、自分の心を傷つけていただけなのでした。まるで心をリストカットしているみたいに。 以下、自分のどん底を文字にした内省的文章です。 -------------------------------------

課題を頭から離さない。刃から手を離して。

自分を楽にしてしまう。そんな状態に陥らないためのメソッドです。 自分の心は傷つけない。自分の課題を再確認しなければならない。 自分は何を良いと思い何を悪いと思うのか。 問いかければ、イメージのようなものは確実に返ってくる。心は分かっている。 自分を傷つける癖は簡単には抜けないかもしれない。 視界を狭めてしまう前にブレーキをかけてほしい。 上を向くというよりも幽体離脱をする感覚に近い。 今思ったんですけど、自分を傷つけてるほうが圧倒的に楽だったのかもしれません。い

言われてつい泣いてしまった言葉

干支を一回り半するくらい年の離れた人と飲みました。 僕、ずっと言われたかった言葉があるんです。 それをきっと言われた。 悩め。自分の道を進め。という言葉です。 文字にしてしまうとそっけなく感じてしまい正直驚いています。 重要なのはどんな人がその言葉を使うかですよねきっと。人生というものを歩んできて、僕より見えているものがたくさんある人に言われたから、そんな気持ちになったんです。 これまで生きてきて、自分の思っていることが周囲に理解されなくてつらかった。 いや、思

境界性パーソナリティ障害っぽい?

大切な友達をまた傷つけてしまいました。 好きなはずなのに、自分の言動が裏目に出てことごとく相手を傷つけたり、その中に自己愛的な考え方を潜ませていたりする。 まるで不幸のシステムみたいなものが僕に埋め込まれていて、そのシステムの動作によって、半ば無意識に、自分にとって大切ななにかを、傷つけることなんて望んでないのに、傷つけてしまうかのようなイメージです。 繰り返してしまったことで自分ではどうしようもないなという想いが頭をよぎりました。 そんなこんなで「大切な人 傷つけて