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嬉しい、悲しい、頭にくる、楽しい。沢山感情を持って敏感なのは貴方が素晴らしいからです。

家の祖母はキリスト教でした。彼女が無くなった時、僕たちは教会でお葬式をあげたのですが、祖母は家の母親の本当の母ではないので、僕たち自身はキリスト教では無いです。なので初めてなことばかりで少し戸惑ったのを覚えています。

讃美歌を歌ったり、牧師さんの素敵なお言葉を頂けたり、本当に貴重な経験が出来ましたし、大切な人達に囲まれて祖母も幸せそうでした。

その後を追うように祖父が亡くなって、祖父はキリスト教ではなかったのですが、彼自身の要望もあって祖母と同じ場所、同じ牧師さんにお願いをしました。
祖母の時も祖父の時も僕たちは涙を流してお別れをしたのですが、その様子を見ていた牧師さんが

「こうやって遺族の方が涙を流して、亡くなった方に感謝を伝えてくれると、僕たちはそのお手伝いが出来て良かったと思える」

と仰ってました。逆に誰も泣いていないと、自分はしっかりと仕事を出来ていたのか?と不安になるそうです。


感受性が豊かな人ほど自分の繊細な感情に対してコンプレックスを持ちがちです。直ぐに泣いてしまうとか、直ぐに怒ってしまうとか。そんな人は、時に感情がコントロール出来ていないと言われてしまいがちです。

だけど人間は沢山の感情を神様から貰いました。
そして地球上の生物の中で、沢山の物事を感じる事が出来る生き物です。

貴方が多くの感情を感じやすいという事は、沢山の情報をキャッチしやすい。自分の感情をストレートに表現が出来る人。つまり貴方は素晴らしい性質を持っているという事なんですよ。

そんな些細な事で泣くんじゃない。そんな事ぐらいで腹を立てるんじゃない。そうやって時に自分の感情に蓋をする様に言われる事もあります。

でも逆に考えれば、些細な事でも感動できる。些細な事でも感情を爆発できる、喜ぶことが出来る。これって中々出来ない事なんですよ。

感情に蓋をし続ければ感情の出し方を忘れる。
笑うってどんなだったっけ?怒るってどんなんだったっけ?泣くってどうやるんだっけ?こうやって文字に起こしてみましたが、改めて見てみると怖くないですか?

だって今まで当たり前に出来ていた事が出来なくなっちゃう。僕はそんなの辛くて嫌です。

綺麗な景色を見て綺麗だなと感じる事も、感動する映画を見て泣ける事も、嬉しいことがあって飛び上がる程に喜べる事も忘れてしまう。せっかく僕たちが感情というモノを貰ったのに、それを出すことが出来ない。それほど辛い事は無いと僕は思います。

貴方の感覚が人よりも豊かで、人よりも繊細であるならば、貴方の才能なのだと思いましょう。貴方のその性質が駄目だなんて事は無いんですよ。自分を責めて、自分を無理に押さえつける必要性は無いんです。

学生位の頃というのは、素直で天真爛漫に過ごす事が多いでしょう。それが子供らしさとして周囲からは喜ばれます。「やっぱり子供は子供らしくあるべきなんだ」と言われますね。ですが、大人になるにつれて僕たちは責任感がついて回ります。自分がしっかりしないと…。やがて人がついて来て、子供も出来るかもしれません。そうなると自ずと自分の感情をコントロールしなければいけなくなるんです。

感情をコントロール出来ることは素晴らしい事です。責任があればあるだけ、自分をしっかりと制御できなければいけないです。ですが感情を押し殺すのは違うんです。

前回、習慣の話をしましたが、人は常に自分を制御しようと努力します。時に戦わなければいけない場で、弱気になってしまってはいけない。自分を律して立ち向かわなければいけなくなる。ですがそれが普通になってしまうと、自分の感情を殺してしまう。自分を偽って自分を演じている様な、そんな違和感を感じながら生きていかなければいけなくなるんです。

僕は実際に自分の感情を壊してしまった人に会ったことがあります。彼は終始情緒不安定な感じで、笑っていたと思ったら、急に不安な表情を浮かべて、その直後子どもの様に泣きじゃくってしまうんです。境界性人格障害とまではいかないと本人は言っていましたが、彼の過去を遡るとやはり彼の周りの環境が影響していました。

肉親からの虐待。ネグレクト。いじめ。そして彼が最後の取った改善策は自分の感情を押し殺してしまうという事でした。大人になって周囲から解放された頃には、彼の心には深い傷だけが残りました。

心に残った大きな傷はPTSD。所謂トラウマとなって長年引きずり続けているのだそうです。彼がもし、もっと早くそういった環境から逃れる事が出来たのなら?彼はまた違った人生を歩んでいたのかもしれません。ですが、現在では彼の理解者が増え、環境の変化によって少しづつ改善されてきている様なんです。

彼と関わる周りの人たちは口々にこう言います。「彼は本当はとっても優しくて、穏やかな人間だ。」「そして彼はとても感受性が高い。でも彼は自分の感受性を嫌っている様だ」と。

何故僕は感受性が高いという素晴らしい性質を、時に悪く言われて自分自身を嫌う結果にならなければいけないのか?本当に理解が出来ないんですよ。
物事を様々な角度から眺める事が出来ますし、人々が思いつかない事を形に出来る人が多い。世の中の芸術作品や娯楽であっても、そういった人達が思いついて形にした結果なんです。

嬉しい。楽しい。悲しい。怒り。そういった感情をストレートに表現できる。それを形にして人々を共感させて、感動させられる。そんな素晴らしい性質を何故嫌わなければいけなくなるのか?何故それをコンプレックスに思う様になってしまうのだろう?僕はとても勿体ないと思ってならないんですよね。

自分はとても敏感だ。だから弱いんだ、情けないんだ。
そんな事を1ミリも感じる必要はない。むしろどんどん自分を好きになる為に、自分の性質を理解して、感情豊かな自分自身を認めてあげて欲しい。

口でこう言ったものの、じゃあどうすればいいのか?って言われますよね。そうは言っても中々自分を好きになれないし、認める事って難しいです。そんな簡単に自分を認められたら苦労はしないってwあーわかります…。こう書いてても偉そうには言えません。

でも何かに対して本気で取り組んでみた時に、うまくいった、嬉しいやったー!とか、上手くいかなかった、悔しいムカつく!って素直に感情が湧いてくる。一瞬でその感情を感じ取れる。そうなった時に「ああ自分て本当に感情が豊かなんだ」って感心するんですよ。

人から何かをしてもらった時も、嬉しい!ありがとう!って直ぐに反応できる。そうすると相手は喜んでくれるんです。ああこの人にやってあげて良かった。と思って貰える。

逆にネガティブな感情が湧いてくれば、これは自分には合わない、どうやっても上手くいかないと思ったら気持ちを切り替える事が出来る。そうすると次はこれをしたいとか、次はこういう風にしてみようとか意外と簡単に気持ちを切り替える事が出来るんですね。この人は嫌な事をしてくる、この環境は自分に居心地が悪いと思えば、直ぐに離れる事が出来るんです。

そうするとこの人は自分の意見をしっかりと持っている。決断が早い人だ。フットワークが軽い人だと思って貰えるんです。正面から見ればネガティブに見える事でも、ちょっと見方を変えれば長所となれる。

時には責任感がないとか、子供っぽいとか言われる事もあるでしょう。でもこれから沢山生きていく為の選択肢が増えていきます。もっと生活を豊かにする為に知恵を出して、楽しく生きていく事も出来る時代が来ます。
そうなった時に、自分の気持ちをストレートに表現出来る事は、非常に強い武器となるんです。

人生何処かに妥協したり、諦めたりしなければいけない部分もあります。ですが自分を抑え込んでしまうとは違うんです。自分を高めていくと同時に、自分の持つ様々な可能性に気がついていけると良いと僕は思います。


感情豊かな事は恥ずかしい事ではない。寧ろ誇れる自分の長所だと思って下さい。そんなストレートではっきりとした貴方の素晴らしさは、きっと人を惹きつける武器になれる筈です。自信を持ちましょう!


それではまた🤝🤝🤝

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