それでも、あくまでも自分でいられる場所に住む。

《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》は、2度目のお盆を迎えようとしています。オープンから1年4ヶ月ほど経った今も、ますます多くの人が集いつづけ、新しい住人がどんどん入れ替わりながら増えているし、訪問者数も延べ3,600人を超えました。

それだけ多くの人が行き交うと、刺激を受けすぎて、ともすれば他人の生き方や考え方に引きづられていきそうに思われるかもしれません。でも、ここにしばらく身を置く人たちは、いろんな事柄を鵜呑みにせず、頭のなかで最適化して、かえって自我が際立って確立されているように感じます。

逆に、極めて『右にならえ』的で失敗も許されないような場所だったら、どうしても個性を抑えこまないといけないでしょう。

以前、ギルドハウス十日町に7ヶ月くらい住んでいた母娘。まだ小さい娘なのに人の出入りが激しい場所にいると、精神が不安定になるんじゃないかって周囲に心配されたそうです。でも、そのお母さんいわく、かえって我が子の個性が確立されていったように感じたとか。

自分は、自らが『死ぬまで楽しく暮らせる家』となるようギルドハウス十日町を作り、44歳でセミリタイアと言いますか《住み開きの隠居生活》に入りました。以降、ふだんはとことん引きこもりで何もしませんけど、気が向けばふらっと旅したりしています。あくまでも自分のやりたいように、したいように。

あるとき、

「西村さんにこれをあげますよ」

旅先で出会った人が、こんな絵本をくれました。

フランスの作家、レオポルド・ショヴォー著『いつまでも、鰐』。

「ぜひこの場で読んでみて!」と言われたので読んだら、まるで自分の人生みたいだな、と思いました。おそらく読み手によってまったく異なる感想を抱くような不思議なショートストーリー。老いた鰐(わに)が、周囲にどう扱われようとも嫌われようとも、あくまでも、それでも。。。そして物語の最後には神として崇(あが)められるようになって。

この生き方が正しいかどうかなんてわからない。けれども、とことん自分のために作ったギルドハウス十日町が、共感するだれかのためにもなって。

「ギルドハウス十日町があって救われた」

「また来てもいいですか?」

そんなことを言われるたびに、とてもうれしく思います。

いろんな生き方や働き方が、人通りの多い交差点で、ただすれ違うだけでなくちょっと立ちどまり交流しながら。そして、右にならえでなく自我が際立っていき、何かを思ってか交差点から進む方向を選んで歩き出していく。

しばらくすると、再会のときがめぐってきます。いつも交差点のわきっちょでのんびり座っている自分にとってみたら、まるで息子や娘といった親せきたちが実家に帰ってくるかのようにうれしいものです。

もうすぐ誕生日の8月15日。またひとつ老いていきます。

これからも。

それでも、あくまでも自分でいられますように。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。