デビュー前のDA PUMP
1997年、「ヒップホップコンセプトのアイドルグループ」としてデビューしたDA PUMP。本来のアイドルグループとは違い、R&Bやダンスミュージックのテイストを取り入れた新たな新境地を確立し、非ジャニーズ系の男性アイドルで初めて成功したグループという評価を受けた。そんな彼らはどのような経緯で結成されたのか?
ライジングプロダクションは、1985年に芸能プロモーターの平 哲夫が荻野目洋子と共に設立。荻野目洋子でヒットの法則を掴んだライジングプロは主に「女性アイドルのプロデュースを中心に展開する事務所」として知名度を上げる。1980年代後半から「アイドル冬の時代」と言われる状況の中で観月ありさ、SUPER MONKEY'S、安室奈美恵、MAX、SPEED、知念里奈、D&Dといった女性アイドルをたくさん送り出した。一方で同時期には男性アイドル人気も下火となっており、低迷期を迎えていた。そんなとき、ジャニーズ事務所からデビューしたSMAPが1994年頃からブレイクする。その後に続いてTOKIO、V6、Kinki Kidsといった後輩グループもデビューして"男性アイドル"の人気が復活した。当時のライジングプロダクションは、安室奈美恵やSPEEDといった女性アイドルが成功を収め、事務所としても資金力・営業力共に絶頂期だった。その勢いに乗ってライジングプロダクションは「SMAPの対抗馬」となる男性グループを売り出すことにした。
そこで当時、ライジングプロダクションと協力関係を結んでいた沖縄アクターズスクールから「歌もダンスも上手い男の子たちがいる」との話を聞きつけ、ライジングの平 社長が養成所へ訪れたところ、m.c.A・Tの楽曲で踊っている4人の練習生がいた。平 社長はこの4人をアイドルグループとしてデビューさせることにする。
当時のメンバーは、玉城幸也・奥本 健・宮良 忍・邊土名一茶。当初は玉城幸也と奥本 健が「KEN&YUKINARI」というデュオを結成し、2人組で活動していたのが始まり。その後に宮良 忍が合流して3人組のバックダンサーチームとなり、最後に邊土名一茶がボーカルとして加入し、4人組となった。DA PUMPは、一般的にはISSAのためのグループだと思われているが、本来は初期メンバーであるKENとYUKINARIの2人を中心に結成されたグループである。
結成当初は「KOOZ」というユニット名で、名前の由来はメンバーたちの「俺たちはクズだ!(まだプロになっていない状態)」という意味からクズ = クーズ = KOOZと名付られた。
★玉城幸也
もともとは野球少年であったが、中学生になると不登校となり学校も行かず何もすることがなかったときに親戚の家に遊びに行ったところ、そこに沖縄アクターズスクールのマキノ校長がおり、「学校行ってなくて暇なんでしょ?だったら養成所に入ってみないか?」と誘われたのがきっかけで沖縄アクターズスクールに入学した。またアクターズスクール在籍当時は、牧野アンナのような振付師や指導者になるのが目標だった。そのため、DA PUMPのデビューが決まった際、本人はデビューを拒否したが、養成所の生徒たちから「一度、デビューしてみてダメだったらアクターズに戻ってくればいいじゃん」と説得され、デビューを決めたという。
★奥本 健
中学生の頃に友人と一緒に沖縄アクターズスクールのレッスン風景を見に行ったところ、友人が養成所に通う事になり、自分も「好きなものを見つけるきっかけ」だと思って入学。また、沖縄アクターズスクールと同時に別のダンススクールにも通っており、地元のダンス仲間などと一緒にストリートでも踊っていたことがあったという。
★宮良 忍
もともとはアイドルではなく、ミュージシャン志望であり、中学生の頃に音楽の授業で音楽に興味を持ち母親からギターを習いバンドを組んでいた。しかし、テレビで観た「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」内のダンス甲子園やL.L.Brothersなどに影響を受け、次第に歌って踊ることにも興味を持つようになった。その後、高校へ通うため、那覇市にやってきて沖縄アクターズスクールに入学した。
★邊土名一茶
幼稚園へ入るころに沖縄アクターズスクールに通い始め、子役として活動していたが、一度はアクターズスクールから離れた。その後、中学1年生の時に先輩が踊っている姿を見て友達とダンスを始める。高校3年生の時、母親からもう一度アクターズスクールを勧められ見学したところ面白そうと感じ再び通い始め、再入学から3週間後にKOOZのメンバーとなる。沖縄アクターズスクールに再入学する前の中学生~高校生時代は、沖縄県那覇市で「エクスペルギャング」というダンスチームで活動していた。
ライジングプロダクションの平 社長は、m.c.A・Tの楽曲でパフォーマンスを披露していた彼らを見て「間違いない!絶対、売れる」と確信したという。また、彼らを売り出すことに関してもまったく苦労しなかったと語っている。「KOOZ」という名前を付けた後、「Billy The Kids」と改名、名前の由来は沖縄アクターズスクールのマキノ校長が「お前たちはビリっけつだっ!(まだレベルが低い)」という意味で命名したものでアメリカ合衆国・西部開拓時代のアウトロー、強盗である"ビリー・ザ・キッド"にもかけている。ビリー・ザ・キッド+10代(子供)+ビリっけつ! = ビリー・ザ・キッズ。
デビュー前から「今年もよろしくワイドショー福袋スペシャル(フジテレビ)」、「ルックルックこんにちは(日本テレビ)」などのテレビ番組やワイドショーで紹介されたり、月に1度、六本木のヴェルファーレで開催されていたイベント「J-pop Night」への出演、大阪と名古屋でZeppツアーを行うなど話題を集める。
そして彼らのデビューは邊土名一茶が他の3人と合流してから2週間後に決定した。ライジングプロダクションの平 哲夫氏から「君たちデビューすることになったから」と言われ、1996年11月、4人揃って上京する。デビューするに当たってグループ名を再度、改名することになり現在の「DA PUMP」となる。DA PUMPという名前は、「DA」は「THE」のスラング、「PUMP」は「JUMP」で「音楽にのって飛び跳ねる仲間」という意味で名付けられた。また本来は、改名前のBilly The Kidsとしてデビューする予定だったが、「名前が長すぎる」・「ファンの人が名前を呼びにくい・覚えにくい」との理由で変更することになった。さらにメンバーが当時、人気絶頂だったSMAPのファンだったことから「SMAPさんのように分かりやすい名前にしたい」という意味もあったという。そのため、SMAPとDA PUMPは名前が酷似している点が見られ、SMAPの「スポーツと音楽をするために集められた人々」とDA PUMPの「音楽にのって飛び跳ねる仲間」という意味合いと、ストリート的な要素を取り入れ、ロックダンスを頻繁に踊るグループという点なども共通する部分がある。衣装に関しても普通のカジュアルな服だと田舎から上京したてって感じがするため(デビュー前はナイキのジャージを着用して踊っていた)、都会的なスーツを選んだ。