世間一般では現在、コンプライアンス・自主規制が厳しくてテレビで女性の裸やお色気的な番組を放送してはいけないと思っている人が多いと思います。その一方で、「昔はテレビに規制がなかった」・「規制が緩かった」・「今では考えられない」・「昔はコンプラが無かった」といった意見も多く見られる。
しかし、これは間違いである。
基本的に地上波の放送基準では「裸を放送してはならない」という規則はなく法律上、問題もありません。裸を映すかどうかは、あくまでテレビ局それぞれの自主的な判断に任されています。昔はインターネットやSNSがなかったため、当時は気付かなかった人が多いと思いますが、実は昭和の頃からテレビ放送における「コンプラ」・「自主規制」は存在していたのです。
●1960年代から¨エロ¨を扱う番組には風当たりが強かった
1953年にテレビ放送が開始された後、1958年に民放連が自主的に「テレビ放送基準」を策定し、1969年には現在のBPO(放送倫理・番組向上機構)の前身である「放送番組向上委員会」が設置された。それに加えて、郵政省(現:総務省)、PTA、国会、などの多方面でも¨性的表現¨や¨裸体¨を扱う番組に対して厳しいチェックが行われていました。
1969年に日本テレビで放送された「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ!」は、ゴールデンタイムの放送で、観客、または視聴者にも小中学生などの未成年者も多かったため、「子供が野球拳をマネする」などの苦情も相次ぎ、当時の自主規制により1年間で終了した。
1975年、政治家の宮本顕治が「11PM」や「独占!男の時間」に代表される女性の裸体を売りにした番組が多いという現状に憤り「今の商業テレビ界には女性を軽視した番組、ポルノ番組が満ち溢れている」と批判。この発言をきっかけに当時、放送中だったお色気番組が終了に追い込まれた。
●1975年の地上波の自主規制
上記のように1975年当時から、このような自主規制が制定されていました。
テレビ放送における自主規制とは「エッチな番組を放送してはいけない」・「女性の裸を放送してはいけない」という意味ではありません。あくまで放送におけるルール、つまり学校で例えれば教科書のようなものなんです。教科書に書いてあることに従って行動・勉強してくださいと言われているようなもの。
それをテレビに置き換えると、自主規制=コンプライアンスとは?
「放送基準・自主規制という規則を厳守した上で裸を放送してください」という意味なのです。つまり公共の電波のルールの範囲内で女性の裸やエッチな番組を放送することは許可されており、違反になりません。
放送のルールを破った内容、自主規制を守らずに放送されたものが規制されていくわけです。それは昭和の頃から令和の今でも同じなのです。