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ホワイトスネイクとスリップノットをつなぐミッシングリンク──スキッド・ロウ再評価

5月中旬から6月頭にかけて、スキッド・ロウがアメリカで4公演を行った際の動画は、YouTubeをザッピングしているときにたまたま目にした。ヴォーカルには、ヘイルストームのリジー・ヘイルをフィーチャーし、セットリストは初期のナンバーがメイン。マジでひっさしぶりに彼らを聴いた(観た)けど、これが……素晴らしくて、驚いてしまった。

1989年のアルバム・デビュー以降、バンドの顔だった超美形のセバスチャン・バックが96年に脱退後、直近のフロントマンは4人目だったが、この3月に健康上の理由で脱退したので(全然追っかけていないのでそれぞれの名前は知らない)、かねてからバンドメンバーと交流があったリジーがリリーフを務めた。彼女のインスタによると、正規加入ではなくワンポイントのようだ。ヘイルストームで”Slave To The Grind”をカバーしていたリジーにとって、スキッド・ロウはヒーローだったんだろう。

それはともかく、上掲の名曲”Youth Gone Wild”なんだけど、まさに全盛期のスキッド・ロウ、あるいはセバスチャン・バックのエナジーが蘇生したかのようだ。リジーには華がある。メンバーからは笑顔がこぼれるけど、懐メロっぽさは微塵もなく、バリバリに音が立っている。中年たちが(リジーも若く見えるが40代)”We are the youth gone wild!”と叫ぶわけだが、全然フェイクじゃない。うん、ここにはバンドマジックがあるね。

YouTubeのコメントにこういうのがあった。

I hadn't gave 2 shits about Skid Row since Sebastian left, but I'd pay to see them with Lzzy Hale

(セバスチャンが去ってからはスキッド・ロウのことなどまったく気にしていなかったけど、リジー・ヘイルをフィーチャーした彼らなら金を払ってもいい)

思わず笑ってしまうが同感。ワンポイントリリーフというのがもったいないぐらいだよ。

俺が貪るように聴いたのは、大ヒットしたデビュー・アルバム『Skid Row』とセカンド『Slave To The Grind』だけだが、やはりこの2枚は特別だ。

『Skid Row』
『Slave to the Grind』

そもそも、同郷のジョン・ボン・ジョヴィのサポートを受けて鳴り物入りでデビューしたニュージャージーのバンドで、世界制覇したボン・ジョヴィの後継というイメージもあって、しかもヴォーカルがアイドル的な美貌だったので、コマーシャリズムと見なされるファクターは少なくなかったのに、肝心の音楽はハード&ソリッドで男臭く、とはいえ随所で聴かれる荒っぽくもきらびやかなコーラスワークはボン・ジョヴィのメソッドを使っていてかなりキャッチーでもあって、そりゃ売れるのも不思議はない……といった錯綜した二重性が彼ららしさだった。

当時は、80年代に一世を風靡したLAメタル、ヘアメタルとも同列視されていて、確かにバッドボーイズ的なムードとルックは一見すると共通していたけど、基本的に女たらしでチャラかったLA勢とは確実に一線を画していて、実はロック(音楽)バカで硬派だったと思う。そこはブルース・スプリングスティーンから連なるニュージャージーのスピリットかもしれない。

純粋に音楽性の面でも、1stや2ndの頃はオリジナリティが高く、比肩すべき対象がなかなか見当たらないのは強調しておきたい。前述したように、ボン・ジョヴィの弟のような出自だけど、兄のはじけるようなポップネスとは遠いところに位置する。ブルースの要素があまり見当たらないのは、ガンズ・アンド・ローゼズらとの明白な違いでもある。ダークでマイナーな響きは、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンなど英国発のNWOBHMとの連関も窺えるが、あそこまでの様式感は薄い。パンクがルーツにあるのは確かだが、もっとヘヴィ。といってスラッシュ・メタルなどのハードコアなバンドにはない垢抜けたリフやメロディがある……と、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルの正史において同系統と見なされがちなバンドのどれとも似ていない。

あえて言うなら、先輩のボン・ジョヴィよりも、イメチェンしたホワイトスネイクのモンスター・アルバム『Whitesnake』(87年)の隠然たる影響に気付くべきだ。ツェッペリン的な見得を切るグルーヴを分厚くコーティングしてゴージャスにした本作のサウンド・デザインは、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルのパースペクティヴを一気に押し広げたが、その正統な後継者は、実はスキッド・ロウではないか。

スキッド・ロウの特色のひとつが、ハード・ロックらしからぬ横揺れのグルーヴだった。1stではそこまで顕著ではないけれど、”Here I am”はいわゆるファンク・メタルっぽいし、2ndの“Monkey Business”、”The Theat”、”Psycho Love”、”Creepshow”あたりは、ファンク・メタルの意匠を超えて、極めて特異なメタル・グルーヴを繰り出している。

むしろ、ちょうど彼らがデビューしたときに台頭していたミクスチャー・ロック勢との共振が認められる。レッチリやフェイス・ノー・モア、リヴィング・カラーとスキッド・ロウは、実は近い。リアルタイムのリスナーだった俺の実感なので異論は認めない(笑)。

別の観点では、スキッド・ロウはパンテラがブレイクする土壌を用意したとも言える。すなわち、スキッド・ロウ『Skid Row』(89年)→パンテラ『Cowboys from Hell』(90年)→スキッド・ロウ『Slave to the Grind』(91年)→パンテラ『Vulgar Display of Power』(92年)と、1年ごとに交互にリリースされたのは美しい偶然だった。

要するに、パンテラを経て、90年代末のスリップノット登場に連なるモダン・ヘヴィネスの源流には、スキッド・ロウというマグマがあったのだ。その割に、明らかなチルドレンはいなかったように思う。ボン・ジョヴィもデフ・レパードもガンズも、全盛期の同時代に数多くの亜流を生み出したが、次代に向けてそれほど種を蒔けたわけではなかったのとは対照的である。スキッド・ロウのロック・シーンへの貢献は、もっと再評価されていい。彼らの近況に触れ、あらためてそう思った。


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