Step Across the Border

表象批評。映画、音楽、美術、デザインあたりを横断的に。「境界」を見つめて、勇気を出して…

Step Across the Border

表象批評。映画、音楽、美術、デザインあたりを横断的に。「境界」を見つめて、勇気を出して飛び越えたい。固有名詞が分からない人にも主旨が伝わるレビューを目指します。

最近の記事

ちょっとディープな京都2024(鷹峯界隈と修学院離宮)

前回投稿した村上隆展以外も、京都を少し周ってきたので、その記録を残しておこうと。 今回の主な目的は、本阿弥光悦ゆかりの地・鷹峯を巡ること。今年初めにトーハクで開催された『本阿弥光悦の大宇宙』展を観て、あの美意識のルーツをこの目で確かめてみたかったんです。 ①常照寺 光悦が土地を寄進して開創された学寮(僧侶の養成所)だそう。だからなのかけっこう素朴。といっても、初めに山門(赤門)が見えてくると一気に雰囲気が出てきます。この山門は、才色兼備の名妓、二代目吉野太夫が寄進したも

    • いつものとおり、悲しくなっちゃった。『村上隆 もののけ 京都』展

      村上隆の個展となると、「一応観ておかなきゃな…」と妙な義務感に襲われてしまう。良くも悪くも。ということで、関西方面の出張のついでに、京都市京セラ美術館の『村上隆 もののけ 京都』展へ。 なんといっても彼はバリバリの現役。2015~2016年に森美術館で開催された『村上隆の五百羅漢図』展と同様、新作が多く出品されている。しかも村上によると、海外から主だった過去作を借りてくる際のコスト高を回避するため、美術館側からのリクエストがあり、会期中にも並行して京都を題材にした新作を描き

      • ポストロックのギグのようなイマジネーションとダイナミズム。Nik Bärtsch’s RONIN来日公演

        スイスのピアニスト、ニック・ベルチュ率いるユニット‟RONIN“の東京公演は、バンドメンバーの高い集中力がエキサイトメントに直結するジャズの醍醐味を存分に味わわせてくれた。 内省的なムードを内包しつつ、タイトでソリッドな変拍子を主眼としたミニマル・ミュージック。5、6、7、10拍子あたりは確認できたが、もっと複雑なパターンもあったかもしれない。ベースがエレキなのがポイントで、ウッドベースでは出せないコンテンポラリーなグルーヴを求めていることがよく分かる。僧侶のような面立ちの

        • 世界がアンゼルム・キーファーを求める理由

          『PERFECT DAYS』からそれほど間を置かずに届けられたヴェンダースの新作は、同じドイツ出身の美術家、アンゼルム・キーファーのドキュメンタリーである。 両者が知り合ったのは1991年。キーファーの映画を撮る話は当初から持ち上がっていたそうだが、2019年に南仏・バルジャックのキーファーの拠点をヴェンダースが訪れたことが、具体的な始動のきっかけとなった。その広大な敷地の光景を目の当たりにして、ヴェンダースは「今なら映画が作れる」と思ったというが、確かにそれも不思議ではな

        ちょっとディープな京都2024(鷹峯界隈と修学院離宮)

          花束の写真の謎。『ブランクーシ 本質を象る』

          ブランクーシと言えば、個人的には横浜美術館に常設されている《空間の鳥》。訪れるたびにいつも目にしていて、ありがたみが薄れていたというのが率直なところだが、今回アーティゾンで出会って少し意表を突かれた。 ブランクーシの回顧展は日本初だという。「彼の作品を集めるのは容易ではなかった」と会場の挨拶文には記されていた。理由までは詳しく分からない。大型なものが多いとか、散逸しているとか? 目玉の彫刻作品は20点程度で、彼やその作品、工房をとらえた記録写真が50点以上と最も多く、本人と

          花束の写真の謎。『ブランクーシ 本質を象る』

          神の怒りではなく動物の祟りというオリエンタリズム。『悪は存在しない』

          『悪は存在しない』では、映画史が積み重ねてきたショットの美学が追究されている。ゴダールやアンゲロプロスの「いいとこ取り」はどうしても鼻につくが、そんな高踏的な「いいとこ取り」をやって一応さまになる現役の監督が世界にどれだけいるかと問うならば、やはり濱口竜介の希少価値の高さは否定できない。 固定でのロングショットやワンカットの移動ショットで、高原の町の生活を写し取る。主人公の匠が淡々と巻き割りを続ける様子は、フィックスのワンシーン・ワンカットしかない。そんな迷いのなさがひしひ

          神の怒りではなく動物の祟りというオリエンタリズム。『悪は存在しない』

          ロックでキャッチーなミニマリズム。『カール・アンドレ 彫刻と詩、その間』

          久しぶりに訪れたDIC川村記念美術館は、記憶よりも長閑なロケーション。緑に癒されたね。そこでのカール・アンドレがまたしっくりくるというか、鎮静剤のような効き目があった。 同一規格の鋼板や石、木材を規則的に敷き詰めたり積み上げたりするミニマル・アート。では、無機質かというとそんなことはなく、汚れやシミ、傷などはそのまま残されていて、ネイキッドな素材感が印象的である。作品によっては上を歩いてもいいという「ささやかな体験型」が楽しい。 作家の感情や主張をくみ取る必要がないのがミ

          ロックでキャッチーなミニマリズム。『カール・アンドレ 彫刻と詩、その間』

          ホワイトスネイクとスリップノットをつなぐミッシングリンク──スキッド・ロウ再評価

          5月中旬から6月頭にかけて、スキッド・ロウがアメリカで4公演を行った際の動画は、YouTubeをザッピングしているときにたまたま目にした。ヴォーカルには、ヘイルストームのリジー・ヘイルをフィーチャーし、セットリストは初期のナンバーがメイン。マジでひっさしぶりに彼らを聴いた(観た)けど、これが……素晴らしくて、驚いてしまった。 1989年にアルバム・デビュー。バンドの顔だった超美形のセバスチャン・バックが96年に脱退後、直近のフロントマンは4人目だったが、この3月に健康上の理

          ホワイトスネイクとスリップノットをつなぐミッシングリンク──スキッド・ロウ再評価

          90を超えた映画作家が不遜を貫いたというだけで目が眩む。『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』

          「まるで絵のように、肖像画のように…」とゴダール自身の声が響く。「…もう一度、映画を撮るとしたら、映画作りに精通した上で、メルヴィルの『海の沈黙』のように…」と続いたところでブツッと断ち切られるのはいかにも彼らしい編集である。しかしながら、小狡いおあずけなどではなく、これで主張のほぼ100%が伝わる親切設定となっているのは、ゴダールとしては珍しい。 2022年9月13日に自死した彼の遺作『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』は、20分ほどの「予告編」との扱いである

          90を超えた映画作家が不遜を貫いたというだけで目が眩む。『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』

          エディ・スリマンの現在地から連想したこと。

          セリーヌ退任の噂が絶えないエディ・スリマンが、2024 WINTERのメンズコレクションをビデオで発表して話題だ。当然のことながら、ビデオの監督もエディ本人である。そして、すごく予算がかかってそう…。 テーマは「SYMPHONIE FANTASTIQUE」で、ベルリオーズの幻想交響曲にちなんでいる。ビデオのキャプションによると、エディは11歳のときにこの曲と出会って魅了されたという。さらに、「史上初のサイケデリックな交響曲」と評したバーンスタインによる著名な解説も添えられて

          エディ・スリマンの現在地から連想したこと。

          アートはもっとしどけなく、放縦であってもいいんじゃない? 第8回横浜トリエンナーレ

          横浜トリエンナーレは、2011年の第4回から毎回通っている。同時代のアートの動向、もっとざっくばらんに言えばキュレーションの「気分」のようなものを、3年ごとに定点観測できるいい機会なのだ。 第8回となる今年のアーティスティック・ディレクターは、リウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)の2人で、ともに中国出身。コンセプトの「野草:いま、ここで生きてる」は、魯迅の詩集『野草』(1927年)に由来するという。観る側としては、あまり深く考えず、「野草」から自由にイメ

          アートはもっとしどけなく、放縦であってもいいんじゃない? 第8回横浜トリエンナーレ

          スティーヴ・アルビニに続く才能は、あまり見当たらない。

          スティーヴ・アルビニ逝去。享年61は早すぎる。ミック・ジャガーやイギー・ポップがあんなに元気にピンピンしているのが、恨めしくなるほどだ。 小野島大氏は、以下のように指摘する。 1986年において、アルビニ率いるビッグ・ブラックの『Atomizer』と、ミニストリーの『Twitch』が、同種のノイズを鳴らしていたのは、ロック史の重要なトピックだと思う。 "Kerosene"の4分46秒~と、"Where You at Now? / Crash & Burn / Twitc

          スティーヴ・アルビニに続く才能は、あまり見当たらない。

          ドラクロワを模写していたというミステリー。『マティス 自由なフォルム』

          国立新美術館でのマティス展。昨年、東京都美術館で回顧展があったので、またですか?という感じではある。昨年の展覧会のレビューは以下。 大きな違いは、昨年はポンピドゥー・センター、今回はニース市マティス美術館の協力ということ。後者は、切り紙絵のコレクションが充実しているそうで、それに関連した展示が多かった印象がある。日本初公開の大作《花と果実》が話題だ。 みんな大好き《ジャズ》も再登場。《ジャズ》のオリジナルは、1947年に270部限定で刷られたというので、昨年とは別のシリア

          ドラクロワを模写していたというミステリー。『マティス 自由なフォルム』

          自問には意味はあるが、そこで終わっては意味がない。『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』

          本日(5/12)終幕。出品者の飯山由貴が、内覧会でイスラエルのガザ進攻に抗議し、美術館の支援企業を名指しで批判したことでも話題となった企画展だ。 タイトルの『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』は、ドイツの作家ノヴァーリスが、18世紀末に書き記した以下のような文章に依拠している。 国立西洋美術館は、「現在」ではなく「過去」、「東洋(日本)」ではなく「西洋」の作品が集められている。そのような収蔵品に、現代を生きる日本のアーティストの作品を組み込んで展示

          自問には意味はあるが、そこで終わっては意味がない。『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』

          人間の営みは静謐である。『没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる』

          没後50年記念の回顧展。木村伊兵衛について、「日本のアンリ・カルティエ=ブレッソン」と称するのは、少し強引だがあながち間違いではない。1954年のヨーロッパ取材時、実際にパリでブレッソンと面会を果たし、親交を結んでいる。木村は、念願だった渡欧によってむしろ志向に迷いが生じてしまったそうだが、ブレッソンとの語らいによって、自己の進むべき方向をあらためて見出したという。その折に木村がブレッソンを撮ったショットは、ブレッソンのWikipediaで掲載されているもので、会場でも展示さ

          人間の営みは静謐である。『没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる』

          やっぱり応挙にやられた。『皇室のみやび―受け継ぐ美―』第3期:近世の御所を飾った品々

          2023年11月にリニューアルした三の丸尚蔵館。2024年6月まで、4期に分けて記念展『皇室のみやび―受け継ぐ美―』が開催されている。当館に収蔵された名品を順次紹介するコレクション展シリーズであり、再出発にあたって、まずは景気付けといったところか。 ずっと行きたいと思いつつ、なかなか足を運ぶことができていなかったが、ようやく第3期(5/12マデ)に駆け込むことができた。 ”近世の御所を飾った品々”と銘打たれた第3期。日本における「近世」は、一般的には豊臣政権の頃を始点とす

          やっぱり応挙にやられた。『皇室のみやび―受け継ぐ美―』第3期:近世の御所を飾った品々