Step Across the Border

いわゆる表象批評の試み。音楽、美術、映画、デザインあたりを横断的に。ライヴや展覧会、映…

Step Across the Border

いわゆる表象批評の試み。音楽、美術、映画、デザインあたりを横断的に。ライヴや展覧会、映画館などに出かけての「現場レビュー」がメイン(本来は書斎派だがネタを絞れなくなりそうなので)。固有名詞が分からない人にも主旨が伝わるような内容を目指しています。本業は広告制作。

最近の記事

時空の変化に身を任せて。『フィリップ・パレーノ:この場所、あの空』

ポーラ美術館は、観光や温泉目的で箱根にやってきたであろう家族連れやカップル、グループ客でそこそこ混雑していた。「鑑賞」するためにここにいる人は少ないのだろう。しかしながら、それぐらい肩の力が抜けている方が、フィリップ・パレーノの特質を感得するには有利に働くと思われる。 1964年生まれで、フランスの現代アートを代表するパレーノの主要な作品はインスタレーションである。そこでは、完成形として固定化されたものは少ない。オブジェが動いたり、映像や音が流れたり、不意に光が入り込んだり

    • 聖と俗を丸ごと飲み込んだ才人。『没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―』

      若い頃から才能に溢れていたが、束縛を嫌って少しはみ出していて、社交的で顔が広く、気さくだが遊びは派手で、権力ににらまれ冤罪同然で無期懲役を食らうも運よくシャバに戻り、原点回帰で仕事に励み、天寿を全うする。そんな波乱万丈の人生を送った才人が描く世界が、魅力的でないはずがない。 英一蝶の没後300年を記念する大回顧展。前期・後期で展示に入れ替えがあって、できればどちらも見ておきたかったが、後期にだけ足を運ぶことができた。ヘッダーの画像は、撮影可の《舞楽図》。 狩野安信に弟子入

      • ポストインターネット時代のリアルな感覚。『Nerhol 水平線を捲る』

        Nerhol(ネルホル)というユニット名が面白い。アイデアを「練る」「彫る」を組み合わせた造語だという。グラフィックデザインをベースとする田中義久(1980-)と彫刻家の飯田竜太(1981-)の二人組。2007年に活動を開始している。 特に注目されたのが、百回単位で連続撮影した人物写真の印画紙を積み重ねて、一枚ずつ彫った立体作品である。そのほか、植物を素材にした多角的なアプローチや、既存の写真・映像のアーカイヴの活用など、現代的な問題意識の下に活動の地平を広げてきた。202

        • この知的暴力を正面から受け止められるか?──コンヴィチュニー演出・二期会『影のない女』

          1回のスワッピングでどっちにも子がデキちゃった話。R.シュトラウスのオペラとは到底思えない? いや、むしろオペラ的なのかもしれない。ペーター・コンヴィチュニー演出による二期会『影のない女』は、いつもの彼らしく良識派の観客の眉をひそめさせ、げんなりさせる奔放な読み替えで、非良識派の期待に応えた。これがワールドプレミエであることが日本人として誇らしいと感じたのは自分だけだろうか。 舞台は現代。皇帝はギャングのボス、皇后は娼婦のなりで、キャデラック風の車から降りてきて、ピストルの

        時空の変化に身を任せて。『フィリップ・パレーノ:この場所、あの空』

          東山魁夷は風景画家なのか?

          東山魁夷は風景画家なのか? この問いについて、かねてから思うところがあった。先月まで山種美術館で開催されていた『東山魁夷と日本の夏』に足を運び、さらに突き詰めて考えたくなったので、その思考の足跡を残しておく。 この特別展では、同館が所蔵する魁夷の全作品が展示された。スケッチを含めて19点。なかでも白眉だったのが、川端康成からの勧めで、時代の波に飲み込まれる前の京都の風景をとどめるべく制作された連作『京洛四季』だ。 このうち《年暮る》はこの館でたびたび展示されているように思

          東山魁夷は風景画家なのか?

          汗をかかない反骨精神──イマニュエル・ウィルキンス来日公演

          2022年に発表されたイマニュエル・ウィルキンスのセカンド・アルバム『The 7th Hand』は、個人的にはその年のアルバム・トップ10にランクインするお気に入りだ。早く生で観たいと心待ちにしていた来日公演が実現した。 メンバーたちが入場するときから聴衆もノリノリ。「待ってました」的な。俺と同じ心持ちの人が多かったんじゃないかな。 シンプルなワンホーン・カルテットの編成は、セカンドに劣らず素晴らしい出来栄えだったデビュー作と同様。本人のアルトを機軸とした、引き締まったイ

          汗をかかない反骨精神──イマニュエル・ウィルキンス来日公演

          インスタレーションのルーツとしてのカルダーを再発見する。『カルダー:そよぐ、感じる、日本』(落穂拾いレビュー)

          9月上旬に終了したアレクサンダー・カルダー展についても、遅ればせながら記録を残しておく。夏休みの宿題を2学期始まって1カ月半後に提出する気分。 キネティック・アート(動く美術)の創始者カルダーが20世紀を代表する芸術家であるのは論を俟たない。若い頃は職を転々として苦学したが、30代からは売れっ子で、後年も大規模なパブリック・アートで存在感を示し続けた。しかし、彼のようにステレオタイプな「偉大さ」からは距離のあるビッグネームは珍しい。そのことこそが彼の偉大さだったのだ──そん

          インスタレーションのルーツとしてのカルダーを再発見する。『カルダー:そよぐ、感じる、日本』(落穂拾いレビュー)

          古の「映え」が蘇る『神護寺 空海と真言密教のはじまり』(落穂拾いレビュー)

          本日、2024年10月14日はスポーツの日。京都の神護寺では、毎年スポーツの日にあたる10月の第二月曜を含む3連休に、多宝塔に収められている五大虚空蔵菩薩像が特別公開される(春の5月にも同様の御開帳がある)。 今年の7月から9月にかけて、創建1200年を記念した神護寺の特別展がトーハクで開催された。鑑賞記録を残すのをサボってしまっていたのだが、件の五大虚空蔵菩薩像が展示されていたことを思い出したので、せっかくなので落穂拾いレビューを。 初期の神護寺は、最澄と空海それぞれに

          古の「映え」が蘇る『神護寺 空海と真言密教のはじまり』(落穂拾いレビュー)

          素朴でネイキッドな奇跡の82歳──ジルベルト・ジル来日公演

          書きそびれてしまっていたけど、記憶が残っているうちに。 16年ぶりの来日公演。2024年に目黒の区民ホール(といってもかなり立派でしたが)でジルベルト・ジルを見られる幸せを実感した。 といっても、オープニングの”Expresso 2222”では、少し不安な気持ちで彼を見守った。アコギや喉のコントロールに若干おぼつかないところがあって、んんん、大丈夫かな、と。でもすぐに、いやそんなのカンケーねーな、と思い直した。 全体を通して、加齢の影響がなかったと言えば嘘になる。ちょっ

          素朴でネイキッドな奇跡の82歳──ジルベルト・ジル来日公演

          ひらめきと過去への眼差しが普遍性を生む。『デ・キリコ展』

          自ら「形而上絵画」と称したデ・キリコ。「幻想的」や「非日常的」などと形容されるが、彼の作品にまとめて接して感じたのは、今を生きる私たちにとっては、意外にもなじみのある世界ではないのか、ということだった。 とても「今っぽい」とでも言えばいいのだろうか。 典型的な形而上絵画では、緑を基調とした空の下、クラシカルな建造物を伴ったひと気のない広場に、陽射しが長い影を落とし、人形をかたどった「マヌカン」がたたずむ。確かに幻想的だが、数多あるSFの映画やゲームで見かけるような、どこか

          ひらめきと過去への眼差しが普遍性を生む。『デ・キリコ展』

          追悼ビル・ヴィオラ──ナイン・インチ・ネイルズとのコラボレーションを記録・記憶する。

          ヴィデオ・アートの大家、ビル・ヴィオラが去る7月12日に死去した。享年73。 彼の足跡・プロフィールを紹介する記事は、どうしても現代アートの範疇に収まってしまうケースが多いが、海外のニュースでは、音楽とのコラボレーションにも触れられている。 とりわけ、指揮者のエサ=ペッカ・サロネン、演出家のピーター・セラーズと組んだ2004年の『The Tristan Project』は、オペラ界でも高い評価を得た。これはワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』のニュープロダクションであ

          追悼ビル・ヴィオラ──ナイン・インチ・ネイルズとのコラボレーションを記録・記憶する。

          時間芸術を超えて。アンブローズ・アキンムシーレ来日公演

          思索的でありながら知性に堕することなく、確かな体幹を備えたジャズ。終始スリリングなムードが充満するライヴだった。 気心の知れたメンバーとのカルテット編成。アキンムシーレのペットのトーンは、まろやかだが陰りがある。弱音主体で、高らかに鳴らす場面は少ない。それは高度なテクニックあってこそのアプローチであり、息音を活かした特殊奏法らしきものを披露しても、トリッキーさはゼロだ。 ドン・チェリーやグラハム・ヘインズ、または彼が尊敬しているという故ロイ・ハーグローヴの影も見えてくる。

          時間芸術を超えて。アンブローズ・アキンムシーレ来日公演

          ちょっとディープな京都2024(鷹峯界隈と修学院離宮)

          前回投稿した村上隆展以外も、京都を少し周ってきたので、その記録を残しておこうかと。 今回の主な目的は、本阿弥光悦ゆかりの地・鷹峯を巡ること。今年初めにトーハクで開催された『本阿弥光悦の大宇宙』展を観て、あの美意識のルーツをこの目で確かめてみたかったんです。 ①常照寺 光悦が土地を寄進して開創された学寮(僧侶の養成所)だそう。だからなのかけっこう素朴。といっても、初めに山門(赤門)が見えてくると一気に雰囲気が出てきます。この山門は、才色兼備の名妓、二代目吉野太夫が寄進した

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          いつものとおり、悲しくなっちゃった。『村上隆 もののけ 京都』展

          村上隆の個展となると、「一応観ておかなきゃな…」と妙な義務感に襲われてしまう。良くも悪くも。ということで、関西方面の出張のついでに、京都市京セラ美術館の『村上隆 もののけ 京都』展へ。 なんといっても彼はバリバリの現役。2015~2016年に森美術館で開催された『村上隆の五百羅漢図』展と同様、新作が多く出品されている。しかも村上によると、美術館側からのリクエストがあり、海外から主だった過去作を借りてくる際のコスト高を回避するため、会期中にも並行して京都を題材にした新作を描き

          いつものとおり、悲しくなっちゃった。『村上隆 もののけ 京都』展

          ポストロックのギグのようなイマジネーションとダイナミズム。Nik Bärtsch’s RONIN来日公演

          スイスのピアニスト、ニック・ベルチュ率いるユニット‟RONIN“の東京公演は、バンドメンバーの高い集中力がエキサイトメントに直結するジャズの醍醐味を存分に味わわせてくれた。 内省的なムードを内包しつつ、タイトでソリッドな変拍子を主眼としたミニマル・ミュージック。5、6、7、10拍子あたりは確認できたが、もっと複雑なパターンもあったかもしれない。ベースがエレキなのがポイントで、ウッドベースでは出せないコンテンポラリーなグルーヴを求めていることがよく分かる。僧侶のような面立ちの

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          世界がアンゼルム・キーファーを求める理由

          『PERFECT DAYS』からそれほど間を置かずに届けられたヴェンダースの新作は、同じドイツ出身の美術家、アンゼルム・キーファーのドキュメンタリーである。 両者が知り合ったのは1991年。キーファーの映画を撮る話は当初から持ち上がっていたそうだが、2019年に南仏・バルジャックのキーファーの拠点をヴェンダースが訪れたことが、具体的な始動のきっかけとなった。その広大な敷地の光景を目の当たりにして、ヴェンダースは「今なら映画が作れる」と思ったというが、確かにそれも不思議ではな

          世界がアンゼルム・キーファーを求める理由