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追悼ビル・ヴィオラ──ナイン・インチ・ネイルズとのコラボレーションを記録・記憶する。

ヴィデオ・アートの大家、ビル・ヴィオラが去る7月12日に死去した。享年73。

彼の足跡・プロフィールを紹介する記事は、どうしても現代アートの範疇に収まってしまうケースが多いが、海外のニュースでは、音楽とのコラボレーションにも触れられている。

とりわけ、指揮者のエサ=ペッカ・サロネン、演出家のピーター・セラーズと組んだ2004年の『The Tristan Project』は、オペラ界でも高い評価を得た。これはワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』のニュープロダクションであり、ヴィオラは映像を担当。翌2005年のパリ・オペラ座で完全形態のバージョンが初演された。2008年の日本への引っ越し公演でもこの演出が採用されるなど、現在までパリではたびたび再演されていて、成功した現代の演出の一つと認知されている。

それに比べると、2000年のナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)との共同作業については、ジャンルの狭間に埋もれてしまうからだろうか、まとまったレビューらしいレビューはほとんど見当たらない状況だ。だから今回を機に、腰を据えてこの偉業に向き合ってみたいと思う。

1999年にリリースされたアルバム『The Fragile』のリリースに伴い、北米を巡ったライヴツアー「Fragility v2.0」。そのセットリストのうち、“La Mer”、 “The Great Below”、 “The Mark Has Been Made”の スローな3曲のシークエンスで、3つに分割された縦型 LED パネルに投影される映像を提供したのが、ほかならぬヴィオラだ。

このツアーは、『And All That Could Have Been』というタイトルでDVD化されていて、その3曲では、通常のカット割りと併せて、後方正面からの固定ショットによるアングルも選択可能。ヴィオラの映像に集中できる仕様が素晴らしい。さらに、ヴィオラ自身による解説をオーディオコメンタリーとして収録している。NIN=トレント・レズナーのヴィオラへの確かなリスペクトが伝わってくるつくりだ。

『And All That Could Have Been』

では、ヴィオラのコメントに基づいて考察を進めてみよう。

もともとトレントは、このツアーにおいて、エナジーがピークに達したところで一気に沈静化させるシーンが必要だと考えていた。依頼を受けたヴィオラは、そこから「台風の目」をイメージしたという。要するに、嵐と嵐の間、ひと時の静けさのようなものである。

ハイスピードなナンバー“Gave Up”がエンディングに向けて暴走する中、ステージ上部で舞台と平行に収められていた分割スクリーンが少しずつ立ち上がり(以下の動画の30:12あたり~)、フロアと垂直に向き合って、場面転換の準備が整う。

1曲目“La Mer”(31:17~)で、ヴィオラが具体的に導き出したアイデアは、落ちる水滴と水面の波紋だった。さらに、水中をたゆたう女性の姿も印象的だが、それはギリシャ神話に登場する海の魔物セイレーンを意識しているという。歌で船乗りを惑わし死に追いやる怪物と、フランス語で「海」を意味する“La Mer”と、逆光の中でプレイするNINの面々。このトライアングルは言葉を失わせるほど美しい。

次の“The Great Below”(36:00~)では、80年代初頭、ヴィオラが日本滞在時に撮影した日本海の荒波がフィーチャーされた。彼には、3連の分割パネルが日本の屏風に見えたそうだ。やがて、虚空で留め置かれているような一人の男が登場し、上に緩やかに移動して大きな水しぶきが上がる。実際の撮影では飛び込み台で男を宙吊りにしてプールに落下させたが、その天地を逆転させたものだ。

最後の“The Mark Has Been Made”(41:08~)は、渓流の水の中から始まる。ここまでに共通するのは水の要素だ。音楽がヘヴィなリズムのリフレインに移行するのに伴い、映像も激しい急流となり、やがて炎と火花の乱舞に移行。ついには、カームダウンのモードからハイエナジーの地点への回帰宣言として、“Wish”のイントロが鳴り始める(44:55) 。

動→静→動の圧倒的なドラマツルギー。音楽と映像のケミストリーがここにある。ただし、ヴィオラ自身はこうも語っているのだ。

映像が音楽の基盤となるようにしたいと思いました。音楽を説明したり、ビートに合わせてカットしたり、曲の動きを反映させることには興味がありません。ここでの映像は、いわゆるミュージックビデオとは対照的に、音楽がその上で自由に流れたり、高潮したりするための安定した基盤として機能するのです。

DVD『And All That Could Have Been』オーディオコメンタリーより

ここでは、音楽と映像に主従関係はなく、相互作用を企図しているのは明らかだろう。

三分割パネルのアイデアがヴィオラによるものなのかはコメントではよく分からなかった。パネルの間は空間になっており、映像によってはその部分が欠けているというか、隠れているように見えるため、かえってイマジネーションをかき立てるというマジックがある。しかも、「 I I I 」とアルファベットの I が3つ並ぶ形になり、映像を投影する以外に純粋に照明として使用される場面では、NINのロゴを連想させるタイポグラフィーとなっているのは意図的なのだろうか。いずれにしても、そのセンスには脱帽するしかない。

水と火の重視は、トリスタン・プロジェクトでも踏襲された。いやむしろ、NINとのコラボがあったからトリスタン・プロジェクトが結実したのではないか、という言い方もできよう。もっと言うなら、オペラ界より先にヴィオラとのコラボを実現させたNINの先見性はもっと知られていい。

実は、「Fragility v2.0」の前のツアーである「Fragility v1.0」において、一足先に映像付きの沈静パートは取り入れられていた。やはり3曲のシークエンスになっており(第3曲が“The Mark Has Been Made”ではなく“The Way Out Is Through”)、映像はステージ全面を覆う布製スクリーン幕に映し出されていた。

2000年1月の横浜公演のブート映像では、33:53~46:30あたりが当該のシークエンス。正面から全体の映像を捉えていてグッジョブすぎる。

グラフィックデザイナーのデヴィッド・カーソンが提供した素材映像は、海の大波や水しぶきや渦を捉えたもので、ヴィオラと共通するのは偶然だろうか。ただ、カーソンから採用したのは一部であり、顕微鏡の映像などをNIN側で独自に加え、編集したようだ。「Fragility v1.0」はオフィシャルでソフト化されていないが、ブートでは長年出回っていて、すでに件のシークエンスがヴィオラとのコラボを予見させる仕上がりとなっているのが分かる。

そもそも、1994年の「Self Destruct」ツアーで、当時の新曲であり、今では彼らの代表曲としての地位が確立された“Hurt”において、戦争の記録映像や動物の死骸が腐乱する様子などダークな素材をスクリーン幕に投影していたのは、よく知られている。

ピンク・フロイド~U2の流れを汲むNINのステージングは、まぎれもないアートである。21世紀に入ってもそれは洗練の度合いを増し、ツアーのたびに聴衆を驚かせた。来日公演はフェスがメインだったり、単独では中小のハコだったりして、簡略化した演出となっているのが残念ではある。その意味では、上掲の横浜公演の動画でも明らかなように、2000年の初来日時はフルスペックの映像ショーを見せてくれたわけで、貴重な機会だった。

近年は、ライヴショーのハイテク化の流れに抵抗するように、ロウファイで低解像度なビジュアルを提示しているのも、またNINらしい。

ともあれ、ビル・ヴィオラとのコラボレーションがNINをネクストレベルに押し上げたのは間違いない。今回の追悼を機に、この偉大な功績にも再び光が当てられることを願っている。

ちなみにヴィオラは1994年、アンサンブル・モデルンとのコラボレーションで《Déserts》を制作した。エドガー・ヴァレーズの《砂漠》に付けられたこの映像は、初台のNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)に収蔵されていて、館内で視聴可能だ。

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