見出し画像

ポストロックのギグのようなイマジネーションとダイナミズム。Nik Bärtsch’s RONIN来日公演

スイスのピアニスト、ニック・ベルチュ率いるユニット‟RONIN“の東京公演は、バンドメンバーの高い集中力がエキサイトメントに直結するジャズの醍醐味を存分に味わわせてくれた。

Nik Bärtsch’s RONIN

Nik Bärtsch (piano)
Sha (altosax, bass/contrabass clarinets)
Kaspar Rast (drums)
Jeremias Keller (bass)

2024.07.13 (Sat) @ 南青山BAROOM 

内省的なムードを内包しつつ、タイトでソリッドな変拍子を主眼としたミニマル・ミュージック。5、6、7、10拍子あたりは確認できたが、もっと複雑なパターンもあったかもしれない。ベースがエレキなのがポイントで、ウッドベースでは出せないコンテンポラリーなグルーヴを求めていることがよく分かる。僧侶のような面立ちのニックは、スタインウェイのピアノが痛んでしまうのではないかとハラハラするほど大胆な内部奏法を随所で披露。KORGのシンセとの二刀流も目を引くが、器用なパフォーマーというよりもストイックな求道者の姿がそこにある。

なんとなく想起したのは、80年代にスティーヴ・コールマンが提唱・実践したM-BASE理論だ。複雑精緻なファンクネスの志向が双方で共通している。一方で大きな違いもあって、RONINにはストリートの匂いはほぼ皆無。音像は抽象化され、アンビエントな手触りが付加されている。それは所属レーベルECMのパブリックイメージを体現していると言っていい。

アルトとバスクラを兼任するシャーは、バップフレーズをほぼ封印し、繊細な技巧を駆使してモチーフの反復やカラーリングに腐心していた。バンドサウンドに奉仕する「コーダル」な装置としてホーンが位置付けられているのは、ジャズとしては珍しい。

インタープレイの熱はほどほどに、イマジネイティヴな磁場の創出を重視している。おそらく、作曲された部分が結構多いのではないか。ジャズのセッションというよりも、ポストロックのギグといった趣。しかもトータスどころかほとんどシガー・ロスの域である。演奏の切れ目を狙ってジャストで照明が切り替わるショーアップの要素が、彼らにマッチしていて好ましかった。

“禅ファンク”、“浪人=RONIN”と称していることからも明らかなように、東洋的なるものがヨーロッパ的な感性のフィルターを通して映し出されていた。まぎれもなくコスモポリタンな音楽。むろんそれは、浮世離れしたよそよそしいファインアートではない。ニューヨークの少々アンダーグラウンドなクラブで披露されてもまったく違和感ないダイナミズムと先鋭性を孕んでいる。そんな彼らの生演奏をトウキョウで体感できたことに感謝したい。

ちなみに、ニックの「ありがとうございます」の発音がやけにこなれていて驚いた。そのまま日本語でペラペラ喋りそうなぐらい(だったが後は英語でした)。そういえば、ジェイムス・ブレイクの日本語の挨拶も上手かった。優れた音楽家は耳がいいんだろうね。

Facebookより

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?