見出し画像

旅と撮り鉄のあいだに

僕の趣味の1つに鉄道撮影がある。いわゆる撮り鉄というやつだ。

以前の記事で、鉄道を目的としない旅をしたことがなかった、と書いたのだけど。思い返してみれば結構していることに気が付いた。高校時代の級友と京都に行ったり、中学の友達と日光に行ったり。なんというか、自分の中でそれらの旅は「旅」というより「遊び」の感覚が強かった。だから、先の記事でもそんなことを書いてしまったのだと思う。

旅と遊びの違いについては置いておくことにして、問題はその“鉄道を目的としない友達との旅”において、どうしても鉄道が気になってしまうというお話だ。

旅先においては、当然ながら日常の生活圏では見ることのできない鉄道を目にすることが多い。鉄道好きの方なら分かってもらえるかもしれないが、旅の目的地に向かって歩いている途中でも、線路が見えると「これは○○線だ」とか言って必然的に携帯の時刻表を確認してしまう。日常生活に仕事上の習慣を持ち込んでしまうことを職業病と言うのであれば、これは趣味の病とも言うべきものである。

あるいは、その時、その瞬間でなくては見られないようなシチュエーションに遭遇することもある。例えば、夜景を見に行こうと展望台に登る。その日は特別空気が澄んでいて、遠くの景色まではっきり見渡せた。そこに、線路が目に入ってしまう。あと10分待てば、この美しい夜景の中を電車が走っていくシーンが見られる!と、こんな場合である。

そんな時、僕の中に小さな葛藤が生まれる。

撮りたい。
でも、ここで友達を待たせるのは果たしてどうなのか。

それでまあ、ちょっと考えて諦めるときもあれば、友達に話して一緒に待ってもらうこともあるというわけだ。

中学でも高校でも、僕が鉄道好きであることはたぶんクラスのほとんどの人が知っていたから、一緒に旅をする友達ももちろん僕が鉄道に興味があることを知っている。だから「少しだけ待って撮ってもいい?」と聞くと悪い顔1つせず快諾してくれることがほとんどだ。優しい友達ばかりで本当に良かったと思う。

それにしても、僕は普段から写真を撮るので同じ場所で何分も待つことに慣れているが、友達からしてみれば道の途中で待つ5分や10分は相当長く感じていることだろう。心から謝りたい気持ちでいっぱいである。でも、待ってくれているからには良い写真を撮りたいと思って、最後まで撮らせてもらう。

IMG_0031改

夜景を見に登った展望台にて。

画像2

金沢旅行、駅に戻る途中に通った歩道橋にて。

照れくささとかはあまり感じないタイプだから、その場では素直にありがとうと伝えているけれど、やはり申し訳ないと思う気持ちが残る。友達のやりたいことがあったら、その時は時間を気にせず待っていてあげたい。そんなことを思いながら、再び次の目的地に向かって歩き出す。

とまあ、今回は僕の我儘なところを晒すだけになってしまった気がするけど、この申し訳ない気持ちを書くことで少しでも形にできたなら良かったかな。

父の日、母の日があるのなら友の日があってもいいと思うのだけど。残念ながらないので、僕の我儘に付き合ってくれる友に向かってここで改めて伝えておきたい。

いつも、ありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?