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行政の仕事から、農家の道へ。 有機農業を突き詰めてきた、山口武のこれまでのキャリア

奈良県の北東部、宇陀市の伊那佐山という
標高400〜500Mの山間地にウェルネスフーズUDAはあります。
ホームページはこちら→https://wellnessfoodsuda.com/

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ここ宇陀は、日本最古の薬園が作られ製薬会社の創始者を多数輩出するなど日本屈指の薬草のまちとして知られています。私たちは、美しい木々に囲まれた自然豊かな環境で昔から有機農業行なっており自然の恵みをたっぷりとうけた野菜や奈良県で主に栽培されてきた大和当帰をはじめとする様々な薬草を取り扱っております。

今回はウェルネスフーズUDAの代表であります、私、山口のこれまでのキャリアについてご紹介できればと思います。

47歳で県庁退社、家業を継ぎ見たものは、一家総出で働いてたった数百万の売り上げ

県庁で働いていた私は、47歳で早期退社後、家業の農家に従事することになり、父と母と3人体制で農園の運営を始めることになりました。

農園のホームページはこちら→http://www.yamaguchi-nouen.com/

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だけれども、蓋を開けてみると3人でフルコミットで働き、なおかつ働く時間も県庁当時に比べると長くなったにも関わらず、3人の総売上はたったの数百万円。

売上1億円という大きな目標を立てた

どうにか、今の現状を打破しなくてはと、まず「売上1億円」という大きな目標を立てることにしました。目標を達成するためには何が必要なのかを全て逆算し多くの改善に着手。

働く時間の問題は、タイムカードを導入し、見える化。
情報の収集も欠かさず行い、有機JASの制度が始まることを知った時には、認証機関ができる前に自分でマニュアルを作り持参をしました。

全国で7番目に有機JASの認証をとると、パッケージにも工夫を加え、全ての野菜の包装紙に自社の電話番号と自分で作成した農園のWebサイトのURLを記載。

紀ノ国屋に置かれた自社商品をみたバイヤーがパッケージに記載された情報から商品を問い合わせてくれ、徐々に認知度も上がってきました。

規模が大きくなったタイミングで、組織体制を完全分業制へ

農園を営む中で、農業従事者の少なさ、そして農家経営のあり方に課題を感じはじめ、新規就農者を増やし農村を活性化させるため、アグリスクールを設立し多くの新規就農者を輩出。

そして社員数が30人くらいになったタイミングで生産、収穫、袋入れ作業などの作業を分業化することに。こうすることで、社員は一つのことに専念することができ、移動、準備、片付け等全てにおいての無駄を減らし、さらには生産コストを下げること出来ました。

一つのことをするのにみんなでやってる農家がほとんどですが、私は
1億という大きな目標があったからここまで来れたと思っています。

そして県庁退社から10年後、ついに目標であった1億円の売上を達成することが出来ました。

息子に農園を継ぎ、次なるステージへ


60歳になったタイミングで息子に農園を継ぐことに。

平成24年より、宇陀で主に育てられている大和当帰の葉の部分が「非医」扱いとなり、宇陀市も街おこしとして、トウキ葉の有効利用を検討し始めました。それに伴い薬草協議会が発足し、会長に就任することに。
また、健康なまちづくりに貢献したい、という思いから薬草、健康野菜の栽培、加工事業に取り組むために株式会社テラスを設立しました。

テラスのホームページはこちら→https://terrasse.co.jp/

テラスでは、古民家を改装し、薬草を使用したお食事が楽しめる「ヒルトコカフェ」をオープン。遠い地に関わらず予約でいっぱいの人気店にまで成長しました。

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農家さん達の生活を末永く守っていきたい

事業が成り立つのは、まず第一に地域の方の理解と応援あってこそだと考えており、どのような形で地域に還元できるのかを常に考え事業を行ってきました。宇陀の薬のまちとしての文化と、ここに暮らす農家さんたちの生活を末永く守っていきたいと思っています。

そして2019年、株式会社テラスを母体に薬草の卸売りを中心とした事業「ウェルネスフーズUDA」を立ち上げました。

現在、商品は少しづつ認知を広げ、飲食店はもちろんサロンや化粧品会社まで多岐に渡りウェルネスフーズUDAの薬草を使っていただいております。

今後もさらに事業を成長させていけるよう邁進してまいります。


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