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「Kyoto Creative Assemblage」とは何か:第一期修了生の一考察

2022年9月から始まった第一期「Kyoto Creative Assemblage(京都クリエイティブ・アッサンブラージュ)」の一連の講義を終えて、一人の修了生として解釈したプログラム全体像をまとめてみました。

Kyoto Creative Assemblageとは(公式)

文部科学省「大学等における価値創造人材育成拠点の形成事業」に採択されたKyoto Creative Assemblageは、京都大学、京都工芸繊維大学、京都市立芸術大学の3大学が中心となって構築されたプログラムです。そのため、理念は通底しながらも、講義はPart1(京都大学)、Part2(京都工芸繊維大学ほか)、アート演習(京都市立芸術大学)の3部に分かれていました。公式ウェブページで示されているステートメントとプログラム図は以下の通りです。

京都クリエイティブ・アッサンブラージュは、社会をよく見て表現する人文社会学的視点、別の現実を作って体験することで日常を捉え直すスペキュラティブなデザイン、そして既存の枠組みを宙吊りにし安易な結論づけを妨げるようなアートの実践それぞれ触れることで、新しい世界観をつくる力を導きます。

公式「About」より一部抜粋 https://assemblage.kyoto/about/
公式「Program」より引用 https://assemblage.kyoto/program/

3部に分かれた講義(Part2はさらに3部に分割され構成)の関係性、ひいてはプログラムとしてどのような構造になっているのかは明示されていないため、学びを書き留めてきたこれまでの記事を自己参照しながら、一個人の解釈をまとめてみました。なお、講義は第一期(2022年度実施)の内容のため、第二期以降は変更となる可能性があります。

Kyoto Creative Assemblageの構造

筆者作成

アート演習(京都市立芸術大学)
・「アートをつくる」ことは、感覚することに埋没する経験である。ロジックではない積み上げによって、「アーティストが持つ勘」が獲得されていく。参考:9月度記事12月度記事1月度記事

Part1(京都大学)
・Part1の方法論「エステティック・ストラテジー」は、「人文学/社会学」の理論に立脚している。社会をよく見て「イデオロギーの星座」をつくり、価値転換を起こす「アッサンブラージュ」によって新しい世界観を開示し、時代を表現する/歴史をつくる。この過程で、「アーティストが持つ勘」によるエステティックが活きる。参考:10月度記事11月度記事用語編時代背景編方法論

Part2(2-1 京都工芸繊維大学、2-2 Deep Care Lab、2-3 RE: PUBLIC)
・Part2-1「脱未来/ありうる未来の思索」の理論・姿勢・実践が、Part2全体の中核となる。思索した「脱未来/ありうる未来」という新しい世界観は、「SFプロトタイピング」によって物語として提示できる。概念や先入観の根本的な問い直しにおいて、「アーティストが持つ勘」は批評性として活きる。参考:12月度記事
・思索のきっかけを得る、あるいは思索を深めるアプローチの一つ目は、身体性を伴う実践から示唆を見いだすPart2-1「ノルディックLARP(Live Action Role Playing)」である。目的志向性のある全力のごっこ遊びは、いま・ここではないデザインされたリアリティを生きてみることであり、「SFプロトタイピング」のワンシーンとしても捉えられる。参考:12月度記事1月度記事
・アプローチの二つ目は、現社会の人間中心性を自覚し論理的に視野を拡張するPart2-2「マルチスピーシーズ」である。この視野の拡張によって、向き合うべきステークホルダーの見方が更新される。参考:1月度記事
・アプローチの三つ目は、倫理的な感性を日常・生活に近い実践のなかで見いだすPart2-2「ディープ・ケア」である。「ディープ・ケア」や「ノルディックLARP」は、思索した「脱未来/ありうる未来」を実践の状況/制約にすることで、プロトタイプ手段としても機能する。参考:1月度記事2月度記事
・思索した「脱未来/ありうる未来」は、肩入れしたいステークホルダーにとっての望ましい状態への移行という、Part2-3「ビジネス・エコロジー」の出発点へとつながる。そこから描いていく構想は、多様な参加者がそれぞれのベネフィットを得られる場・システムへの参加を促し、新しい世界観を体現する生態系を生み出す。参考:2月度記事

「Kyoto Creative Assemblage」という世界観

講義終了後の2023年2月22日に公開された公式記事のなかで、Kyoto Creative Assemblage代表の山内裕先生は、下記のように書かれていました。

京都クリエイティブ・アッサンブラージュの第一期が終了しました。もう一度、私たちのアプローチを説明したいと思います。このアプローチは……「エステティック・ストラテジー」という名前にしてみました。エステティック・ストラテジーは、これまでおよそ8年間やってきた私の研究成果の名称で、京都クリエイティブ・アッサンブラージュの考え方の土台になっているものです。

「エステティック・ストラテジー」の根幹にある理論のひとつは、「アッサンブラージュ」です。アッサンブラージュについては、用語編のなかで下記のように紹介しました。

異種混淆のフラットな集まりであり、超越的な中心はなく、ばらばらな物事が配置されている。物事は、何かに還元されることなく独立したまま、一緒に機能する(例えば、花・ミツバチ・その自然環境)。それらの配置はランダムに積み上げられたものではなく、総体としてのひとつの「スタイル」を持つ

上述の通り、一連の講義の関係性は明示されておらず、いわば構造がみえないまま約半年の講義が続きました。しかし、そこには「新しい世界観をつくる」という一貫したスタイルがあるように(いま思い返すと)感じていました。つまり、Kyoto Creative Assemblageは、アッサンブラージュによる“新しい世界観=新しいスタイルを持つ世界”の開示/表現そのものにほかなりません。この記事を書くにあたって読み返した、Kyoto Creative Assemblageについて初めて書いた9月度記事では、私は下記の言葉で締めくくっていました。

プログラムの導入にあたるこの一ヶ月の講義やディスカッションを経て、「Kyoto Creative Assemblage」というプログラムそのものが新しい世界観のひとつではないかと思いました。その世界観に「自分を新しく表現できる手掛かり」を得ようとしているのが受講生であり、私はその一人です。つまり、“「Kyoto Creative Assemblage」という実践を通して同様の実践を生み出そうとするメタ的な実践”がこのプログラムの構図なのかもしれません。このメタ的な実践のなかから、私自身も「新しい世界観をつくる」ことに挑戦していきます。

受講を終えたいま、上記の言葉を振り返ると、Kyoto Creative Assemblageというプログラムそのものが新しい世界観のひとつと「思いました」ではなく、「確信」しています。そして、私はその世界観に“ふりむいた”一人でした。

結びに代えて:Kyoto Creative Assemblageへの期待

用語編では、アッサンブラージュに関して下記の説明も書いていました。

「アッサンブラージュ」は常に解体・再構築されていく多様体といえる。

アッサンブラージュが常に解体・再構築されていく多様体なのであれば、Kyoto Creative Assemblageというプログラムも、そうであるはず。私は第一期の受講生としての経験をこれまで綴ってきましたが、第二期以降はますます面白くなるのではないでしょうか。修了生の一人として、再構築されていくKyoto Creative Assemblageのこれからが楽しみです。

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