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「相手の立場になって考える」は使い方次第?

相手に共感しながら、相手の気持ちの寄り添ってコミュニケーションを取ることは良いことだという意見に同意する人は多いのではないでしょうか? 尊重し合いながら、独善的にならずに相手と付き合うことができれば、可能な限りお互いの幸せをにすることができるでしょう。

しかし、そこにはいくつか注意点があるのではないか、そう思わされる読書体験をしました。

読んだ本は、ハーバード・ビジネス・レビュー 編集部(2018)「共感力」です。

優れた聞き手は、どう振る舞うか?

本書は、ハーバードビジネスレビューに掲載された「共感」というテーマに関わる論文や記事をまとめたアンソロジーです。どれも短い文章で読みやすく、第一線の経営学者や心理学者が一般向けにわかりやすくテーマに広く関わる文章を寄せています。

「共感力」のほかにも「セルフ・アウェアネス」や「マインドフルリスニング」など、いわゆるソフトスキルに関わるテーマが広く取り上げられており、人材開発を専門とする方々へ、おすすめのシリーズです。

本書「共感力」では、私がそれまで持っていた共感に対するイメージを覆す面白い論考がありました。その一つが、ジャック・ゼンガーとジョセフ・ゼンガーの「優れた聞き手は、どう振る舞うか?」です。

共感を示すためには、相手が何を考えているのかを聴く必要があります。相手の声に耳を傾けるという点で、印象的な言葉を引用しましょう。

 よい聞き手は、相手が言っていることをしっかりと吸収するスポンジのような存在だ――そう考える人が多いのに対し、この調査結果からわかるのは、よい聞き手はむしろ、遊具のトランポリンに似ているということだ。つまり、アイデアのキャッチボールが弾むようにできる人だと言える。
 相手のアイデアやエネルギーを吸い取るのではなく、相手の考えを発展させ、活性化し、明確にする。単に受動的に吸収するのではなく、積極的に支援することで、相手の気分をポジティブにする。それにより、話してはエネルギーを得て、高みに行けるのだ。まさにトランポリンでジャンプしているかのように――。
(P34-35)

よい聞き手は相手の言うことを静かに聞く、まさしく「スポンジ」のような存在だと、私は思っていました。傾聴スキルに関する調査研究によると、優れた聞き手は、ただ黙っているのではなく、提案を投げかけたり、双方向のやり取りをどんどん行ったりするアクティブな存在であるということが示されたそうです。

ほかにも本書では、これまでの私の共感に関するイメージを覆す、いくつかの興味深い論考が掲載されていました。

相手の立場になって考えるが、逆効果になる場合

わたしにとって意外な発見だったのは、一見正当な行為に見える「共感」という行為が、逆にコミュニケーションのやり取りにネガティブな影響を及ぼす場合があるということです。いくつか紹介してみましょう。

まずは、レイチェル・ル・タンとメアリー=ハンター・マクダネル、ロラン・ノルドグレンの「子育て経験のある上司とない上司、どちらが育児の苦労に共感してくれるか」からの引用です。

ところが、私たちの最近の研究では、この直感がしばしば間違っていることが明らかになった。苦境(離婚、昇進見送りなど)に陥っている他者に対し、過去に同じ苦境を乗り越えた経験がある人は、その経験がない人よりも、共感を示しにくい――こんな結果が、最近行った一連の実験でわかったのだ。

直感では、過去に同様の辛い経験をした人のほうが、同じ境遇にあった人に対して共感してくれそうだと思いますよね? 実は研究が示すのは全く逆の結果だったのです。同じ辛い経験をした人は、同様の大変な経験をした人に対して厳しく接する可能性が高いのだそうです。

その理由として、2つの心理学的事実が挙げられています。まず、過去に何か辛い経験をした場合、その事実は覚えているが、その辛さは過小評価してしまう「エンパシー・ギャップ」(共感の差異)が存在するそうです。次に、過去に辛い経験を乗り越えた人は、自分が乗り越えたことに対して過度の自信を持つようです。

この2つが組み合わされると、どうなるでしょうか?したがって、過去に辛い経験をした人は、ほかのひとが同様の経験を過小評価してしまいますし、自分と同じようにその苦労を乗り越えられるはずだというバイアスがかかってしまうようです。

職場でも同じ境遇や体験をしてきた人同士を相談相手としてしまいがちですが、逆効果となってしまう可能性もあるようです。

この論考は以下の文章で締めくくられています。

誰かをもっと共感的になるよう促す時、私たちは「相手の立場に立って考えてみればいい」などとよく口にする。しかしこの言葉は、同じ立場を経験済の人に対しては、まさに言ってはならないことなのかもしれない。
(P53)

共感するにも限度がある

さらに、アダム・ウェイツの「共感するにも限度がある」という論考では、共感を発揮しすぎることが、どのくらい人に負担をかけるかが指摘されています。

共感は問題解決など、ほかの高度な認知的作業と同様に激しく心のエネルギーを消耗させるそうです。医療や社会福祉サービスの専門家、慈善活動に従事する方々は、仕事で共感することを要求されることが多いため、ストレスによって共感する力が著しく低下する「共感疲労」や、それが慢性的となってしまう「燃え尽き症候群」に陥るリスクが高いそうです。

また、一人が共感できる「量」には限度があるのではないかという点も指摘されています。たとえば、職場で同僚に、あるいは顧客に共感することが要求される度合いが大きい人は、家庭内で身近な人に共感を示す余力が残っていないという場合があるようです。あるいは、社内の人に過度な共感を発揮することが求められる人は、遠い関係である社外の人に共感を発揮しにくい傾向などもあるようです。

このように、それぞれの人には共感を発揮する限度が予め決まっていて、うまくコントロールする必要があるようです。たとえば、共感を発揮する相手やシチュエーションを予め設定しておいたり、適度な休憩をとったりして、共感で消耗しないよう、自分のバランスをうまくとることが推奨されています。

相手のわからない心に際限なく思いを馳せて、思考を巡らせることが最も心のエネルギーを消耗させる活動です。この点を踏まえ、この論考の最後では、ニコラス・エブリーの著書「人の心は読めるのか?」を参照しつつ、次のアドバイスが記されています。

人々に話しかけること――どのように感じるか、何が必要か、どう考えるかと尋ねること――は単純なことと思われるかもしれないが、そのほうが間違いが少なく、従業員や組織にとっての負担も軽くなる。なぜなら、際限なく憶測を続ける代わりに、実際の情報を集めればよいからである。それが共感のための賢い方法である。
(P117)

まとめ

私の「共感」に対する見方が変わる面白い論考でした。共感は良いものだと、素朴に思ってしまいますが、場合によっては人をより厳しい目で見ることにも繋がりますし、負担をかけてしまう場合もあるようです。共感も使い方次第ということなのでしょうか?

ほかにも本書では、さまざまな角度から共感についての考察が行われており、いろんな研究成果がエビデンスとして紹介されているので、おすすめです。



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