ストーリーという「風」
うっかり忘れがちなことが
「わからない」ということ。
わからないままに「面白いね」といったり「それは違う」といってみたりしているんだけど、でも、よくよくみてみると「わからない」
で、たぶん、どんなにわかったとしても「わからないまま」
左脳さん右脳さんの話でいうと「わかった…とおもっているとき」は左脳優位だったりもして、逆に「わからないなあ〜(ぽかーーん)」としているときのほうが右脳優位で、ある意味「直接的て、ダイレクトに、そのままに気づいている=わかっている」ということが起きていたりもする。
わかっても、わからなくても、根っこはおなじ。コンテンツという中身が「ウソ」でも「ホント」でも「正しく」みえても「間違って」みえても、
同列・ひとつ・おんなじ。
この視点からすると、もう、あーだこーだ(正誤)について語れなくなってしまいます。
違うように見えるだけで
「おなじ・ひとつ」だからです。
この わかる・わからない というような「理解」はいわゆる【ストーリー】で起きているのだけど、このストーリーというのは
「 タンポポの綿毛を運ぶ風 」
のような機能で、
風があるからタンポポの綿毛はふわふわと運ばれて、
どこかに着地して、そこで発芽して、また花を咲かせます。
誰かを好きになる「ドラマ」もそう。
それをきっかけにして「動きます=運ばれます」
このような解説も「ストーリー」的な表現なのですが、ストーリーはそのような「働き」をしているようにもみえます。もうちょっと分離したストーリー的な表現をしてみると、、、
ワンネスがこのストーリーという
「風・機能」をつかっているし「それそのもの」。
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