卵が先か鶏が先か…をうまいこと使ってみる。
「深刻度センサーの基準」が変わったのか、ちょっとでも基準値を下回ってくると違和感をかんじるようになってきました。
そうなると、、、ぴょんぴょん飛び跳ねたくなる笑
ちなみに今朝は
長州小力さんのパラパラねた
ナイトオブファイヤー
のイメージが浮かんで
あの小刻みなパラパラのリズム
ちまちまとした「ちっちゃなフリ」
あのかんじ、、、
絶妙なのですけど、
あまりにもふざけすぎているので
掲載は控えます( •ө• )
ニラサワさん的に言わせたら
「走ってこーーーい!!!」
きっと、本物は、もっと優しく
言ってくれるとおもいます( ꇐ₃ꇐ )
深刻なとき
(=左脳にドバドバ血液が流れがちなとき)は、
踊る…とまでいかなくても、
カラダを揺らしたり、振動させたりし、
ちっちゃく踊ってみるといい。
( 結局、踊るんかい🕺)
深刻さについて、
アタマでどーこーしようとする、、、
思考で解決しようとする、、、
深刻な状態でいくら考えても
深刻な思考を生み出すだけで
深刻さで考える
、、、それが「悩み」そのもの
だから、そこから離れよう
(これ、、、思考停止とはちがうからなっ!!)
みたいなハナシなんだとおもいます。
#思考停止 というコトバがでてきたので
それについて言語化してみると
思考停止というのも
「気づきのなさ」
この「気づき」というのは思考してどうこうではなくて、どっちかというと「気づけるか、気づけないか」というハナシなので「 気づける状態であること・気づける状態を作ることが大事」、、、ぽいです。
スワイショウとかもいいですよね。
デスクワーク
座りっぱなしの作業がつづいたときの
いいリフレッシュにもなります。
前後にブラブラやるスワイショウ
左右にひねる、ぽんぽん太鼓なスワイショウ
卵が先が鶏が先、、、的な悪循環
思考との一体化が起きているとき
「 間=気づき 」がないので思考さん暴走しやすい
暴走するからこの「 間=気づき 」が失われる
、、、という悪循環が起きていたりする。
なのだけど、、
卵が先が鶏が先か…っていうのは
「これがそれそのもの」なので
「そうあれば、即それ」でもあります。
この「 原理原則 」をうまく使ってみる。
「 感謝 」はアタマから下
それでいうと「感謝」は使えます。
(ビミョーな表現ですね、感謝さんごめんなさい。)
自然と「感謝」の感覚が湧き出していれば
そりゃ結構なんですけど、
それがないときでも「思い出す」ことができる。
かんかく全般そうですね
「あのかんじ」を
かんかく的に思い出してみる。
感謝はアタマから下でおきてます。
有難いなぁ…という感覚は「自分がやった」ではないし、
感謝はアタマじゃ「かんじられない」ということは、
アタマじゃないところで起きている現象。
左脳・思考的に扱わない、、、
頭から下で扱っていく、、、
頭から下
非言語 ネガティヴケイパビリティ
分離のなさ ハート
そうすると、、、体感として、、、
分離があるのは
「思考の中だけ」
であることに気づきます。
そうそう、またまたこれが浮かんだので、
貼っておきまーーす!!
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp
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