決定的に負けた、、、のだとおもう。
明日コラボでおしゃべり! ということで
ふっと思い出して今朝、再読していた本
意識の測定レベル
この本が注目されたのは、やはりこの「 意識の測定レベル 」という人間の意識状態をわかりやすく数値化して表現しているところなのかなっておもいます。
初めて読んだのが10年前ぐらいのことだろうか。
それを読んだわたしは
「 じぶんは、いま、どの意識レベルなのだろう? 」
ってことがすごく気になって、
それに「深刻」になっていたことを思い出します。
「なりたい意識」からすると、そうなる。
でも、それはまったくピントがズレているというか、そういうことが「自分ごと」になっていると、それがすごく気になって、それに囚われてしまうということが起きるんだななとおもいます
で、今朝もおなじようにそれをみていて
600平和700悟り…なんて語るまえに
500愛540喜び……うわうわ…ああああ…。
そっかあ、、、こんなハナシだったかぁ、、、
すげえなあ、次元が違うわあ、、( ꒪⌓︎꒪)
なんて思いながらも、、、
以前ならそこで「意気消沈」というか
「そんな自分にガッカリ」していたわけですが
そういう「深刻さ」がないのは、なぜだろう、、、?
このあたり kindle本 でも
書かせてもらっているのですが
じぶんがずーっとなりたかったものには、なれない。
ということがわかったというより、
一旦ちーーーーん(絶望、挫折)したんだとおもいます。
わたしを求めている決定的な救いのようなものには
「じぶん」がなれたりはしないんだ。
それが、どーーーーんと明白になってしまった。
ぽかーーーーん ( •ө• ) だし
どーーーーーん ( ꒪⌓︎꒪) だし
前回のnote
「なにものにもならんでいい、、、気楽さ」 でも書いてましたが、
「悟り」には
・ 悟り
・ 悟りと呼ばれるような「状態」
があるらしい、、、ということです。
「それ」に気づくための、
「状態」ともいえるわけですけど、、、
「状態」にはなれます。なぜなら、それは「状態」だからです。
でも、自分がなりたかったものは「状態」ではなかった
ってことが 明白 になってしまった。
「がんばって、あきらめたんです」
っていうよりも
「絶望」させられた、、、
みたいなニュアンスのほうが大きい
それだって、
じぶんが「努力してやった」わけじゃない
からです。
「これ、じぶんの努力の結果です!!」
「じぶんでがんばって、やったんです!!」
みたいなもんじゃない。
悲しい、、、とかだって
じぶんが頑張って、それになってない。
怒りだって、喜びだって、尿意だってそう。
ぜーんぶ、じぶんで「そうしよう」とおもったから
「起きた」ことじゃない。
そうなった。
どーしようもない=しょうがない
漫画「キャプテン翼」で
ライバルが主人公の翼には勝てない
と思い知った瞬間、、、
みたいなシーンがあったかとおもうんですけど、
そんなかんじです。
どーーーーんです。
そういうのも、ある意味
腑に落ちた
という現象で
アタマでわかるわからないっていうレベルの話ではなくって、もう、どーーーんと、、、、
圧倒的な理解(、、、というより、思い知らされている)
どーにもならんことが、、、、
ぜんぶ、そうなわけですけど、、、
状態に関していえば、がんばって「状態を変化」させるように働きかけるってことも可能だし、変化していくことだってある。
筋トレしたら、筋肉がついたり、
練習したら、できるようになったり、、、
そうやって「最善を尽くす」ことはできる。
状態にしても「どちらにしても絶対」はないから、じぶんができること「最善を尽くすことだけ」なんだともおもいます。
そんなふうに「絶対に無理」から「無理じゃない」っていう「状態の変化」だって起きることもあるんですけど、
それが「状態」ならね、、、、
ってことが「叩きつけられた」わけです。
二元性じゃないことには、どーやったって「なれない」
ぐうの音も出ない
言い返しようもない
どーーんと腑に落ちた=絶望、挫折
それでも、、、
悟りはない…というkindle本 を書いたあとにも、
「悟ろうとしている思考」に気づいて、
笑っちゃいました。
慣性の法則、、、というか
「ここまで明らかなのに、
まだ、おまえ=思考、諦めてないの?」
って、ある意味
「へえーー、逆に、大したもんだわ!」
すごいな、、、って苦笑。
でも、そこで改めて
「じゃあ、やってやりましょう!がんばりましょう!」
っていう気は起きなかった。
それを
探究の終わり
と表現したりもするのかもしれないけど
なにかに「至った」わけでも、
なにかに「なった」わけでもないんですよね。
挫折
決定的に、絶望的に
負けた、、、のだとおもいます。
で、その「絶望」にもなれてくると、
「しょうがないなー」ってかんじにもなってくる。
だから、気楽さっていうのは
絶望からの慣れ = 気楽さ
なのかもです。
もう「ゆったり」するしかない…というか。
というところで、、、
この「パワーかフォースか」で語られていることを読んでも、うわうわ…ああああ…すごい状態があるもんだ、、、
なんて「ちょっと他人事」みたいなかんじで
「愉しめる」ただ「面白がれる」
ってことにもなってくるのかも。気楽さ。
そのあたりのことを
「悟りってあるっちゃあるけど、ない」
「夢も希望ないハナシ」と表現しています。
よかったら! Kindle Unlimited でも読めます。
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp
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