ネガティブは簡単( ポジティブこそ、手放し難し)
というようなツイートをした流れから浮かんだことです。
このちっちゃい「タタリ虫」みたいな動きは、そういうことによっぽど興味・関心がなければ気づかない
、、、それぐらい「微細な動き」だとおもいます。
あとは、
思考が空白になっていけばいくほど
「黒い点」が気になる、、、
ってことは必然的に起きてくるかもしれません。
まっしろに黒い点って「目立つ」から
必然的に気になっちゃう、気づいちゃう。
でも、それをスルーするってこともおきます。
(無意識に、意図的に、、、)
なぜ、それを、スルーするのか???
っていうようなハナシ、、、、
(マニアックシリーズ第5弾 ←適当)
なぜ、それを、スルーするのか???
ネガティブな思考なら
「不快・イヤ」だから手放そうとしますよね。
痛いから治したいとおなじ。
だから、ある意味、カンタン。
(=それを手放したい…っていう衝動が起きるわけだから。)
ほんとうに手放しがたいのは
自分にとってデメリットであるものではなくて、、、
「 自分にとってメリットがあるもの 」
ポジティブな思考パターン
(それに付随したアイデンティティ・エゴ)
「そこまでやる必要あるんかい?」
ともおもいます。なのでホントこれは、、、
趣味・嗜好・オタクの世界のあれこれです。
あとは、、、、
その必要があるかないか、、、
理屈以前に、、、
理由はなしに、、、
うまくコトバにもできないけど
「それを求める欲求」
が湧いてきたら、そうなる。
真っ白なところに黒い点があるのが
「どーしても気になっちゃう、、、」
っていう現象です。
なので、、、やはり趣味・オタクの世界。
内観・観察・かんかく的な世界。
ポジティブなアイデンティティ
(思考パターン・エゴ)というのは一種の
中毒性・依存性・嗜好性のあるアレ
とおなじなので
それであることは、むしろ
「 快 」
だから、、、それを手放そうなんて
通常なら、おもわない。
= おもえない。やめられない。
なので、強制終了(物理的な出来事によってパンっと終わらせられる)みたいなことで止められる、、、っていう現象もおきたりします。
自分の意思でそれを止める…っていうことが
起きそうにもないので強制終了
(リセットボタン押されるパターン)
それで事故ったり病気をしている人います。
わたしの周りにも、身内にも、います。
とんでもないタイミングで生きるか死ぬかの大事故で死にかけた父のあれ、、、、当時5歳のわたしが、危篤状態の父の病室の前で母にかけたコトバ「お母さんが泣いていたら、お父さん、よくならないよ」というコトバは、わたしから出たコトバではなかったなあ……あれは、完全に言わされたやつ。あの当時からコトバは浮かぶもの・言わされるもの・カレーは飲み物 ←余談
それをターニングポイントといったりもする。
外的・物理的ショックでばーーんと外される「なにか」。それでも外れないと、なんどもそういうことが繰り返し起きる、、、って人も知ってます(笑…ちゃいけない)
で、話を戻しますと、、、、、
それに加えて、思考側としても
手放されたくない=消されたくない
ので、それを手放さなくていいような
「正当な理由」をあげてきます。
・ このアイデンティティであるメリット
・ これがあるとこんなふうに居心地がいいよ
・ この「自分」ってこんなに気持ちいいじゃん、、、
そういう自分であることは
・ 誇らしげ
・ 強そう
・ 高揚感
いわゆるパーティーピーポー的な?
わからんけど(笑)
高揚感の伴う、気持ち的にもアッパーなかんじのそれ
を、わざわざ「落とそう」とするなんてします???
そんなのは、やっぱりオタクぐらい笑
「これ」がなくなったら、どうなるんだろうなあ。
「これ」がなくなって、さらに、からっぽ…になったら、、、どうなるわけ??
思考、まだ落とせるの、、、どこまで落とせちゃうの??
興味津々、、、
なにもしらない子供の理科の実験室(?)
なになに、、、これ、どうなってるの???
とはいえ、なにしてるってわけでもなくて
「ただ観察しているだけ」です。
なんだろなあーーって観ている。
で、そんなふうに観察していると
「 反応=気づき=教えてくれる 」
で…???
で……???
っていう 気づきの繰り返し。
なにが?っていう理由もなしに(笑)
なにそれ???なにそれ???
、、、こうなると、とても面白い。
なにかになりたくて
やっているわけじゃない探究だから。
なにかに向かうベクトル意識の「ないない探究」は苦しいんだけど、単に観察しているだけ…だから。
ただ、面白くて
虫眼鏡・顕微鏡の中を覗いているだけ。
面白いから、観ちゃう。
「快」を上回る探究心・好奇心みたいなもの、、、
それも「快楽」なわけなんですけど、、、
夜、虫たちが街頭の光に集まってくる習性・本能
、、、それとおんなじ まったくそれとおんなじ。
そんなふうに「気になる」という好奇心のほうが勝る、、、ということが起きないかぎりは、それを手放したいなんて「おもわない。」
それでも、もし、それが手放される必要性があるなら、強制終了パターンがくるから大丈夫(、、、?)
というようなかんじです。
なので、まさに「縁あって」
それが起きるなら起きるけれど、、、
というようなケースな気がします。
なので
「恩寵」
自分でどーこー選べるものじゃない
って表現されたりするのかも。
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp
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