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「心」について - 「こころ」「心」「ハート」の由来から考えてみました
心とは何か?
身近なようで、実はあまりよく考えてこなかった気がします。
なかやまべーすさんの記事を読んで、関心をもち、調べてみることにしました。
「こころ」の由来について
心の語源には、「凝々(こりこり)」「凝々(ころころ)」「凝る(こごる)」などから転じたとする、「凝」に絡めた説が多くあるが、正確な語源は未詳である。
「正確な語源は未詳である」とのこと。そう言われるとワクワクしますね。
興味深いのは「「凝」に絡めた説が多くある」という部分。
また、「凝々」と書いて「ころころ」と読むのも不思議なものです。
「凝」と「ころころ」って対照的な響きがありますが、同じ漢字を使って書けるんだなぁと。
「心」の由来について
漢字の「心」は心臓の形をかたどったもので、中国語では心臓の鼓動と精神作用が結びつけて考えられていた。
これもまた面白い!
そう言われてみれば、「心」という漢字が心臓に見えてきます。
1・4画目は右心室と左心室?
2画目は心室中隔?
3画目の点は上大静脈?
普段書く「心」は、3画目が4画目の隣に来ていますが、PCやスマホで見かける「心」は心臓の形に似ています。
心臓の鼓動と精神作用の結びつきも経験的によくわかります。
「ドキドキして心臓の鼓動が早くなる」とか、そういう感覚。
昔から考えられていたんだなぁ……。
ハートマークの由来について
古代ローマ時代のハートマーク
少なくとも古代ローマ帝国(前27年 ~ 395年)の時代には、
ハートマーク = 愛情表現として使われていたようです。
古代ローマ時代の遺跡に「ハートマーク」が刻まれた敷石があるとのこと。
諸説はあるものの、それは当時の売春宿の広告であったと言われているそうです。
(それが愛情なのか?という疑問はありますが……)
どんな意味を込めてあの形を選んだのでしょうか?
キリスト教におけるハートマーク
キリスト教、特にカトリック教会では、イエス・キリストの心臓を人類に対する愛の象徴として、「聖心(みこころ)」として、崇敬されておりました。
こちらもやはり心臓が由来。
心臓と心を関連づけ、そこから愛を連想するという感覚がキリスト教にもあったということなのでしょうか。
言われてみれば、ハートマーク(♡)が心臓の形にも見えます。
トランプのハートマーク
カップがキリストの最後の晩餐で使われたとされる聖杯を表しており、
そこから僧侶を意味するものになったようです。
ハートは聖杯。
「ハートの器」といえば、『ゼルダの伝説』というゲームで体力の上限を増やすアイテムですが、意味合いとしては似たようなものがあるのでしょうか。
何かを入れるもの。
最後の晩餐での「聖杯」が何を表していたのかについても興味深いですね。
心臓も血液を入れる器。聖杯には血液のような色の赤ワインが注がれる。
ハート(心)という器に入るのは感情?
「心」とは?
「こころ」の由来が「凝」に関連することを解釈すると、凝ることで「こころ」が形成されていくという考え方ができます。
様々な経験を通じて確立されていく思いが「凝凝ろ」なのかもしれない。
しかし、「こころ」が心臓のようなものであるとすれば、完全に凝ってしまうのは大変なこと。
血液のように滞りなく巡るほうが健康的です。
とりあえず決めて、やってみてアカンかったらまた変えたらえぇやん。
なかやまべーすさんの言葉に勇気づけられます。
悩むこと・迷うことの多い人生、凝るにはまだ早いと感じます。
コロコロ変わりながらも、最終的に凝った「こころ」が出来上がれば良いじゃないか!と思えました。
チャレンジしてみないとわからないこともある。
チャレンジするためには、一度、心を変える必要がある。
「一貫性がない」という言葉は、悪いニュアンスで使われることも多いですが、チャレンジする過程では一貫性から一旦離れる必要があるのだと思います。
思想だったり性別だったり、白黒はっきりしていた方が楽なのかもしれない…
と思うこともありますが、そうだとしてもグレーでありたい。
白黒はっきりしない生き方をしておりますが、それはチャレンジの過程だから。
揺れ動いている時こそ「生きている!」と思えたりもします。
今日も心は元気に動いています。
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