見出し画像

真実分からぬ報道のジレンマ 「あいまいさ」に耐える力を|【特集】プーチンによる戦争に世界は決して屈しない[Part10]

ロシアのウクライナ侵攻は長期戦の様相を呈し始め、ロシア軍による市民の虐殺も明らかになった。日本を含めた世界はロシアとの対峙を覚悟し、経済制裁をいっそう強めつつある。もはや「戦前」には戻れない。安全保障、エネルギー、経済……不可逆の変化と向き合わねばならない。これ以上、戦火を広げないために、世界は、そして日本は何をすべきなのか。

ウクライナ戦争に際し、SNSでは情報が溢れているが、その多くは真贋が定かではない。言論や報道の自由があるからこそ真実が分かりにくいこのジレンマに、どう向き合うべきか。

文・佐藤卓己(Takumi Sato)
京都大学大学院教育学研究科 教授
京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助手、国際日本文化研究センター助教授などを経て、2015年から現職。20年、紫綬褒章受章。『流言のメディア史』(岩波新書)など著書多数。

 ロシア軍が今年2月24日に開始したウクライナへの侵攻は、最終的にどのような結末を迎えるのか。誰もいま確信をもって語ることはできないだろう。筆者は戦場となった場所から「ウクライナ戦争」と呼ぶが、本稿執筆時点の3月末でも正式な戦争の名称さえ確定していない。

 そもそもロシア政府は国内報道で「戦争」や「侵攻」の表現を禁じ、「特別軍事作戦」であるとの公式見解を繰り返している。これに従えば、日本語では「ウクライナ事変」と呼ぶべきだろうか。事変とは「警察力では抑えきれず、軍隊の出動を必要とする程に拡大した騒乱」であり、「宣戦布告なしに行われる国家間の戦闘行為」である。日本でも大東亜戦争開始までの日中戦争(1937~41年)が「支那事変」と呼ばれていた。

 「ウクライナ事変」と表記すると、なぜ国際的経済制裁にもかかわらずロシア国内で愛国熱が高まり、国際的孤立の中で「正義の戦争」が支持されるのか、その理由も分かりやすい。経済制裁も国際的孤立も日本人が「支那事変」後に経験したことだからである。

 その事変が第二次世界大戦につながったように、「ウクライナ事変」が第三次世界大戦に発展しないという保障はない。その不安から人々が戦争情報を求めるのは当然である。しかし、私たちは本当に戦場の「真実」を知りたいと思ってメディアに接しているだろうか。

戦争当事国の戦時報道は
「戦時宣伝」にほかならない

 筆者をふくめ多くの日本人は「戦争反対」を唱えているわけだが、それは核大国ロシアの侵略の前に抵抗を続けるウクライナへの同情を抱きつつの叫びである。マスコミの戦争報道もこうしたウクライナへの連帯を前提としていることをまずは直視するべきだろう。空爆で逃げまどうウクライナの人々を目にしてはロシア軍の残虐性を憎み、ウクライナ軍が侵略者を押し止め戦車を撃破するシーンでは思わず喝采したくなる。

ツイッター上では戦争のさまざまな動画や写真が「リツイート」されているが、その中で語られている「真実」が正しいかどうかは分からない

 そうした反応がごく自然なものだとすると、情報戦でロシア側にできることが限られていることは自明だろう。ウクライナ側が発信するニュースではそれが被害状況であれ攻勢シーンであれ、私たちの同情や共感に訴えるものになるが、ロシア側の発信するニュースはどれも反発を招く内容になる。つまり、ゼレンスキー大統領にとっては……

ここから先は

2,687字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300

いただいたサポートは、今後の取材費などに使わせていただきます。