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現実味増す財政危機 求められる有事のシミュレーション|【特集】破裂寸前の国家財政 それでもバラマキ続けるのか[PART1]

日本の借金膨張が止まらない。世界一の「債務大国」であるにもかかわらず、新型コロナ対策を理由にした国債発行、予算増額はとどまるところを知らない。だが、際限なく天から降ってくるお金は、日本企業や国民一人ひとりが本来持つ自立の精神を奪い、思考停止へといざなう。このまま突き進めば、将来どのような危機が起こりうるのか。その未来を避ける方策とは。〝打ち出の小槌〟など、現実の世界には存在しない。

2022年1月号表紙画像(1280×500)

見たいものしか見ず、現実を直視しないのは、われわれ日本人の宿痾だ。財政危機を「想定外」として放置せず、危機の発生に備えるべきだ。

文・佐藤主光(Motohiro Sato)
一橋大学大学院経済学研究科 教授
1992年一橋大学経済学部卒業、98年クイーンズ大学(カナダ)経済学博士号取得。一橋大学経済学研究科助教授などを経て2009年より現職。財政制度等審議会財政制度分科会委員などを兼務。

 衆議院選挙が終わり、政府は総額55.7兆円規模の経済対策を打ち出した。その中には18歳以下への一律10万円の給付金や賃上げした企業への税制支援、事業者への実質無利子・無担保融資の延長などが含まれる。しかし、このままで大丈夫なのだろうか。矢野康治財務省事務次官は『文藝春秋』2021年11月号で、わが国の財政について「タイタニック号が氷山に向かって突進している」状態と評し、「このままでは国家財政は破綻する」と警鐘を鳴らした。

 実際、深刻な財政悪化がある。国・地方を合わせた一般政府の債務は対国内総生産(GDP)比で250%超と先進国の中でも最悪の水準だ。仮にコロナ禍から脱却しても先行きは芳しくない。社会の高齢化に伴い年金・医療など社会保障給付費は現在の120兆円余りから40年度には約190兆円まで増えるとの試算もある。この社会保障を経済・財政は支えきれないだろう。

 他方、日本経済を実力ベースでみた潜在的成長率は1%ほどに留まる。政府は「成長実現ケース」として名目3%、(物価の変動を除いた)実質2%の成長を見込むが、楽観が過ぎよう。

 では本当に国は破綻するのだろうか。無論、国は民間企業のように清算されて消滅することはない。ここでいう「破綻」とは政府が資金のやり繰りに窮する、つまり、国債の借り換えや新規発行ができなくなることを指す。あるいは市場で国債を消化するにも市場(投資家など)から高い金利を要求され、利払い費が急増する。いずれにせよ政府は社会保障や教育、防衛、公共事業を含む通常の行政サービスを提供する資金に不足する。その結果、政府は厳しい歳出の削減、もしくは増税を迫られることになる。10年前に起きた欧州の財政危機ではギリシャなどがこうした状況に陥った。

「財政は大丈夫」は
「経済が大丈夫」を意味しない

 とはいえ、政治家や国民の間での危機感は乏しい。なぜか。その背景には国債残高の増加にもかかわらず、国債金利が極めて低い水準で推移してきたことがある。また、デフレ経済の下で国内の投資・消費が低迷した結果、企業や家計の貯蓄が積み重なり、いわゆる「カネ余り」が生じてきたこともその一因だ。わが国の金融資産は約2000兆円、うち現預金は1000兆円に上る。それらの金融資産が国債を吸収する余地を与えてきた。

 もう一つが日本銀行による「異次元の金融緩和」だ。日銀が「年間80兆円」を目標に市中から多額の国債を買い続けてきた。日銀が買い手であることが明らかな限り、市中の投資家は安心して国債を購入できる。ここで投資家が信認しているのは国・財政ではなく日銀の金融緩和ともいえる。諸外国では国の財政赤字への警鐘は金利の上昇という形で市場(投資家など)から発せられてきた。しかし、わが国では投資家などは日銀が国債を買い支えることを当てにして目先の利ザヤを稼ぐことに終始しているようだ。

 もっとも、デフレ下のカネ余りと金融緩和は「危うい均衡」だ。仮に今後、経済が上向いて(脱デフレして)民間のカネが消費や設備投資に回れば余剰資金は目減りする。金融緩和もいずれ出口を迎えるだろう。このとき、20年度は借り換えを含めて200兆円に上った国債発行の安定消化は困難になるだろう。

 将来にはもう一つのシナリオがあり得る。経済の停滞が「ニューノーマル」として継続、デフレやカネ余りが解消されないことだ。赤字のままでも財政は持続するかもしれない。家計や企業の膨大な現預金も財政赤字に充てられ成長分野に回らないという意味で「死に金」に等しい。賃金は低迷、格差も拡大するだろう。「財政は大丈夫」というのは「経済が大丈夫」なことを意味しない。

 構造的な要因にも留意が必要だ。一般に若年世代は将来に備えて貯蓄をする一方、高齢世代は消費のため貯蓄を取り崩す。従って、人口減少と高齢化は必然的に経済全体の貯蓄を減じて、金融資産は頭打ちになる。実際、国民経済計算の家計貯蓄率は1990年代こそ10%を超えていたが、近年は1~3%台に留まる。日本が貯蓄大国というのは過去の話だ。

 他方、国の借金はこの家計の金融資産を上回る勢いで増加してきた(下図参照)。ギリシャなど海外とは違って、わが国の国債は国内で消化されている(海外投資家の国債保有比率は13%程度)という前提条件が近い将来、崩れることになろう。このとき海外投資家から資金を求めざるを得ない。しかし、わが国の国債への海外からの評価は低い。海外投資家からの信頼度を指標化した「格付け」をみると欧州諸国はおろか米国や韓国よりも低い。彼らは高い金利を要求するだろう。

図国の借金

 あるいは財政破綻は巨大災害の発生などにより非連続的(突発的)に生じるかもしれない。例えば、首都直下地震が発生したとすると、インフラなどの直接的な被害は66兆円余り(経済活動の遅滞などに起因する経済損失を含めれば約100兆円)との試算がある。

 仮にその復興費用を国が賄うとすれば国債発行は急騰する。しかし、この国債を国内で消化するのは難しい。家計や企業も自身の生活再建や事業の再開に向けた資金を必要とするからだ。海外から資金を調達するとなれば、前述の通り金利が高く付くだろう。経済力の回復が見込めないとなれば、(償還財源に不安が生じて)日本国債への信認が低下、国債金利が跳ね上がり財政をさらに悪化させかねない。

 このように財政破綻が起きるリスクは刻一刻と積み重なる。財政は「何とかなっている」のではなく、いわば「綱渡り」状況だ。「今大丈夫」は「将来も大丈夫」なことを意味しない。

 それでも、日銀に国債を買わせればよいという意見もあるだろう。いわゆる「ヘリコプターマネー」論によれば、仮に国債を日銀が買い取ってしまえば、あるいは(現在は財政法上、認められていないが)直接、国債を引き受ければ、政府の民間に対する債務はなくなる。しかし、詰まるところ「国債」という国の債務が、「貨幣」という中央銀行の債務に代わるにすぎない。親会社(=国)の債務を子会社(=中央銀行)の債務に付け替える「粉飾決算」に相当しよう。その帰結は①過剰な貨幣が市中に出回れば高インフレ、②金利が上がって日銀のバランスシート(財務諸表)が毀損すれば、通貨への信認が損なわれ、財政危機が通貨危機に転化する。

 なお、デフォルト(債務不履行)に陥るといったシナリオは決して非現実的とはいえない。国債の多くが国内の金融機関で保有されている以上、デフォルトは国内金融機関の破綻、よって金融危機につながってしまう。皮肉なことに、国民にとって国債の国内消化は安心材料ではなく、むしろ自分たちの金融資産が毀損するリスクになる。

国の財政が行き詰まれば
「当たり前」の日常が失われる

 繰り返すが、企業の倒産と異なり、財政破綻が起こっても国家がなくなるわけではない。破綻後の状況は企業の「事業再生」と似ているかもしれない。ギリシャや韓国の場合、国際通貨基金(IMF)などの管理下に置かれ、財政再建のために、短期間での支出削減目標を達成することが求められた。このような状況では財政健全化の選択肢も限られ、一刻も早い立て直しを図るため、政府、国民双方にとって大きな痛みを負うことになるだろう。

 とはいえ、財政の破綻は所詮霞が関の問題であり、自分たちには関係ないという国民も少なくない。財政破綻後のシナリオにイメージが湧かないからだろう。しかし、国の財政が行き詰まれば、当たり前に思ってきた多くの行政サービスが提供されなくなる。

 わが国では多くの地方自治体が国からの補助金に依存してきた。国が財政破綻すれば、こうした補助金は大きくカットされるだろう。自治体の財政が行き詰まる連鎖破綻になり、自治体は道路・橋梁などのインフラの管理や整備、公立学校・病院などの施設の運営ができなくなる。ゴミの収集も滞るだろうし、水道管が破裂しても迅速な修理はできなくなる。災害でインフラが毀損しても復旧することも困難だ。08年に財政破綻した夕張市では医療機関の機能が縮小するなど行政サービスが低下したほか、住民税や軽自動車税、公共料金が引き上げられた。この状態が全国で発生することになる。「当たり前」の日常が失われるのである。

不都合な現実から目を逸らさず
適切なリスクマネジメントを

 言うまでもなく財政破綻に至る前にあらかじめ財政を健全化させるのが最善だ。しかし、それが叶わないならば財政破綻に備えた「プランB」があって然るべきだろう。想定外で思考停止とならぬように「有事」に備えた事前計画を立てておけば、破綻した後の善後策の拠り所になろう。その一つが「歳出のトリアージ」である。事前の取り決めがなければ、歳出削減の費用対効果の検証がなされず、政治力学で「切りやすいところを切る」となりかねない。国家として「何を守るのか」という優先順位を立てておく必要がある。

 下図はトリアージの一例を示している。まず優先すべきは、最低限の治安機能だ。自衛隊や警察、消防といった組織がこれにあたる。また、教育や子育てといった「未来への投資」も維持する。現役世代が起こした問題のしわ寄せを将来世代に負わせるべきではない。さらに生活保護や基礎年金など最低限の生活保障も確保するべきだろう。安全保障と同様に、有事のシミュレーションを基に財政の優先順位を決めることは、平時における「国家財政のあるべき姿」を考える契機にもなる。

表歳出のトリアージ

 ただし、トリアージは短期の「止血措置」にすぎない。その上で持続可能な財政の再構築に向けた歳出・税制の抜本的な改革を進める工程表(ロードマップ)を描くことが肝要だ。無論、財政再建の痛みが社会の分断につながってはならない。社会的弱者に対するセーフティーネットをあらかじめ整備していくことが望まれよう。そもそも財政は国民生活を守るためであり、財政のために国民生活を破綻させては本末転倒だ。

 われわれ日本人は不都合な現実から目を逸らす(「知らぬが仏」を決め込む)傾向が強く、危機時のシナリオをつくることが不得意だ。しかし、「転ばぬ先の杖」ともいう。財政危機を「想定外」のままにしておくのではなく、最善=危機の回避を期待しつつ、最悪=危機の発生に備えるのが適切なリスクマネジメントともいえる。

出典:Wedge 2022年1月号

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