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【日記】映画"きみの色"と、描かれていた共感覚像を噛みしめる話

■ フレンドさんにオススメされた映画『きみの色』を見た。とても面白かったという感想と、描かれていた内容についてちょっと散文的に噛みしめる、これはそんなお話。

■ 似たようなテーマの作品に、少女漫画発の『坂道のアポロン』というジャズ漫画がある。昭和3,40年代と思われる時代、『きみの色』と同じ長崎県を舞台に、繊細で優しい薫と、一見ガサツで無骨なヤンキーだけれど芯の通った懐深さのある仙太郎の凸凹コンビのお話。薫はクラシック一筋、反面仙太郎は「おいはクラシックは好かん。"スウィング"しとらん!」と声高に叫ぶほどのジャズ一筋で、性格どころか互いが求める音楽性すら違っていて、一見相性最悪とも見えた彼ら二人が、物語中盤の文化祭のシーンで口では一言も交わさないままにジャズという同じ空気のもと、心を通わせ合う姿にどの作品にもない種類の、男の子同士らしい尊さと感動を感じる、そんなよい作品だった。

■ わたしはかつて同人バンドでドラムをしていたことがあって、アニメ作品でドラムにフォーカスしたものが殆ど無い事にもにょもにょしていた事が多くあったのだけど、この作品はしっかりと作画コストを投じてドラムの演奏シーンを描いていた点も、また作品を面白く感じさせてくれた。

■ 話は戻って、『きみの色』が気になった理由は2つある。ひとつは先ほどの坂道のアポロンに似た雰囲気を感じたからで、もう一つは主人公であるトツ子ちゃんが"色が見える"体質であるという、共感覚をテーマに描いた作品だからであった。

■ わたし自身も"色が見える"という似た感覚を。いつからか知覚する事があった。VRCにおけるその体験を、自らの決意の発露として切り出したショートショートを書いたりしたこともあった。

■ 共感覚を実態的なイメージで描いてくれる作品は、そこまでは多くないように感じる。一般的なイメージとして、例えば"人に色を見る"という共感覚であれば『この人は赤色に見える』『この音は紫色に見える』と言った形で共感覚像が描かれることが多い。しかし、感覚と言うように。実態はもう少し複雑であるように思う。

■ わたしの場合はなんというか、視覚や聴覚、思考の解釈といった一つの感覚に、本来全く管轄が別である感覚器官が不随意に反応してしまう。そんなものとしての共感覚をよく覚える。プログラム技術で喩えるなら"ハッシュ値"の概念に近くて、例えば社交性の高い溌剌した元気な人には『太陽の匂いが残る夕焼けの街中』のような光景や匂い、味わいのイメージを。物静かで懐深い人には『月の浮かぶ深夜の海原』のような光景や匂い、味わいのイメージを。危ない欠落を抱える人には『底の見えない穴』の暗さと錆びついた匂いのイメージを覚える事が多い。

■ これはおそらくだけど、そうして一枚の写真に喩える様な端的な記憶と解釈に落とし込むことで、過去の経験則から対象の相手や物事にどう関わるべきかを短い時間で算出しようとする、そんな心の働きではないかと感じることがある。実際にそんなものが見えてたり匂ってたりするよ!ってスピリチュアルなことが言いたいわけではなくて、ある種のVR感覚・クロスモーダル現象的に「なんだか良く分からないけど別の感覚が勝手に再生されてくる癖」ようなものだと思ってくれれば、たぶん正確。

■ 冒頭のトツ子ちゃんも「わたしは人の色が見える」の後で「いや、見えるというより"感じる"んだ。」と続けていて、この一言だけで十分に共感する思いがあった。実際、彼女が他人に見る"色"は。単色ではなく、抽象絵画のようにグラデーションを纏っていたり、複数の色合いを纏っていたりしていた。友達を深く知ることでその色合いが変化していたり、これからの活動にときめいているギターボーカルのきみちゃんに色合いの変化を感じていたり、きみちゃんとルイくんの演奏する音楽の重なりに、まさに彼女たちの色の重なりを見出して、現実の光景のように様々な綺麗な色が織りなす複雑な光景を見ていたりもしていた。こんなものを言葉や文章で表現して、他人に伝えようとしてもどうしても小数点以下が切り落とされてしまって、うまく伝わらなくなってしまう。でも確かに間違いなく、自分は言外の情報として感じる…  そんな感覚の描き方が、なんかとても良かった。これは確かに、アニメ映画でしかできないテーマや感覚の描き方だなと強く強く思ったし、とても面白い作品だった。なかなかどうして、こんな極めて主観的かつ感覚的な感想しか出てこないのが 少し恥ずかしいのだけれど…。

■ 音楽シーンも純粋に面白かった。ルイくんがテルミン奏者だとわかるシーンでは「持ち楽器しぶ…!」と叫びたくなってしまったし、cubaseっぽいDAWをいじって音を編集するシーンはとても現代的だな~と思ったし、きみちゃんがシールドをねじれないようにクイクイと引き寄せるシーンもさりげなく解像度高いなと思ったし、女の子二人の作曲の引き出しとして、学校で普段歌っている聖歌が使われてたりするのも。等身大の高校生感があってよかった。高校生がする等身大の音楽なので、演奏がうますぎて有名レーベルからスカウトが来るとか、めちゃめちゃマネタイズができて、その果てにでっかいステージで演奏するとか、そんな話は訪れることのない、ある種よくある光景ではあるのだけど。先述した共感覚への深い解像度が、不思議と唯一無二の光景のような印象を与えてくれて、とても思い深かった。

■ そして。トツ子ちゃんが見るそんな綺麗な『色』には。ある種そう出てきている理由がある。ギターボーカルのきみちゃんも。テルミン奏者のルイくんも。とある秘密を抱えて日々を過ごしている。それは無限のエネルギーを秘める無い物ねだりの性癖が、時に芸術に昇華されていくような趣があって、そんな意味でも一見の価値があると思った。

■ 以上が、映画:きみの色に対する。散文的な感情と感想、解釈整理のお話。もし興味が出たなと思った人が居たら、ぜひ見てみてね。



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