スーア先生

vrc住民。お話や怪文書を書きます

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  • せんせいのおはなし

    これまでに書いたSS記事です

  • 先生の日記

    日~週ペースで 現実やぶいちゃで起こったことやその気づきを書いたりします。

最近の記事

メンタル不調における『筋トレ』との関わり方を、セルフネグレクトの面から思考整理するお話。

こんにちは。やや久しぶりに文章を書く気がするスーア先生です。 ここ2カ月ほど、なかやまきんに君の筋トレ動画にお世話になっています。 何人かのVRCのフレンドから度々『きんに君の世界一楽な筋トレ動画とても良いよ~』とアドバイスを貰うことがあって、興味本位で一度初めてみたらその手軽さと程よい負荷にすっかりハマって、他の動画も含めて日々のルーチンに組み込まれてしまいました。 最近やっているのはこの下腹部トレーニングです。 こっちは『世界一楽』な方とは異なって、始めは10秒も続か

    • 夢と無意識の考察

      「夜中に見る夢の中には、抑圧された無意識が眠っている。」 フロイト精神分析から始まったこの一節に、きっとどこかで聞き覚えがあるだろう。 我々の頭の中には砂粒がうず高く積み上げられている。 心身がその身で考え体験した、あらゆる記憶の欠片と言う砂粒が。 普段はゴビ砂漠の砂のように頭の底にさらさらと埋まっている、数々の記憶の欠片。 幼い頃擦りむいた時の痛み。炎天下のスポーツの後で飲む水のおいしさ。 少し羨んだ友人の裕福さ。やさぐれてする夜のドライブ。 泥酔の酩酊でままならない足

      • 気晴らしの外食やおやつもいいけど、普通の白米が美味しい事が幸せだよね話

        こんばんは。ここしばらく、体調面からくる日中の不活動をすこーし脱却して、日中まともに陽を浴びる時間が増えたり、運動を続けられたりしている先生です。 そんな少しだけ上向きな生活を続けていると、食事の量が久しぶりに増えつつあるのを感じてきました。 茶碗半分食べればいい方だった白米も、ワンサイズ大きいお茶碗一杯食べるぐらいになって、それに応じて気合の入った料理をするタイミングも気力も 休職前よりみなぎっているのを感じる最近。 大げさな浪費を伴わない悦びは、ほんの少し『生きてるな』

        • VRC対人間でのコミュニケーションと、"愛情のハンガーノック"についての思考整理

          VRC内でのコミュニケーションの良し悪し…みたいなお話。定期的に話題になる気がしていて、今もまたXのタイムラインでちらほらと見かけますね。 話題のNoteに対する・あるいは関連した、VRC内外で普段よく話す人・そうではない人の意見や感想。 これは方々で見かけたそれらを統合した、自分の思考整理としての一つ文章。 VRCも現実も、植物を育てるような地道なコミュニケーションがいるしばしば、VRCというコミュニティが誰かの手によって言及される際に『ここは誰でも自由になれる心地のい

        メンタル不調における『筋トレ』との関わり方を、セルフネグレクトの面から思考整理するお話。

        マガジン

        • せんせいのおはなし
          15本
        • 先生の日記
          3本

        記事

          自分の過去や本懐、これからの生き方に想いを馳せる話

          ■ 最近のわたしの内からは解放感にも、諦観にも似た無力感があふれ出ていて、これが良くも悪くも、あらゆる物事を積み上げる手を止めてしまっている。 これまでの生涯、見えそうで見えなかった自分の本懐に気づいた気がしてしまったから。 ■ 去年の8月ごろ、職場の部署で色々あって、精神科の転院を勧められた結果、ADHDの診断を受けるに至った。 問診には未就学児の頃にまで遡る、生きた過去を尋ねる内容が多数あり。どうにもこうにも、その時からしばらくわたしは過去辿った選択や、見た景色の事ばか

          自分の過去や本懐、これからの生き方に想いを馳せる話

          性格診断ゲーム『Refind Self』のプレイ感想やお気持ちnote

          開発段階からとても気になっていたゲーム『Refind self』が最近とうとうリリースされたので、そのお気持ちや感想を整理しようという、今回のNoteはそんなお話。 このゲームって何するの?操作キャラとなる『うつわ』ちゃん(ツイートの画像左にいる女の子)を操り、ストーリーにおける選択を通して文字通り性格診断をするゲーム。 このゲームのコンセプトとしては こういった、「プレイヤーの選択の積み重ね」を性格と判断するといった点にあるらしく、さらに"悩んでいる時間"でさえその判断

          性格診断ゲーム『Refind Self』のプレイ感想やお気持ちnote

          『道』としての生き様のイメージの話

          「あの時同じ駅のホームで交わってた人たちは、今それぞれ違う道に行ってしまったね。」 過ぎ去った時間の喩えとして、今日はふとそんな話をした。 生き様の表現として『道』という言葉がこうして使われることがある。 これは前後しか・善悪しか・進展か無為かしか尺度に無い二次元的なものではなく、生物が身を置く多次元的な世界で、生物自身が多次元的な選択をした結果現れる足跡のようなもので、用意されたレールとしてのそれではなく、歩いた結果生まれる足跡のようなものか、歩こうする強い意思が時に見

          『道』としての生き様のイメージの話

          無力感

          『潜在意識』とは、海原の景色と似ている。 外側から見える景色は変わらずとも、中では数多の物が日夜生まれている。 宝を求めて深く潜れば、そのうち息が詰まって苦しくなる。 わたしはそれでも、知らないまま生きていくのが気持ち悪くて。 言葉を持つからには、"動物"であってはならないと。 意識の海に短く潜っては上がり、海の世界の成り立ちを記す事を繰り返す。 その日常の最中、体が疲れ果てつい海面に浮かぶ事もある。 「結局は、わたしも動物の範疇でしかないらしい。」 そんなことを独り言ち

          先生の2.5次元日誌_003_AC6と"選択"の話

          掃除をしていた時にポロッと見つけたしゃぶしゃぶ店のクーポン券と、アプリ通知された「夏季限定もつ鍋がもうすぐ終了するよ!」のメッセージに負けて、たくさんお酒とおいしいお肉を食べるなどしました。スーア先生です。 ■ 最近、巷で熱気冷めやらぬアーマードコア6を最後のストーリーラインまでクリアしました。で、そのストーリーやキャラ解釈について、ぶいちゃの中で感想や考察をぶつける日がありました。いやはや、とってもいい時間でした。 先生はあまりこの手のゴリゴリアクションゲームはやらない

          先生の2.5次元日誌_003_AC6と"選択"の話

          先生の2.5次元日誌_002_テーブルゲームにおける"会話"の話

          とりあえずは2日続きました。スーア先生です。 ■ 今日は休み明けということで、久しぶりのお仕事とコミュニティ『ぶいちゃ麻雀部』における久しぶりのVR麻雀をするなどした日でした🀄 先週開催されていた『スク水麻雀大会(負けたら猫になる島)』にも都合により参加できなかったので、溜まった麻雀欲を…!と思うものの、手にできた点数はノミ手ツモの3-500と、ノーテン罰符の3000のみ。 振り込まなかったからいいものの、これは厳しいっ…! ■ スーア先生はこの手のテーブルゲームは麻

          先生の2.5次元日誌_002_テーブルゲームにおける"会話"の話

          先生の2.5次元日誌_001_20230920

          「毎日のルーチンとして、現実とぶいちゃの出来事それぞれに日記をつけている。」 今日参加したカエサルさんのお誕生日会でそういったトークを聞き、なるほどいいな。同じコミュニティの人もやってるし…となったので 早速真似してみることにした。 こういうのは十中八九、短ければ「Twitterでいいや」となるし、長ければ「また今度でいいか」か、あるいは「思いつくだけ言葉を羅列しよう」にきっとなる。 なので、出来事とそれに感じた気持ちを1:1で書く程度にとどめて、文章の構成みたいなものもあ

          先生の2.5次元日誌_001_20230920

          散文:自分の姿

          ■ しばらく忘れていた姿を思い出すための、ちょっとした散文。 ■ 過去にこのNoteで書いた(最初の方の)記事。ある古いTwitterアカウント。今のアカウント。そういったものに書き散らした、そういうものの集合体としての整理。 ■ 子供のような感情で、ある時は酔いつぶれ警察沙汰になったり、ある時は死んだふりでこちらの愛着を試してきたりする家の人を見て、「自分で制御できない物」に動かされることが段々と嫌いになっていった。 しかし、世の中にはどうしたって制御しにくいものがある

          散文:自分の姿

          "優しく"あるために必要な事のイメージと、その散文

          自分と言う存在の解釈・定義は、もちろん自分自身の世界と、残念ながら対面する人間(社会)の世界の2か所にそれぞれ常に存在している。 そしてそれは、ほとんどの場面で一致しない。 なぜならその2つの世界は、絶対に交わらないのだから。 自分が"優しい"人であったり、"正しい"人であることをどれだけ自負しても その解釈すらも対面する人間(社会)に委ねられている。 この事にやきもきする、それ自体はそれでいいのだけれど 自分の世界から無理に『相手の頭の中にいる自分』を矯正し続けたところで

          "優しく"あるために必要な事のイメージと、その散文

          眠りにつくこと

          夜が更け続け、床に就かんとすること。 床に就き、夢を見んと目を閉じること。そして眠りに落ちるまで─── 昼間に過ごす時間が、自分の足場を外へ外へと広げていくことだとするならば。この時の喩えがたいゆったりとした時間の流れは反対に、その足場を際限なく狭め続けていくことのようだ。 『わたし』という存在は、『わたし』という存在であるほかにも。わたしを取り巻く世界から、様々な意味や関わりを持たされている。 住んでいる国や自然。 陽が登ってたり沈んでたりする時間。 自分の名前や年齢。

          眠りにつくこと

          三なる自己と中庸の自問

          自分の存在とはどのように定義されるか。考えたことはあるかな。 私は概ね、三つ存在すると思っているよ。 『そこに生きる自分自身』『自分の生きたい姿』 そして『対面する相手の中に生きる自分の姿』 …そういう、三つの姿の兼ね合いが、この世界に生きる『自分』をきっと作っている。 たまに、"理解"みたいなものを。求めてやまない人がいるでしょう? ああいうものは、三つ目の『対面する相手の中に生きる自分の姿』と『そこに生きる自分自身』。あるいは、『自分の生きたい姿』に 不和が生じている

          三なる自己と中庸の自問

          好きな夜のワールド集_1

          わたしは夜のワールドで、しっとりと月を見上げたりするのが好き。 時たま、一人だけのインスタンスで。 自分の姿を見返すように。ただただ景色に溶け込んで一体化する。 自分が愛着を貪るばかりの醜いものになってないか。それを見返すために。 生まれ直してあらゆる刺激を、明日も新鮮に受け取ることができるように。 ただただ、夜の懐深い冷たさを感じたり、海を眺めたり、月に想いを浮かべたりしている。 …とはいえ、好きな景色が多すぎて、自分のfavoriteリストではしばしばたらなくなる…

          好きな夜のワールド集_1