見出し画像

旅の回顧録☆ヒースロー空港での、悪夢。

私は貧しかったことを公言していますが、運が良かったことに53歳の今までに、人並みかそれ以上の海外旅行を経験できました。

生まれて初めて行った海外はスペインで、27歳のときでした。

それから、15年後の42歳のときに、私は2歳下の妹と妹のパートナーのおかげで、北イングランドの田舎ですが、4か月程度の語学留学を経験できることになりました。

過去にこのことを書くのを失念していました。なぜなら、現在の私の英会話力(ちなみに読み書きなら、まだ何とかマシです)が本当に残念で、自分自身の中でもすっかり抜け落ちていました汗。

語学留学というのは、エージェンシーをとおすといろいろとお金のかかるものです。私も妹も貧乏を経験しているので、その辺は抜け目なく、合理的に、自己研鑽に励んできました(このことはまた別の機会にお話します)。妹も職場で英会話を使うチャンスなどをつかみ、イギリスへ嫁いでしまいました。

余談ですが、以前私が愛用しているDUOデュオ3.0を紹介しましたが、私とまったく正反対の学業成績(私は数学、化学、生物が得意。妹は英語と歴史が得意)の妹からの受け売りで、イギリスで1番実践できた英単語集ということです。ひとつ引っ掛かるのが、彼女は私が買ったDUOをイギリスに持って行ったことですが笑。

私は当時オーストラリア人のパートナーと一緒に住んでいましたが、不定期でやってくる派遣社員の〈契約満了かなしみ〉のタイミングで、妹から1歳の娘の世話を手伝って欲しい、上のお兄ちゃんの世話もあるしと、プチパニック気味で連絡があったのです。

1歳というと、ガサゴソと動き始める頃です。妹のパートナーはしょっちゅう国内で出張があるから、お願いできないのだと言います。

イギリスでの滞在費は1人くらい何とかなるので、お願いしたいとのことでした。彼女も私たちの母と同じように、自分の子どもを預ける相手にこだわりがあったようです。

さて、観光ビザで6か月間は滞在できるな。ひとまず往復航空券を購入し、あとは着いてから妹と相談するか。そのときは語学留学の予定はなくて、〈おたすけマン〉、その程度の軽い気持ちでいました。

   §

本題です。

7月某日早朝、私はヒースロー空港へ降り立ちました。イギリスへ足を踏み入れるのは2度目です。

当時の入国手続きはまだアナログでした。入国審査官の前にみんな列をなして、空いたところへ管理官が指示誘導します。

そのとき、私はその不自然な時間の長さに気づきました。指示をしているのは、みた目がアーリア人のようだったので、パキスタン系イギリス人かなと考えていました。

その彼女が、どうも私を飛ばしていたのです。順番に入国審査官の前に誘導されるのは、アジア系以外の人ばかり。何度も何度も、他の列のアジア系の人も「アレ?飛ばした?」と感じました。私のうしろもアジア系の人たちでしたが、誰も1人ではなくおしゃべりをしていて、遅くても気にしてなかったようです。

まさかと思いましたが、私はできもしないヘタクソな英会話で、エクスキューズミーから始め、その人に問いかけました。そうしたらですよ、あろうことか、その人ポリスを呼んだのですよ。

血の気が引きました。

私は「20分近くも入国審査官の前に誘導してもらえなかった。おかしいと思い、彼女に訊ねたら順番に呼んでいると言ったが、明らかに無視されている」と訴えましたが、伝わってないのか、私の方も、ポリスの独特のなまりで何を言っているのか聞き取れず、取調室へ連れていかれ、逮捕時の顔写真マグショットのような写真の撮られ方をし、10本じっぽんゆび全部の指紋を取られたのです。

最悪のシナリオを考えましたが、幸いなことに妹が気を利かせて、プリペイド式の携帯電話ガラケーをあらかじめ日本へ送っておいてくれたので、それで電話をかけさせて欲しいと言いました。

ところが、ポリスは自分がかけると言う。私は手荷物も取り上げられていたので、観念しました。そのポリスは私の携帯電話から妹に電話をしました。

当然ながら妹は驚きましたが、途中で私に替わり、出入国管理局長(だったと思います)からの指示が出るまで、そこで待つようにと言っているということでした。

正味3時間。ようやく私は解放されたのですが、すべてが謎のままなのです。ただ、妹から、この国ではマイノリティ同士が差別し合うこともあるこじんてきないけんですと聞き、心底悲しくなりました。

とにかく私は急いでロンドンのヴァージントレインズ(新幹線のようなもの)へ向かいましたが、何と、そこでもトラブルに巻き込まれました。

予約していたヒースロー空港からロンドン中心地のパディントン駅までの、ヒースローエクスプレス(京成スカイライナーのようなもの)に間に合わず、TFLティーエフエルオーバーグラウンドという急行に乗ってしまいました。

そうしたらですよ、進行途中に車中で人が倒れたのです。

日本でしたら、恐らく電車は最寄り駅で停車し、救急搬送されるのが通常のフローではないかと思うのですが、そのとき彼らは急患はむやみに移動させてはならないという考えなのか、私たち他の乗客が全員降ろされ、振替輸送バスで前方の駅まで送られたのです。

ご病気の方に申し訳ないのですが、そんなことってありますか?

私は飛行機での長旅で睡眠不足でしたが、むしろアドレナリンが出ていたかもしれません。パディントン駅のヴァージントレインズの窓口係に向かって、理不尽な文句を言ってしまいました。

「TFLオーバーグラウンド車中で急患が出て振替輸送になってしまった。遅れたのは私のせいじゃない。乗り損ねたこのチケットを振り替えて欲しい」

当然ながらムリです。窓口の黒人女性は冷静に言いました。

「会社が違うんだから、ウチでは何もできないわよ」

妹から電話で「姉ちゃん観念するしかないで。ここは日本と違って、そんなんで折れてくれるわけないで。まだポリスでよかったわ。命取られんようにせんと」と言われて、我に返りました。

新たに北イングランド行きのチケットを買いなおし、妹の家に着いてから、何と私はまる18時間も眠り続けていました。

目覚めると、心配していた妹は私を責めもせず、私が食べたがっていたランカシャーチーズ(ホロホロとしているけどすごく美味しい。日本にはなかなか輸入されません)を用意してくれていました涙。

口はわざわいかど

ここでも学んだことでした苦笑。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?