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ファッショなファッション


 皆さん、こんにちは。ファッショな木賃ふくよし(芸名)です。
 さて。昨日はファッションの話をするつもりが、ファッショな前振りをしていたら、それがそのまま長文化してしまい、ファッションの話にたどりつけなかった、という酷いオチになってしまった訳なんですが。

 今日こそはファッショでもファンクションでもなく、ファッションのお話をしたいと思います。

 ファッション。服飾や流行を意味します。単に服飾を示すケースが多いと思いますが、スタイリッシュという言葉にも近く、生活様式や生き様と言う意味がある一方、一時的で本質的ではないさまなど、今で言うと「エアプ」のニュアンスも。

 まあ、ワタクシ、服飾自体は好きなんですよね。カッコイイし、キレイだし、カワイイし。

 しかし、見るのとやるのじゃ大違い。
 ワタクシゃアメフトをTVで観戦するのは楽しいと思うが、やりてえ、とは露ほども思いません。
 ファッションも同様なのである。


 何故なら、素材がワタクシだから。


 ワタクシという素材ありきなのだ。ワタクシという冴えないオッサンが着飾っても痛々しいだけで、かえって周囲に不快感を与えているのでは? と考えてしまうので、自分の服飾には無頓着なのである。
 最低限の不快を与えない程度だけ気を配れば、それでいい。いや、きっと周囲からはもう少し、いや、更にもう少し、いや、もっと気を配れ!って思われているんだろうけれど、金もないし、コレで精一杯なので勘弁してください。

 ってな感じのワタクシですが、先日、人からファッションについての相談を受けた。

 掻い摘んで話すと、某低価格アパレルメーカーの服をどう思うか? という事である。

 相談者としては、低価格だろうが気に入ったらそれでイイと思っていたが、メーカーのロゴが大きく入っているのがダサい、という意見が多過ぎて、その風潮に流されそうだ、と言うのだ。

 ふむ。わからなくはない。ではココで、ワタクシの意見ではなく、ファッションを歴史的観点から見てみよう。

 服飾には以下の意味がある。

 ・防寒防熱防疫
 ・機能性

 ・自己表現
 ・好きな服を着る
 ・所属を示す

 ・他人からよく見られたい
 ・特定の人からよく見られたい
 ・流行と伝統

 ファッションに興味があって、色々と本を読んで勉強した頃からは随分と時間が経ってしまったので、項目がコレで合っているかどうかの自信はないが、これらは複雑に絡み合っている。簡単には説明できないが、なるべく簡単に説明しよう。

 ・防寒防熱防疫

 これは服としての最低限の機能である。いわば、進化の過程で毛皮を失った人類の、着脱式の新たな毛皮なのである。
 寒いから着る。暑いから脱ぐ。擦過傷を防ぐ、防塵や、汚れを防いだり、着替えることによって清潔を保つ。着替えや衣替えを考えると、確かに、毛繕いを頑張ったり生え変わるよりは効果的だ。

 ・機能性

 動きやすさやポケットの有無、汗を吸ったり、着脱式だったり、雨を弾いたり、リバーシブルだったり、という「便利さ」の機能性。前述が必須項目とすれば、こちらはオプションに相当する。縫製の良さは耐久性の高さという機能性。布の触り心地が良いなんてのも、この辺に含まれる。

 ・自己表現

 これは後ろ2つの項目に被るが「人間は見た目が9割」なのである。つまり、服飾は人間を表す。
 そして悲しいかな、やくざファッションをしている人の大半は、怖い人なのだ。おたくファッションをしてる人の大半はオタクだ。
 物凄くシャイでナイーブな男の子が、ストリートギャングスタイルを好んでする、なんて例はあまりにも少ない。
 要するに「この服を選ぶ」と言うより「あの服は選ばない」という時点で、個性が出てしまうものなのである。
 機能性を省いたデザインの良さは、気に入った服を着るという自己表現なのだ。

 ・好きな服を着る

 先程の項目が「あの服は選ばない」だとすると、「この服を選ぶ」ことなのである。除外と選択で言うと、前者が除外になり、こちらは選択。
 ファッションで、実は多くの人が陥りがちな失敗に、「自分の体型に似合うか」という大きな落とし穴がある。
 その服装は身長が高く、とりわけ脚の長い人に似合う、とか、逆三角形の肉体にこそ映えるとか、すらりとスレンダーな体型のシルエットを強調するとか、締めるところは締めて、他はふんわりと体型を隠してくれる、とか。
 これはかなり重要なポイントとなるが、


 そんな事は (´°Д°)」 どうでもいい。


 着たいから着るのだ。好きだから着るのだ。似合う? 似合わない? おめー、他人から玄米を食ってる姿が似合う!カッコイイ!って言われたら玄米ばっかり貪り食うのかよ、と。
 要するに、自分がしたい格好をする。それだけの事なのだ。

 ・所属を示す

 これは機能性のひとつであり、また、自己表現でもある。スポーツチームや軍隊や学校に制服があるのは、この所属を示すものである。自分がどちらのチームに所属しているのかを明確に示す旗印なのだ。また、職務中か否かを示す場合もある。
 民族衣装、制服、職務といった、自分がどこの誰であるかを分類させる意味での服飾だ。

 ・他人からよく見られたい

 いわゆるステータスである。「所属を示す」に似ているが、こちらはその「地位」を表している。
 ブランド物の服を選ぶ理由は、デザインや生地や縫製がいいからだけか? 人にもよるだろうが、そこにステータスがある事は間違いない。相談にもあったように「安物ブランドだから着ない」と言うのもそれだろう。
 清潔感、カッコよく見られたい、カッコよく見せたい、評価されたい。生物は多くディスプレイ(求愛行動)を行なったり、体毛を逆立ててその身を大きく見せる。
 要するに、自分が着たい服ではなく、他人にとって「自分」を「良く見せる服」なのである。
 極論を言えば、近所路のコンビニに行く程度なら、ビーサンTシャツ短パンでいいはずだ。それでもちゃんと服を着るのはなぜか。当然、そのまま出かける人もいるし、自分が恥ずかしいから着る人もいる。
 だが、この「自分が恥ずかしい」と言うのは、他人の目を気にしているからに他ならない。
 この場合の殆どの「他人」とは、せいぜいすれ違う程度の関係しかないはずだ。
 それでも身嗜みに気を遣うのは、見ず知らずの人であれ、人間は「他人から見えている自分」を大いに気にしているのである。

 ・特定の人によく思われたい

 前述の目的に対し、こちらは「特定の人物」相手にどう見られたいか、である。あるいは所属を表すのにも近い。
 簡単に言えば、好きな人に振り向いてもらうためにオシャレに気を遣う、という行為はこれに含まれる。恋人からプレゼントされた服を、趣味じゃないけど着る、などもこれだ。
 ファッションの目的が自分でも、不特定多数の他人でもない、特定少数の他人であるということ。

 ・流行と伝統

 最後は流行である。流行を気にするということは、他人を気にするのと同じように見えるが、必ずしもそうではない。流行に乗ることだけに限ればその通りだが、流行に流されない事にも範囲を広げると、違う側面が見えてくる。
 常識や礼儀だ。
 古いにしろ新しいにしろ、時勢や礼儀、文化、常識という観点から、礼服など「こうあらねばならない」という服飾に関する考え方が存在するのだ。
 この国では、この状況では、この相手では、という服装選びがある事も忘れてはならない。

 以上。


 とまあ、長々と書いたし、まだ色々あったりするが、大体はカバーしたはずだ。
 これが質問の答えである。

 自分にとってのファッションとは何なのか。

 どの項目を重視し、どの項目が捨てられて、どの項目が捨てられないか。それだけである。
 ワタクシはその上で言う。

 着たい服を着ろ。

 自分か、特定の他人か、あるいは不特定多数の他人か。自分が気にしているのは、重んじているのは何なのか。
 「着たい服」ってのが、他人に変人だと思われる奇抜な服であれ、着たいなら着ればいい。しかし、それだけじゃない。
 モテるために好みを無視して服を選んでもいいのだ。モテたいなら、それが「着たい服」なのだ。

 これが、ワタクシの考えるファッションである。
 公序良俗に反しない限り、他人に迷惑をかけない限り、どんな服装を選んでもいい。そして、服装ぐらいで「お前の服装は迷惑だ」なんて事はそうそうないんだし。

 という実に月並みな回答になってしまうが、こんなもんでどうだろうか。

 まあ、その服のセンスいいかどうかなんて、個人の好みもある。要は、ワタクシに聞かれてもワタクシの好みでしかないしなぁ、と言うのが結論になる。ワタクシより、皆さんの方がセンスあると思うし。うん。でもまあ、


 少なくとも、服のセンスに関しては、


 服飾に疎いワタクシを相談相手に選ぶ時点で、


 (´・Д・)」 センスがないと思うんですよね。



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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。