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現世界グルメ『チャーシュー丼』


 まず最初に言いたい事がある。これを言うと多くの人から反感を買うのはわかっているのだが、ラーメンという食べ物が、あまり好きではない。
 別に嫌いな訳ではないし、普通に食べる。特にインスタントラーメンなんて大好きなぐらいだ。
 だが、外食における、うどんや蕎麦やパスタに比べると、ラーメンの価値や重要性を強く感じないのである。
 ハッキリ言ってしまうが、値段が高い。近年のラーメンは下手をするとイタリア料理屋のランチコースを食べられる価格にまでなっている。
 無論、美味ければそれでも構わないのだが、正直に言って、単調で単純な味の店が大半だ。
 ラーメン好きや、ラーメンを作っている人達には大変申し訳ないが、グルメと呼ぶには、正直、高い水準の料理とは言い難い。
 まず、調理技術のレベルが低いのである。とにかく口が悪くて申し訳ないが、ラーメン以外の他の料理を作ったり、研究した事がないのではないか、と言うぐらいに調理技術が稚拙だ。
 無論のこと、それが全てのラーメン屋や、ラーメン、ラーメン好きに当てはまる訳ではないが、多くのラーメン屋とラーメンファンは、ただ味を濃くすれば「美味い」「高級だ」「凄い」のような空気を醸している。
 素材にこだわっている、と謳う店もあるが、それだけ濃い油や味付けにしてしまっては、素材の風味など活かされない。
 端的な例で言おう。
 野菜や肉、調理法、細かいところまでこだわった焼きそばに、市販の焼きそばソースをドボドボとかける。
 結局は市販のソースの味でしかない。
 多くのラーメンは、これと似た構図になっているのだ。要するに「カレーなんてなんでも沢山ブチ込んだ方が美味しいよね」「アクも味のうち」などと言う、雑な一人暮らしの男の料理の延長なのである。
 料理にも調理法にも足し算しかない。
 雑味を取り除いて、素材の味を引き出すような機微がないのだ。
 トリプルスープなんて謳い文句のラーメン屋もあるが、その多くは3つの出汁の味が喧嘩して、味がうるさいだけになっている。
 とにかく濃ければいい、極端な方がウケる、目を惹く、わかりやすい謳い文句と演出があればいい。
 申し訳ないが、それらは美食とは対極に位置しているのではないだろうか。
 いや、もちろんのこと、そう言う美味しさがあっていい。それを歓迎もする。だが、それは真摯に料理や調理と向き合う美食とは違うのだ。
 駄菓子だって美味しい。多くの人間にとって、それはソウルフードであろうし、思い入れもある。それらを否定しない。
 しかし、駄菓子を一流のパティシエが作ったデザートと比べるのは無礼だろうし、そもそも、値段が違う。
 そこへ来ると、ラーメンはもはや安価ではない。しかし、料理として細部にまでこだわった一品とは言い難いし、それを食べるシチュエーションも、大衆食堂のそれと変わらないのだ。
 ゆったりと食事を楽しむ空間とは言い難いし、席の予約もなく、慌ただしく麺を啜っては去る。これを美食と呼ぶのを認めるのは、いささか無理があるのではなかろうか。
 だが、誤解なきように補足させてもらうと、ラーメンそのものを否定している訳ではない。個人的に、「ラーメンとは、大人に許されたお子様ランチである」と思っている。
 そう。決してバランスが良い訳ではないが、欲しいもの、嬉しいものが全て載せられたお子様ランチのプレート。旗は欠かせない。おもちゃも付いてくる。最高じゃないか。
 ラーメンには、このお子様ランチと同じ「夢」や「浪漫」が詰まっている。馬鹿に敷いてるつもりは一切ない。その点において、ラーメンは他の料理の追随を許さないぐらいに特化した料理であるとさえ思うのだ。
 そして、これを言うと更にラーメン好きから難色を示されるが、ラーメンはとにかく、

 「白米に合う」

 決してバランスが良いと思えない具の数々、そして、スープ。その全てが、白米を最高に楽しませてくれる。
 さて。ここでようやく本題と行こう。
 ラーメン屋にありがちなサイドメニューのひとつ。それが、

 「チャーシュー丼」である。

 単品もあるが、大体はラーメンとのセットでお求めやすい価格となる。
 ライスとのセットより、少し高いだけで、チャーシュー丼に変更できるのが魅力のメニューだ。
 先程言ったように、ラーメンの具の数々は白米に合う。つまり、チャーシューが載った丼が美味くない筈がない。しかし、現実はどうだ。

 チャーシュー丼は美味しくないのである。

 お得な気がして、つい注文してしまうチャーシュー丼。しかし、それを食べて、その美味さに打ち震えた事は、おそらく一度もない。
 まず、濃い味のラーメンに合うのは、プレーンな白米なのである。
 したがって、味付け肉とタレで味付けされたチャーシュー丼は、ラーメンの味を阻害するだけでなく、白米の味をも阻害するのだ。
 例えるなら、フランス料理の影の功労者であるフランスパン。料理と料理の合間を埋め、舌をリセットしてくれるだけでなく、皿に残ったソースを最後まで堪能させてくれる、プレーンなフランスパンなのだ。
 これが、味付けも強く、具材がしっかり詰まった日本の惣菜パンだったら? これがチャーシュー丼なのである。つまり、添え物として失格なのだ。
 だが、美味しい惣菜パンは単体なら美味い。当然だ。
 一方のチャーシュー丼はどうだ?
 ハッキリ言おう。

 チャーシュー丼は単体でも美味しくないのである。

 何が駄目なのかを逐一説明していくことにしよう。
 この辺りが「ラーメン職人は料理ができない」と言わせてしまう所以なのだが、まず、

 チャーシューが冷たい。

 駄目だ。まるでなっていない。基本的にチャーシュー丼のチャーシューは切れ端が使用される。わかりやすく言おう。本体のチャーシューを成形する際に切り落とされた端材なのである。
 要するに、外側でパサパサした歯触りの米の食べやすさと合わない。これを炒め直すなどしていれば、肉がほぐれて食べやすくなるが、冷たく硬い肉の歯触りばかりが残る。
 しかも米と一緒に食べても、口の中で調和せず、先に米がなくなり、肉だけが残ってしまう。白米の具が白米と調和しないのは致命的である。
 そして、ここであえて苦言を呈するが、ラーメン屋のチャーシューは、そもそもチャーシューではない。

 煮豚なのだ。

 チャーシューとは漢字で叉焼。読んで字の如く、炙り焼きにした豚である。この叉焼は、ご飯のおかずとしても、酒の肴としても美味しいが、ラーメンとの相性が良いとは言えない。相当に薄くスライスするか、細切りにしないと、麺ともスープとも合わず、乖離してしまう。
 そこで、日本のラーメンはチャーシューと言う名の煮豚を使用する事で、この問題を回避した。
 さあ、そこで想像してもらいたい。
 目の前に、5cm×3cm×5mmの、叉焼と煮豚が、冷たいまま「一品料理」として10枚提供された。当然、白米はない。カラシでもつけて食べるとして、あなたならどちらを食べたいと思うだろうか。
 ここで煮豚を選んだ人がいてもいいが、脂を炙って落とした叉焼と違い、煮豚は冷たい脂の塊が残っている。
 豚の脂は溶けやすいとは言え、塊になると簡単には溶けない。
 つまり、肉にしても脂にしても、煮豚は冷えたままの提供に不向きなのである。
 そして、丼とは白米と具との調和こそが要。
 ラーメンのスープにブチ込んだ白米は確かに美味い。しかし、チャーシュー丼に掛けられているのは、謎のタレである。すなわち、白米と調和しない。
 まあ、謎のタレのほとんどは煮豚の煮汁なのだが、これも温められているケースは少なく、チャーシューを引き立ててはくれないのだ。
 言ってしまえば、カレーライスのカレーの上から、冷たいままのカレーを足すようなものである。意味がないと言うよりはマイナスだ。
 そして、薬味に使用されるのがネギ。これも駄目だ。いや、先に言っておくが、薬味としてのネギは素晴らしい。しかし、ラーメン屋のネギは駄目なのである。
 理由は簡単。真面目にネギを打ってみじん切りを作れば、手間が掛かる。そして、コストも跳ね上がるのだ。
 これを回避するにはどうすればいいか。そう。業務用の刻みネギである。
 業務用の刻みネギ自体はとても優秀で、これを否定するつもりはない。
 そもそも業務用の刻みネギはざっと3種類あり、「さらし」「冷凍」「ドライ」に分類される。
 風味は最も冷凍が良いのだが、解凍すると繊維が壊れ、歯ごたえも弱く、ぬめりも出るのが欠点。ドライは最も味気ない。ラーメン屋が主に使用しているのは、「さらし」タイプである。
 さらしタイプは歯触りも良く、ぬめりもネギ臭さも控えめだが、水分が少ないためパサつく。
 これも、ラーメンの上にトッピングとして使用するなら水分を補えるが、チャーシュー丼の上に載せても、パサパサのままなのである。
 おわかりいただけるだろうか。肉質、脂、タレ、薬味、そのどれもが、白米と折り重ならないのである。
 言っちゃ悪いが、ラーメン屋が、ありもので済ませようとした「一人暮らしの男料理」に過ぎない。これが極上であろうはずがないのだ。
 そもそも、本気でチャーシュー丼を作るなら、

 刻んだ白ネギと、刻んだチャーシュー、ほんの少しの紅生姜、そして彩の青ネギを加え、チャーシューの煮汁をベースに、醤油で米と一緒に炒めるとか…

 いや、これだとただの美味しい醤油チャーハンだな。

 ならば、ラーメン屋のチャーシューが煮豚である事を活かしてみよう。

 箸で千切れるぐらいまで、トロットロに甘辛く煮込んだ煮豚を分厚く切って、さっと湯がいたキヌサヤとかホウレンソウを添えて、炊きたてのご飯の上に載せ、ちょいとカラシをつけながらいただくとか…

 って、それだとただの角煮丼だな。

 よし。本気を出して、これならどうだ。

 チャーシューを適度な大きさに刻んで、醤油ベースのスープで再び煮込み直す。
 煮込み用のスープには八角を強めの五香粉を使って、花椒で味を締め、肉の歯応えを残しつつ、スープと肉の脂でとろみが出るまで煮込む。
 それを白米の上にたっぷりと載せるのだ。
 こうすれば、肉と肉を、肉と米、肉とタレと米が繋がる。付け合わせは、チンゲンサイが合うだろう。
 これこそが本当に美味いチャーシュー丼であ…

 ただの魯肉飯ルーローハンじゃねえか。

 美味いチャーシュー丼ってのは存在しないのか。我々は幻のチャーシュー丼を求めて、異世界へと向かった。

 ※ この記事はすべて無料で読めますが、チャーシュー丼はイマイチって人も、チャーシュー丼は美味いだろうが!!って人も、投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には「美味いチャーシュー丼」についての話しか書かれていません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。