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うなぎの寝床の作り方

地方には衣食住問わず魅力的な産物や文化が多く存在していますが、意外にもその魅力に目が向けられることなく都会にものが流れ、その魅力に気づかれないまま使われているものは多くあります。

地方に存在する人や物の魅力を発信・販売しているのが、福岡県八女市の「うなぎの寝床」。地域文化商社を名乗り、地域文化を全国に普及させる取り組みを続けています。

うなぎの寝床が開業したのは2012年。わざわざではその頃からお付き合いを続けており、もんぺをはじめとするうなぎの寝床のオリジナル商品を長らく取り扱ってきました。

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確かにもんぺはうなぎの寝床の看板商品であり、わざわざにとっての定番でもあるのですが、どうしても商品に偏って紹介してしまうために“うなぎの寝床=もんぺ屋さん”のように認識されている方もいらっしゃるかもしれません。

そこで今日はわざわざの全体ミーティング(※)に、うなぎの寝床代表の白水高広さんをお招きし、会社全体としての取り組みを聞いてみることにしました。この記事が、私たちが好きだと思う「うなぎの寝床」という会社のことを知ってもらうきっかけになれば幸いです。

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(※)全体ミーティング:
わざわざで毎週行っている全スタッフ参加の会議。アイテムの取り扱い基準の話から最近会った人、読んだ本の話まで、幅広く皆の知識にしていこうという取り組みです。お店/事務所/スタジオ/リモートとスタッフのいる場所を問わずzoom(ビデオ会議ツール)で参加し、これから入社するスタッフもこの録画を見られる仕組みで、仕事への理解を深める一因になればという思いで続けています。

「うなぎの寝床」以前のこと

白水さんは佐賀県のご出身。高校卒業まで佐賀で過ごしたのち、大分大学で建築を学びます。関心のあったデザインも学び、卒業後に関わったプロジェクト「九州ちくご元気計画」がやがてうなぎの寝床の開業へとつながっていきます。

九州ちくご元気計画が始まったのは2009年8月。厚生労働省による福岡県南・筑後地域の雇用を増やすことを目的とした事業でした。

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「雇用を増やすためにはまず皆の商売繁盛が必要だ」という考えから、農業・工業・商業、地域のさまざまな人の課題を聞き込み、建築家やデザイナー・コンサルタント・料理研究家といった専門家たちとともに地域発の商品・商売をブランディング。作り手と売り手、その間にいる問屋も儲かる仕組みづくりを目標にしていたといいます。

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うなぎの寝床HP[つくりて紹介]のページより。

元気計画の一例として白水さんが紹介してくれたのうちのひとつが筒井時正玩具花火製造所。日本に3軒しかない国産の線香花火を製造する会社です。以前は主に、花火売り場でよく見かけるような簡素パッケージの安価な線香花火を製造していた同社は、元気計画での取り組みから、人の一生にたとえた線香花火の見せ方や、素材にこだわり職人が1本ずつ仕上げる1万円の線香花火を生み出します。

それらが注目を集めたことで、これまでとは違う販路を広げることができたそう。現在は直営店のほか「花火ができる場所を作る」と宿泊事業を始めるといった新たな動きが地域に生まれるきっかけとなりました。

アンテナショップ「うなぎの寝床」の誕生

九州ちくご元気計画の一環で白水さんは200件近くの商品とその作り手と関わり、福岡・東京といった都市部を回り、販路開拓に奔走します。2年半のプロジェクトが終わりに近づいた頃、ふと「作り手に近い地域に店がないのはなぜだろうか?」と疑問をおぼえたそう。(※以下、資料は白水さん作成によるもの)

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都市部の店は使い手に寄り添ったものであり、ものづくりをする作り手はどうしてもその下請けになってしまうことが多かったと白水さんは言います。この課題を解決する方法として、作り手が多くいる地域である八女市にアンテナショップを作ることに。それが、お店としての「うなぎの寝床」の始まりでした。

「作り手に近い店を出すことで、作り手のことを理解できる。理解したことをきちんと伝えれば使い手は長くものと付き合うことができ、作り手にもフィードバックできる」これが2012年に開業するうなぎの寝床の最初のコンセプトだったと言います。

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ちなみに、うなぎの寝床とわざわざのお付き合いが始まったのはこの頃でした。白水さんのブログで九州ちくご元気計画の活動をウォッチしていたわざわざ代表平田が、うなぎの寝床の開業後すぐに白水さんへメールを送信。ひょんなことがきっかけとなって「ものづくり交換留学」というコラボ企画に発展します(両社、当時のブログが残っていました)。

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うなぎのもんぺができたわけ

うなぎの寝床が久留米絣のもんぺを作り始めたのは、それよりも少し後のこと。アンテナショップでありながら、もんぺメーカーとなった経緯がまた面白いのです。

地域の物産館で初めてもんぺを穿いたという白水さん。伝統工芸の久留米絣による婦人服・呉服が並べられた中のひとつにもんぺがあり、その着心地のよさ、作られた背景の面白さから、いろんな人に着てもらえる可能性を感じたといいます。

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2011年、うなぎの寝床は久留米絣の織元とともに「もんぺ博覧会」をスタート。久留米絣でありながら『伝統工芸』とは大々的に掲げずに、もんぺそのものにフォーカスしたイベントにした結果、久留米絣に馴染みのなかった人のもとへも届くことに。親しみが生まれたもんぺは様々な広がりを見せ始めます。

最初はただのイベント企画者だったのですが、2015年ごろから、織元さん、縫製工場さんと共に商品をつくり、オリジナルとしてのMONPEができあがり、メーカーとしてのうなぎの寝床という役割が大きくなってきました。(うなぎの寝床HPより)

うなぎの寝床がもんぺメーカーとなったのは、作り手である織元では担いきれない、生産や卸の管理などメーカーの役割を頼まれたことがきっかけだったそうです。その頃から少しずつ、アンテナショップとしてのうなぎの寝床から「地域に足りない事業は自分たちでおこし、地域の人がやれないことを実現する」という、現在のうなぎの寝床に近い形へと柔軟に変化していったのです。

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※「オリジナルとしてのMONPE」:
現代にマッチする型にアレンジしたうなぎの寝床の“現代風”もんぺのこと。出会った当初うなぎの寝床が販売していたのは、旧来のタボッとした農作業用シルエットのもんぺでした。しかし白水さんが穿いていたのは細身シルエットのお手製もんぺを見て、どうしても欲しくなったわざわざ平田が「それが欲しい!」とお願いしたことも一つの要因となり、うなぎの寝床オリジナルもんぺの生産が始まることに。それから卸をしてもらうようになり、わざわざでもんぺを取り扱うに至ります。のちにコラボもんぺも作りました。

そのとき必要だからやる

九州ちくご元気計画の経験をもとに、作り手に近いアンテナショップとして始まったうなぎの寝床。もんぺメーカーとしての一面が生まれたのと並行して、白水さんは日本全国を行脚する中で、地域ごとにある良いものを発見します。そこからうなぎの寝床に「全国のものを仕入れて売る」という新たな一面が生まれます。

全国のものを仕入れて売ることは一見、作り手との近さが特徴だった当初のうなぎの寝床とはコンセプトが異なる事業であるように思えます。それをうなぎの寝床は、各地の地域同士が交流し、地域の“参考”になる「リファレンスショップ」という業態に作り上げることで、地域に必要なものであることを示したのです。

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地域文化をどう伝えるか?を基本に、ものを売るだけでは伝わりづらいことから、別の形で伝える取り組みも始まっています。地域をめぐるレンタサイクルに、街中に滞在できる宿。街の玄関口になる本屋も。九州のトラベルガイド「TRAVEL UNA」は、地域文化を探求し、ツーリズムを総合して行うグループ会社・UNAラボラトリーズから発刊されています。

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こうして紹介すると、ビジネスとしての多彩さ・器用さが先に目立ってしまうかもしれません。けれど白水さんの考えはとてもシンプル。そのときそのときで地域に必要な、やらないといけないことをしていますと話していました。

その発想の柔軟さと自由さこそ、うなぎの寝床らしい本質なのかもしれません。

あいまいな言葉でまとめる

うなぎの寝床が名乗る地域文化商社とは、なんとも聞き慣れない言葉です。けれど白水さんの話を聞いて、文化という歴史ある地域に根付いたものを、もんぺを始めとする物や、場所、体験、あらゆる形に変化させ、私たちの生活の一部にして届けてくれているのだと感じました。

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うなぎの寝床HP[うなぎの寝床について]より

白水さんはどの取り組みにおいても、わざとあいまいに、変わっていくことを許容できる言葉でまとめている、と話します。今日作った仕組みが来週には通用しないかもしれないほど現代の常識は日々変化していて、言葉もどんどん変えていかなければ対応できなくなる。決めつけすぎるとルーティーンになり金属疲労を起こし始める…という言葉が印象的でした。

「今これでいいんだっけ?と常に考えて、言葉を繰り返し更新し続けています。地域文化があくまで主体で、僕ら(うなぎの寝床)が何をやりたいとかはないんです」。

掴みどころがないほど深く、これからも目が離せない、うなぎの寝床という会社のお話でした。

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