見出し画像

"哲学的な"問いって? ハイデガー『哲学の根本的問い』の冒頭から考える

本文訳

ふつうの問い(日常的な問い)と、哲学的な問いの違いって何でしょう? この違いについて、本記事では考えてみます。

そのために、マルティン・ハイデガー『哲学の根本的問い』を参照します。まず、本文訳です。

VORBEREITENDER TEIL
DAS WESEN DER PHILOSOPHIE UND DIE FRAGE NACH DER WAHRHEIT

準備部門
哲学の本質と真理への問い

ERSTES KAPITEL
Vordeutung auf das Wesen der Philosophie

第一章 哲学の本質の前解釈

§ 1. Die künftige Philosophie und die Verhaltenheit als Grundstimmung des Bezuges zum Seyn

将来の哲学と、原有への関わりの根本気分としての謙虚

»Grundfragen der Philosophie« — das nimmt sich so aus, als gäbe es an sich »die Philosophie« und als würden dann aus ihrem Umkreis »Grundfragen« herausgegriffen.

≫哲学の根本的問い≪――それはあたかも≫哲学≪がそれ自体存在するかのように、それから哲学の領域から≫根本的問い≪が把捉されるものとして聞こえる。

So ist es nicht und kann es nicht sein, sondern durch das Fragen der Grundfragen bestimmt sich erst, was die Philosophie sei. 

そのよう(哲学それ自体というものから根本的問いを捉えること)ではなく、またそうすることはできない。そうではなく、根本的問いを問うことを通して初めて、哲学が何であるか、それ自体が規定されるのである。

Weil es so steht, sind wir genötigt, im voraus anzudeuten, als was sich uns die Philosophie offenbaren wird, wenn wir fragen; d. h. wenn wir alles — nämlich Alles — auf dieses Fragen setzen und nicht etwa nur so tun, als ob wir fragten, indem wir unsere angeblichen Wahrheiten je schon zu besitzen meinen.

そのような状態だから、私たちが問う場合には、私たち自身にとって哲学はどのようなものとして明らかになるかをあらかじめ暗示せざるをえない。すなわち、私たちはすべてを、つまりすべてのものを問いとして立てるのである。私たちが表向きの真理をもう既に所有していると思っていることによって私たちが問うているかのようなことでは一切ない。

解説

問うことを通して初めて哲学が何であるかが定まる」というのは、どういう意味なのでしょう。このことについて、少し補足しようと思います。

上の言葉の意味を考えるための準備として、まず「分かること」とは何かについて検討しましょう。言い換えれば、「分かった!」と実感するとはどういうことかについて考えます。

例えば、或る中学生が連立方程式や明治維新について理解したとします。その場合はもちろん連立方程式や明治維新を、つまり理解の対象を理解したと言えます。けれどもそれだけではないでしょう。その中学生は、自分にとって分かることはどういうことかも理解したのです。

実際に何かを理解する経験を通して、人は自分にとって分かるとはどういうことかを分かるのです。加えて、人はそれぞれ物事を理解する速度や順序が異なりますから、自分なりの理解の仕方を見つけていく必要があるでしょう。

それでは、ハイデガーの議論に戻りましょう。さきほどの議論を踏まえると、ハイデガーが言いたいのは以下のようなことだと思います。すなわち、哲学という既に確立された分野から根本的問いについて考えるのではなくて、問う過程を通じて哲学というものがわかり、そのように理解してようやく根本的問いについて適切にアプローチできるだろうということです。

まとめると、哲学には体験して理解するという側面があるのです。僕もそう思いますね。だから、これは哲学的問いだ!と判断する基準はけっこうフィーリングなのです。

思考の材料

参考文献

Heidegger, Martin, Grundfragen der Philosophie, Gesamtausgabe 45, herausgegeben von Friedrich-Wilhelm von Herrmann, Frankfurt am Main: Vittorio Klosterman 1984. (マルティン・ハイデッガー『哲学の根本的問い』山本幾生、柴嵜雅子、ヴィル・クルンカー訳、創文社、1990年)

「わかる」ということについて。339-341頁参照 ↓

本記事の続き↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


記事をお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、YouTubeの活動費や書籍の購入代として使わせていただきます。