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ゲスの極み乙女。「ノーマルアタマ」を哲学的に解釈する

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ふつうは~だよね」とか、「~して当たり前じゃん」みたいなセリフを、僕たちはよく耳にします。また、意識するしないにかかわらず、自分から発言してしまってもいるでしょう。

「ノーマル」を基準にしようとする性質を、僕たちは持っているのです。

平均やふつうを考えてしまう僕たちの性格は、生物学的基盤を持っているので、厄介だと言えるでしょう。生物学的基盤というのは、僕たちの祖先が群れを形成して集団で暮らしてきたという背景です。

本人が望もうが望まなかろうが、もともと「ふつう」を気にするようになっているのです。

本記事では、みんながノーマルを気にしがちだという問題について、ゲスの極み乙女。の「ノーマルアタマ」の歌詞解釈を通じて考えていこうと思います。

以下、歌詞です。


Don't let me down!!

ノーマルに決まってる

疑問なんて持たないでくれ

ついて来いよ、正解は決まってる

よく遊ぶ政治家も言ってた

Don't let me down!!

多数決で決まった

ゆらゆら揺れる間に決まった

いつもそう、知らぬ間に歪んでく


やあ tomorrow

明日ってどこ?

俺だけ今日のまま

何でか置いてかれてんだ

みんな前ならえ

「ウォウウォウ」

何でだろ

こんなんじゃきっと

頭がおかしくなる

やあ tomorrow

帰って来いよ

幻が消え去る前に


興味無い話に step in step in

さすがのあなたも step in step in

叫ぶよ盛大に gesu!gesu!gesu!gesu!

あなたもさすがに gesu!gesu!gesu!gesu!


さっきから耳鳴りがして

何だか落ち着かない

本当は普通が怖くって


やあ tomorrow

明日ってどこ?

俺だけ今日のまま

何でか置いてかれてんだ

みんな前ならえ

「ウォウウォウ」

何でだろ

こんなんじゃきっと

頭がおかしくなる

やあ tomorrow

帰って来いよ

幻が消え去る前に


当たり

ハズレ

当たり

ハズレ


ノーマルアタマな君が怖い


集団心理の世間の声は簡単に脅かされるのに

いつまで経っても全然気付かない君が怖い

俺だけ違くても難しく生きなきゃいけなくなるだけ


やあ tomorrow

明日ってどこ?

俺だけ今日のまま

何でか置いてかれてんだ

みんな前ならえ

「ウォウウォウ」

何でだろ

こんなんじゃきっと

頭がおかしくなる

やあ tomorrow

わかったかい?

この辺の輩はみんなノーマル



ノーマルアタマの歌詞から、僕は大きく2つの内容を読み取りました。一つは、みんなはノーマルに染まっているがそれに気づいていないということ。もう一つは、ノーマルにならなければ生きづらくなるだけではないかということです。

まず、みんながノーマルに染まってしまっていることについて検討しましょう。

僕たちは学校や会社で過ごすときに、規則に従って過ごしています。そして生徒らしく、社会人らしく振る舞うように強制されるわけです。この規則はノリとも言えるでしょう。

この型ハメは、ある程度は仕方ないでしょう。なぜなら、それに従わなければその場に居づらくなったり、罰を与えられたりするからです。もし学校でノリに合わせなければ、先生に叱られたり、周りの生徒から白い目で見られたりしますよね。


でも、そこにハマり切れない人も出てきます。なぜなら、人は考えたり違和感を感じたりできるからです。

「この規則っておかしくない?」と考えること。別の可能性を考えてしまうこと。

一度「おかしいんじゃね?」と思ってしまったら、みんながノーマルに染まっていることに強烈に違和感を感じるようになるでしょう。


ここで、2つ目の内容、すなわち自分だけノーマルじゃなくなろうとしても、生きづらくなるだけだから結局ノーマルに合わせなければならないのではないか?ということについて考えましょう。

例えば、日本の大学生の就職活動について考えてみましょう。多くの大学生は新卒一括採用のルールに沿って就職活動をします。そしてその多くは大学の学部での勉強内容や成績はあまり関係ないポテンシャル採用です。

大半の学生が、授業で出された課題を出すだけの勉強で、バイトして、飲み会して、ふつうに生きてきたのに、急に差別化を迫られる

この新卒一括採用を、疑う人は多いと思います。それでも、自分が「おかしい」と感じてもこのシステムは変わらない。

結局、ルールを知ってそこに適合するように行動するしかないのです。(僕個人としては、自分が会社に対して給料以上の働きができます!ってアピールするだけかなとは思っているのですが。)

就活に対してどのようなイメージを抱こうと、行動は会社ごとの採用プロセスに合わせるしかありません。

それに加えて多数決という合意形成の仕組みが過度に重要視されることによって、自分がどう思うかではなく、みんながどう思っているかが重要だと、つい考えてしまっているということもあるかもしれません。

ノーマルでないこと(多数派でないこと)は、ネガティブなことだと考えてしまうのです。


まとめます。ノーマルアタマにみんなが染まっていると気づく人もいる。けれども、ノーマルでなくなることは、多くの場合生きづらくなることでもあります。なぜなら、自分の居場所のノリからずれることになるからです

結局なんらかの「ふつう」に染まっていくのでしょう。クリエイティブな人でも、電車の乗り方や箸の持ち方を変えないように。


(さらに一言)

一方で、みんなオリジナリティーを持って生きています。顔立ちのような身体の特徴、声、性格、母語、考え方、服装、住んでいる場所、趣味など、様々な要素が絡まり合って「自分」はできています。みんなノーマルのカバーの絵も、具体的な顔を持った人が描かれています。

「ノーマル」は見方の問題、価値観の問題なのかもしれません。自分的にノーマルでいいならそれでいいし、でもここだけは!というポイントだけ逸脱していくというのが賢いかもしれません。


思考の材料

参考文献



その他

ゲスの極み乙女。ノーマルアタマ ↓

最後にメンバーが踊ってしまうことが、ふつうに染まってしまったことを表現しているように思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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