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デジタル新石器人と電子書籍と公園の雉

「あなたのnoteの記事は、長い」

ある知人からこのようなご指摘をいただいた。
前にも別の友人から同じことを言われたような気がする。
確かに、自分でも長いかなと思っている。

実は、こう見えて、企業SNSの運用アドバイザなども手がけておりまして、140文字のテキストの中に動詞は基本二つだけとして、第一動詞の主語が”弊社”、第二動詞の主語が”顧客”になるように組むことで購買や問い合わせのコンバージョンを(以下企業秘密)…というような商売をさせていただいていることもあり「短い」言葉の威力はよ〜くわかっているつもりである。

「わかっているなら、noteの記事だって短く書けばよいではないか」

という話なのだが、それはできない相談である。
正確に言えば、できないわけではないができるわけでもない

あれこれの記事で私が書いていることを、短く短く、言葉を削ぎ落としていくと、結局のところすべて「妄語が荒ぶり踊り出しリズムを刻むところで私が非-非-私になる」というようなことになる。

言いたいことは結局これだけなのであるけれども、これだって言葉に、それこそ妄語に頼ってやっていることであってどうもおぼつかない。そこで妄語とはいえ、せめてもっとしっくりくる言葉はないものかと井筒俊彦氏やレヴィ=ストロース氏の本からスペシャルな言葉たちをマイニングしようと試みているわけである。その所産としてほぼ毎週1万字くらいある記事が、まさに”妄語(いい意味で妄語)”がリズムを刻んだ痕跡として残されていくのである。

そうはいっても”読みやすさ”は媒体=メディアの設計に左右される。

そこで親切な知人は「電子書籍にしてみないか」と助言をくれた。

電子書籍なら、途中で読むのをやめても、また次に続きから読むということがやりやすくなるという。その通りだと思う。

ぜひ電子書籍に、とAmazonのサービスを立ち上げるも、しかし残念ながら、ちょうどウインドウズ95が発売された年に工業高等専門学校の電子情報工学科に入学した経歴を持つ私は、いわゆる”digital native”に比して言えば”デジタル新石器人”のような種類の人間である。

ネット上に残す言葉だと思うとnoteも含め、”速くタイプして速くHTML化してWeb上に存在するようにする(そしてAIに食わせる)のが正義!誤字脱字?!後で直します!”と妙に自信満々になれるのであるが、一転「書籍」といわれると、仮に電子書籍であったとしてもその名前だけで「誤字脱字!一生の恥!ご先祖様に申し訳ない!(T ^ T)」と90年代によく使った顔文字が出てくるほど恐ろしくなってしまう。別に恐ろしくなる必要など何もないとわかっているのだが、どうも尻込みする。

ちなみに、電子書籍というものは一度公開しても、後からいくらでもテキストの修正ができるらしい。その点noteと何も変わらないのであるが、それでもなお私を躊躇わせる「書籍」という2文字。

教育あるいは習慣とは、おそろしいものである。

ちなみに、電子書籍化するならまずは下記の記事から、と思っている。

ちなみに、なぜウインドウズ95が発売された年に15歳だった私が”デジタル新石器人”かといえば、それは次のような理由である。

(ちなみに以下半分以上与太話であるので、そのつもりでお願いします)

新石器時代と旧石器時代のちがいは人類が農耕や牧畜を始めたことにある。

旧石器人は狩猟採集民であり野生の動植物の中に不可分に交じりつつ食べたり食べられたりしていた。

それに対し新石器人耕地と定住地という人工空間を野生の領域から区切り出し、後者を離れて前者の中だけで生きようとする。

ウインドウズ95の登場はこの耕地と定住地という人工空間の成立と重なるような気がする。そこでひとは出来合いの人工空間の存在を前提として、その中で生を始めることができる。

論理回路を組み合わせてCPUを構築する方法など知らない素人でも、電源を入れて、GUI(Graphical User Interface)を眺めながら選択のステップを踏めば、コンピュータを動かすことができる。まさに、ご先祖があらかじめ用意してくれた耕地と定住地、という感じである。

そう言うなら、ウインドウズ95以前のコンピュータは人工空間に対する「野生」だったのか、といわれれば、そうだと答えてみたいところである。

ウインドウズ95以前というのは非常に雑駁にまとめると論理回路を構成する電子部品たちの電圧が上がったり下がったりする様子ありありとイメージできるレベルの人たちの世界である。それはちょうど無数の野生の動植物が織りなす関係の中で、それらと敵対したり、てなづけたり、利用したりする旧石器の狩人たちの知識と倫理が求められる世界である。自然の流れの全体に浸かりながら、その微妙なざわめきを聞き取り、望むものを得ていく狩猟最終民の長老たちのやり方と、アナログの渚からデジタルの山を眺めるコンピュータ・サイエンティストのストイックさは、似ていなくもない。

* * *

ちなみにそうなると一説には旧石器人の始まりと考えられている「認知革命」にあたるのは、コンピュータの世界ではフォン・ノイマンの偉業ということになろうか。

認知革命とは人間が「シンボル=象徴=意味」を使えるようになった一大変革である。

C.S.パースがいうように、人間の記号には、インデックス、イコン、シンボルの三種類がある。このうちインデックスは動物も使っている記号である。イコンも一部の動物も扱うことができるものだ。しかし、シンボルを自在に扱えるのは人間くらいのものではないかと考えられている。

シンボルは、何かと何かを区別=分節し、その区別された二項を、他の同様に区別された二項と重ねあわせることによって発生する。ここでどの二項関係同士をどちら向きで重ね合わせるのかが自在に変容可能であることが、シンボルの脅威的なところである。これによって人間は、あらゆるものを他の何かを「意味するもの」として置くこと・置き換えることができるようになった。これこそが言語の始まりである。

フォン・ノイマンは、電子回路で””を表現すること、ある数を別の数に置き換える「計算」を電子回路で自動で大量かつ高速に行うこと、言語を含むあらゆる記号と記号の置き換えを数と数の計算によって表現することなどなど、彼以前に芽生えていたさまざまなアイディアを一挙にまとめ上げ、今日のコンピュータの原型を可能にするアイディアを形にした。

彼の偉業こそ、人類史でいえば「認知革命」、シンボルの発生に匹敵することだろう。すべてはそこからはじまったという意味で。

* *

ちなみに1995年がデジタル新石器時代の始まりだとすると、いま、2022年は人類の歴史でいうとどのあたりだろうか。

スマホによるモバイルインターネット。ひとりが一台かそれ以上の端末をもち、自在に動き回りながら、どこでもコンピュータネットワークに接続できるというのは、人類の歴史で言えば、都市の成立、文字の発明、古代帝国の成立、一神教の成立、印刷技術(同一の文字の大量複製)といったところをクリアして産業革命あたりまで来ているのかもしれない。産業革命によって人類は石炭と蒸気の力で地球上の至る所に移動したりものを運んだりできるようになった。地表のほぼ全てが人工空間になったのである。

スマホとモバイルインターネットは蒸気機関車と蒸気船に似ている。ひとはデジタル人工空間の中を至る所自在に力強く動き回れるようになりつつある。

* * *

こうなると最後は未来予想で締めたいところである。

蒸気機関車と蒸気船の後に起こったことといえば、限られた地表の土地と資源を奪い合い囲い込む暴力の爆発である。

そしてその後には地上の現物の増殖や拡大を前提としない情報だけの増殖・記号の増殖、意味と価値の増殖を寿ぐ時代に入っていく。

(この話については見田宗介氏の『現代社会の理論』をご参考にどうぞ)

そしてまさに今、この情報・記号・意味・価値が、単一の固まったものではなく、複数の動的なプロセスへと転換しようと蠢き始めている。

そうなるとスマホとモバイルインターネットの「次」は、情報と非情報との分節システムをダイナミックに複数化すること、記号と非記号の区別を動かし複数化すること、意味と無意味、価値と無価値の区別を動かし、複数化し、重ね合わせることに向かうことだろう。

もともと工業高等専門学校でコンピュータの勉強をし、大学も理工系でうろうろしていた私のような者が井筒俊彦氏の意味分節理論レヴィ=ストロース氏の神話論理や昨今の人類学の思考やテトラレンマの論理に強い関心を抱いているのは、それらが情報と非情報、意味と無意味の分節システムを動的に複数に多重にするアルゴリズムであると思うからである。

固定した単一のコードではなく、構造を発生させ続ける生きた分節システム。

そのアルゴリズムをAIのようなものでシミュレーションできるようになるならば、それと付かず離れずに結びついた人類は・人類の言語は・人類のアーラヤ識は、多重の夢(その中のひとつがリアルである)を複数同時に目醒めながら生きることができるようになる(かもしれない)。そこでようやく人類は、せっかくのシンボルの力をインデックスの偽物に圧縮しながらでないと生きることができなかった状態から解放される可能性がある。

そうして人間を動物の一種に切り詰める一義的にコード化された人工空間から、野生とも人工ともつかない生きた人間そのものが姿を表すのである。まるで公園の雉のようなハイブリッドな何か。

これがいい意味での妄語というやつである。

というわけで、長くなりすぎないよう今日はこのあたりで失礼します。

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