「古代史の謎」に挑むー見えないものを見えるようにする観測装置としての「理論」の力
今回読んだのは、小学館の全集「日本の歴史」の第一巻、松木武彦著『旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記』(2007)である。切れ味のよい理論で軽快に記述を折り重ねていくところがおもしろい。
歴史を記述することは、見えないものを見えるようにすることでもある。
歴史を記述するためのコトバとその理論は、いわば精密な観測装置、測定装置のようなものである。
自分で自分を再発見
電気電子の勉強を齧り始めた学生の頃、おもしろい経験をした。とある測定器を測定中モードにしたまま、測定対象の電子回路を取り外したことがある。何も測定していないのだから、測定器の画面にもなにも映らなくなるはず…である。
しかし、なんと、画面になにかの波形が映っているのである。
一体何を測っているのだろう?? もしや宇宙の彼方からの謎のデンパを…などと妄想しかけた瞬間、測定器を壊してしまったのかも!!と我に返った。
私は何も、壊すような事をした覚えはない。
おかしな言いがかりをつけられる前に、いそいで教官に報告である。
「変な波形が出ています」
と、教官は一切動じる様子もなく、あっさりと、私が予想もしなかった答えを返してきた。
これは測定器内部のノイズのパターンだろう、というのである。
測定器が自分で自分を測定していたとは。
当時、一台数十万円すると言われた測定器が、そういうことをしているということ、それがごく自然なふつうのコトだということ。印象に残る体験だった。
見えないものを見えるようにする。ある視点から。
さらに後から知ったのだが、概念や理論にも、そういうことがある。自分で自分を再発見してしまうという部分。
乱暴に言えば、「こうなんじゃないか」と思って観察するがゆえに、その「こうなんじゃないか」に適合する部分だけが特に目に止まり、ほら、やはり、こういう現象が実際に観察されるんだよ、と結論づけてしまう、というような。
ではそれなら、測定器も概念や理論も、ものごとの認識を曇らせる色眼鏡であって、あてにならない、ニセモノを作り出すなにかだということになるのだろうか…? などと早合点してはいけない。
測定器も概念も、そもそも、そのままでは見えないなにかを見えるものに置き換えようとする、そのための道具なのである。
あるいは人間の脳や、意識、あるいは言語も、この測定器や概念のようなものである。人間という種が進化してきた過程で、特定の見え方で世界を見るような神経系や、言語の体系が出来上がった。だから人間は蟻が見ているような世界は見ないし、蚤が感じているような世界は感じない。しかしそのことは人間というシステムの欠陥でもなんでもないのである。人間には、人間なりのやり方で、世界が見えている、ということ。
なにかが見えるということは、それを観測する観測システムの内部に、なんらかのパターンが生成するということである。そのパターンが、見えるべき外部の対象それ自体のパターンと「完全一致」しているとは限らないし、完全一致している必要もないのである。あるパターンを別のパターンに、一定のパターンで置き換えること。これが観測であり、その解釈である。
人間がおもしろいのは、自分で自分を観察できることである。人間は、自分自身が動くパターンを意識することもできる。これを「反省」と呼ぶのだろう。この反省にとって、言語は、特に文字は、自分の思考を外部化して、観察できるようにするという、驚異的な道具である。反省すべき対象として、自己をコトバで構築できるのだから。
いや、そうなると、コトバで構築された自己は、それを構築しようとしている自己とは、関係あるのだろうか…?! とこの問題はまた別のところで。
古代がおもしろいのはわからないから
さて、前置きが長く、何の話だかわからなくなってしまった。
古代史の本を読んだ話である。
旧石器から、縄文、弥生、古墳時代。こうして並べるとたった四つの名前であるが、その時間の厚みには凄まじいものがある。日本列島に旧石器時代の人が暮らした確実な証拠はいまから約四万年前にまで遡る。そして縄文時代の始まりは、今から約一万五千年前。
徳川家康が江戸に幕府を開いたのはおよそ今から400年前であるが、家康から現在までの時間を10回繰り返してもたかがか4000年。四万年分を稼ごうとおもえば家康から現在までを、100回繰り返してようやくである。
旧石器時代というひとつの名前で呼ばれると、なにやらそういうひとかたまりのものがあって、そこに「旧石器人」という単一のひとの姿をイメージしてしまいがちである。しかし、そこには幾世代ものたくさんの、ひとりひとりの親から子への交代が折り重なっている。そのひとりひとりの人々の日々の生きた痕跡のうち、ほんとうにごくわずかな断片が現在にまで残り、発見され、現在を生きる私達が過去の「私たち」について思考し、その暮らしや考えを再構成する手がかりとなる。
旧石器から、縄文、弥生、古墳時代へ至る本書は、とにかく「長い」あいだの話をしているのである。
眺めるための視点
これだけのスパンを一冊の本に編む。その導きとなるのは「視点」である。
本書では、旧石器から古墳に至る日本列島の歴史を、人類すなわちホモ・サピエンスの生命システムの動き方のパターンが、列島の自然環境という制約の中でどう展開したのか、という観点から貫いて観測する。
ホモ・サピエンスがパターンを生み出す基本的なパターン。
それを松木氏は「架空の存在を頭の中に生み出す」抽象的思考と、「何かの形状を、類似する別物になぞらえる」アナロジーの能力を挙げる(p.30)。松木氏は次のように記す。
日本の古墳時代へ至る社会形成を説くのに、なぜ進化や脳の話がでてくるのか、という人がいるかもしれない。たしかに、旧石器・縄文時代はさておき、弥生時代から古墳時代への歴史叙述は、ヒトの進化や認知の研究とほとんど接点をもってこなかった。しかし、古墳時代こそ、神のような架空の存在や力を信じて巨大古墳築造という大土木作業に血道を上げ、美がいざなう鏡や玉に熱中し、それらの物質文化が人びとの間の関係や社会をつくるのにもっとも大きな力を発揮したときである。p.21
例えば、遺された集落の構造や、人工物の形態には、時間と場所を越えた類似性をみることができる。
たくさんのひとりひとりの生きた人びとは、ゼロから行き当たりばったりの思いつきで孤独に環境に対応してきたわけではなく、親なり、他の大人なり、あるいは余所からやってきた何者かなり、誰かしら他人から「こうするものなんだよ」と教えられたパターンを受け継いで、その型を繰り返すことで、環境のパターンとうまい具合に折り合いをつけてきたのである。
もちろん、自然環境の激変やヒトが利用できる技術の変化によって、それまで合理的だったパターンが通用しなくなり、いつしか失われ、あるいは別のパターンに変容することもある。
本書でも書かれているように、大型の狩猟対象動物が消滅し狩猟採集民が大勢集まって協働する機会が減ると、キャンプの形状のパターンが変化したという。
古墳時代の終わりになにがあったのか?
そして本書は、古墳時代で終わる。
「縄文」対「弥生」といった観点ならば、旧石器と縄文でひとまとまり、水田稲作が始まった弥生から古墳でひとまとまり、としたくなるところだが、あえて旧石器から古墳をひとつの連続として読む。
では、古墳時代の終わりには、一体なにが終わったのか?
古墳時代とともに終わったのは「非文字」の世界である。
文字を読み書きする技術が普及するにつれて、書かれた文字たちで作られたバーチャルなシステムが圧倒的に存在するようになった。
支配者は誰で、その祖先がどういう偉業をなしたのか?
それを記録する技術として、巨大な古墳ではなく、文字に書いておくということが使えるようになった。
もちろん、古墳時代末期に文字を書いたり読んだりできたのは、列島住民のごくごく一部、権力の中枢の人びとだけだったろう。しかし、権威の源泉としてはそれで十分なのである。権力の中枢の人びとは「神聖な」文字で書かれた情報にアクセスすることができる。
文字という、全く謎めいた奇妙なものを自在に読み上げ、その朗唱にあわせて儀礼を演じることができる支配層こそ、まさに権威を具現化するものに見えただろう。
以後、権威を保存し可視化する技術として古墳という構築物が利用されなくなった。
パターンを生み出すパターンの変容
書かれた文字というシステム。それが日本列島の社会に与えた影響は圧倒的だった。そのインパクトは現在にまで響いている。
生命システムとしての人体がもつ、身体や脳の動きのパターン。
自然環境、気候のパターンや動物の移動のパターン、そして植物の生育と分布のパターン、あるいは鉱物資源のパターン。
人間と自然環境との間に生み出された人工物の形状のパターン。
そしてコトバのパターンや、思考のパターン。
これらのパターンは常に動的に再生産されており、変化へと開かれている。そしてあるパターンは、他のパターンの再生産の条件となっている。いずれかのパターンの変容は、他のパターンの変容を引き起こす。
古代の異物のパターンを、それが創発する前提となるパターンを踏まえて考えるというアプローチ、とても読み応えがあった。
こういう考えは、最近の人類学の理論、思想とも近いものがあり、ますます興味深い。というわけで、次はこちら『森は考える』を読んでいる。
『食人の形而上学』や『ソウル・ハンターズ』、そしてなにより情報学の理論と絡めて、整理してみたいところである。
つづく
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 いただいたサポートは、次なる読書のため、文献の購入にあてさせていただきます。