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来たるべきAI(人工知能)は個人を超えて集合的無意識を共鳴させる「声」を響かせるか?―あるいは神的な存在の「声」のカスタム生産技術へ

無意識の発見

人間の「意識」の下に広大深淵な「無意識」が広がっているということ。

これを「発見」あるいは再発見したことは、19世紀末から20世紀にかけての人類の大きな功績である。

そしてこの無意識ということとどう向き合うか、ということが20世紀を通じて大きな問題として立てられるようになったのである。

一人ひとりの覚めた人間が(理性的で意識的、理路整然と考えることもできる人間が)、自分自身の無意識と向かい合い、対決するために、どのようにすればよいのか。そのために確立された方法はまだない。

もちろん、いろいろな方法は考えられているし、試されている。しかし、日々を忙しく生きている個々人は、日常ほとんど「無意識」ということを忘れて、無意識のことを考えずに、意識だけの世界で生きているつもりになることができる。

意識にとっての世界と、無意識にとっての世界

私たちは理路整然と「理屈」を語ることもできるし、他の人が理路整然としゃべる言葉を聞いて、その意味する所を、喋り手の意図と同じように理解すること「も」できる。

意識的な世界では、あらゆる物事はだれにとっても同じように存在しているように感じることができるし、そうした物事を呼んだり名付けたりする言葉の意味も、他人と正確に共有できるように感じられる。

世界そのものが、どこまでも均質で透明な媒体、そこで意味が変化すること無く同一性を保ったまま伝わることができる媒体であるかのように感じられる

しかしそれは、人間にとって現象する世界の、あくまでも「ひとつの側面」である。

人間にとって世界は「言語以前」の局面で、すでに現象している。

言葉で意識的に説明したり理屈をつけたりする以前に、周囲の異変を瞬間的に感じ取り、例えば例えば身体を緊張させて動きを止めたり、呼吸を抑制させたりする、神経のレベルで現象する世界もある。

感覚に直結して、全身を緊張させたり、注意を集中させたりする神経の働き。

そして、その神経のネットワークの先にある「脳」による無意識の意味作用。それに対して意識とは膨大な感覚、無意識の処理を、遠くから眺めているだけのもの、無意識の付随機能にすぎないのかもしれない。

無意識は復権した。が…

フロイトの精神分析から最近の脳の研究まで、意識以前の信号処理についての知識を得た私たちは、自分自身が無自覚に作動する生命システム、身体システム、神経システムの上に浮かぶ小さな波紋のようなものだという認識をもつことができるようになった。

とはいえ、日々この意識以前の生身の何かと対決していく作業は、依然として私たちひとりひとりのおぼつかない意識に任されている。

私たちは意識以前の生体から湧き上がる様々なイメージや、観念、感情に突き動かされ、引き回され、息苦しくなったり、高揚したり、平たく言えばわけの分からない時間を過ごしている。

無意識を飼いならす?

「無意識」から好き勝手に浮かび上がり、私たちを惑わせるモノたち、その代表は「感情」と呼ばれるものであるが、それとの付き合い方を、意識に対して指南するようなハウ・ツー本も相変わらず溢れている。

高尚な宗教のテキストから、真っ当なビジネス書として受け入れられているもの、あるいは眉唾ものの呪術本まで様々であるが、湧き上がる感情をコントロール方法を教えるテキストには事欠かない。

意識的に言葉を使って湧き上がる感情をなだめてみたり、無意識の蠢きに「名前」を与えて調教したり、呼吸や姿勢、身体運動を通じて感情を落ち着かせてみたり、様々である。

神経系、脳の無意識的な過程に働きかける薬物も溢れている。神経伝達物質の量を制御しようという薬は身近なものだ。あるいは非合法な薬物もまた、人類の文明と理性の進歩に従って消えていくどころか依然として世界に溢れ、ますます進化さえ遂げているようである。

そうした薬物はどこか「空恐ろしい」と考えられているが、その理由は薬物に頼ることが「意識の力で」無意識を制御しようという試みを放棄しているように見えるからであろう。意識的な操作を放棄した時点で、近代の理性的な人間の条件に反している、ということなのだろうか。このあたりの話はユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』の下巻で詳しく論じられている。

私たちは法的に成人した途端「自分の責任において」薬を飲んだり、信じられそうな他人の言葉に縋ったりしているわけである。

しゃべるAIの可能性/危険性

そんな時代に「しゃべるAI」が登場しようとしている。

今のところAIは、ニュースの記事を書いたり、弁護士のために適切な判例を探してきたり、医師の診断を支援したり、就活中の学生を篩いにかけたりと、理性的で意識的な仕事の場面で役に立とうとしているわけであるがこれが「無意識を飼い慣らす」ための仕組みに利用されるようになるのは時間の問題だろう。

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