「暗黒時代」は誰にとっての「暗黒」時代か―ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史』を読む(1)
ジェームズ・C・スコット著『反穀物の人類史 〜国家誕生のディープヒストリー』を読む。
「穀物」と「国家」から人類史を論じる一冊である。
[国家] 対 [反-国家]
[穀物] 対 [反-穀物]
今日の私たちは、「国家」の存在も、「穀物」の存在も、当たり前だと思って生きている。
「日本人なら朝ごはんはお米だわ」
などと、さも当然のように言えるところまで来ている。
ところが、穀物はもちろん、国家も、人類の歴史の中で見れば、最近登場した新しいアクターである。国家も穀物もない頃から、人類は私たちと同じような人類だったのである。
『反穀物の人類史』は穀物も国家も持たなかった人類が、穀物をもち、そして国家をもつようになる歴史を描き出す。
人は、国家よりも、穀物よりも古い
その歴史は、”食べるものに困っていた貧しい原始人が穀物を手に入れてお腹いっぱいになってよかった”という話ではなく、”隣の部族の襲撃に怯えながら森の中をさまよっていた原始人が、国家の秩序に守ってもらえるようになってハッピーだった”という話でもない。
古代の人類は、あろうことか(?!)穀物も国家も、ストレートに受け入れたわけではなかったのである。古代の人々のうち、様々な人々が、様々なところで、穀物を育てて暮らすという生活様式に反対し、国家という秩序に反発し、そこから逃れようとしてきたのである。その様子を垣間見ることができるのが、この『反穀物の人類史』である。
私たち人類の祖先がアフリカを出て、アジアへ、オセアニアへ、南北アメリカへと移動をし始めたのが7万年〜5万年ほど前だと考えられている。
その頃には、まだ農耕は始まっていない。
つまり小麦やお米といった穀物を栽培するという生活様式はない。
その頃には、「国家」もまた、まだない。
アフリカから出て旅を初めた人々は少人数の狩猟採集民のグループであり、どこかの”国家の中央政府からの指令を受けて動いた”わけではない。
そして、驚いたことに、その後の数万年間、同じ状態が続くのである。
人類(のある一部のグループ)が穀物の栽培に大きく依存した生活を始めたのは、およそ1万2千年前である。
さらに国家と呼べるような、時空間を超えて統一的に意味をコードする空間が実現されたのは、更にそれから数千年下ったのちである。
人類の国家に必要なもの
国家のはじまる前提には、どのようなことが必要なのだろうか?
『反穀物の人類史』のジェームズ・C・スコット氏は次のように論じる。
複雑な人工物である国家というものが、どのように始まったのか?
その経緯は単純化できないが、大きく寄与したものは次の二つである。
(1)農耕牧畜
…特に長期間の保存が効き持ち運びが比較的容易な穀物の大量生産
(2)誰がいついくらの穀物を作り神殿に納めたのかを記録する技術
長期間保存でき運べる食用植物が存在すること。そしてその食物を、誰が、いつ、どのくらい作り、神殿に収めたのかを記録できること。
穀物は「集中的な生産、税額査定、収奪、地籍調査、保存、配給のすべてに適したもの」であるとスコットは書く(P.20)。
一方で、「塊茎が地中で育つ」作物、つまり芋のようなものは、どこにどれだけ育っているのか査定することも難しく、収穫せずに地中で育つママにしておけば「そんなものはうちにはありません」と隠しておくことも容易である、という。それでいて、一度掘り出してしまうと、すぐに食べないと傷んでしまう。長距離を運んだり、長期間保存したりするのは容易ではない。
穀物は、バナナや山芋、青菜に比べると、圧倒的に保存がしやすいのである。
国家は、領域に暮らす住民に対し、芋よりも穀物を栽培することを求める傾向にあるという。
国家がある土地は「課税可能な穀物を栽培する、見た目にわかりやすい、整然とした、ほぼ画一的な景観」が広がることになるという。
注意したいのは、農耕牧畜が始まったからといって、自動的に即時に、国家が生じるわけではないということである。
レヴァント地方で農耕牧畜が始まったのはどうやら今から1万2千年ほど前。
そしてメソポタミア地方に最初の国家が生まれたのは紀元前3100年頃である。
穀物を中心とする農耕を初めてから、4000年以上を経て、ようやく国家ができる。
日本の場合
ところで日本では、九州北部の一部地域で稲作農耕が開始されてから「わずか」数百年〜1千年くらいで国家が始まるわけであるが、これは大陸と朝鮮半島の方に先に「国家」が出来てしまっていたからである。
紀元前1000年頃、九州北部に最初の稲作農耕集落が作られた時代といえば、中国では殷が滅び周が興ったころである。
それから周の混乱と春秋戦国時代を経て始皇帝の秦、そして漢が興るころには、大陸と朝鮮半島の北部は、すでに「国家」的な世界になっていた。
ちょうどこのころ、ヤマト王権の担い手に直結すると思われる様々な稲作農耕民の部族が日本列島に渡来したらしいが、ことによると彼らは、最初から大陸や朝鮮半島で「国家的なもの」を経験していた可能性もある。さらに国家的な「秩序」を信仰する、周の時代の道教の元型のようなものさえ、知識として知っていたかもしれない(弥生時代を象徴する「銅鐸」の形状も周の礼器を参考にしているという説もある)
特に列島に渡来した人々は「片道切符」で二度と故郷を振り返らなかったわけではない。むしろ、日常的に朝鮮半島や大陸と往来していたというのが実際のところらしい。そして交易品の中心は、鉄や貴重な青銅器だったという。
日常的に大陸方面と「交易」をする上で困るのは、大陸側が「国家と国家のつきあい」を要求してくることである。国家と国家の付き合いの鍵になるのは、周の時代に驚異的にまで整えられ、文書化された儀礼の体系である。
日本列島の稲作農耕民の側も「国家」としての形を整えておいたほうが、交易のためにも何かとスムーズだろう、という切迫した状況があったと考えられる。
とはいえ、迷うことはない。すでにモデルがあるのである。大陸の方には文書に書かれた国家のモデルが定められている。それを読み、書かれた理念的な国家のモデルに従って、形を整えればよいのである。
国家にとっての暗黒時代
さて、メソポタミアに戻ろう。
メソポタミアで最初の国家が始まった。
といっても、ある日突然完成された形態で登場し、その後ずっと強力に安定して存在し続けた、ということではない。
『反穀物の人類史』のジェームズ・C・スコット氏は、国家の側が記録した資料には多くの「暗黒時代」の記述があることに注目する。
国家にとっての暗黒時代、国家の中枢にあり、文字記録をつけることができた神官たちにとっての、最悪の「暗黒」。それは国家が崩壊し、王がいなくなり、人々がばらばらになる。国家の側からすれば、これはとんでもない「暗黒時代」である。
最初期の国家は芽生えては消え、また別の所で芽生えては、いっときの命脈を保った後に消える。そうしたことを繰り返していたというのである。
住民にとっての「暗黒」時代
ここでスコットは逆の立ち場から考えてみるのである。
国家が消えていた時期、国家の中核の神官や書記官からみれば「暗黒時代」と称される時期であるが、その土地に生きた一般の住民にとっても、「人生お先真っ暗」の時代だったのか?と問うてみるのである。
スコットが注目するのは「暗黒」として記録された時代の遺跡にみられる農耕生活と狩猟採集生活、ふたつの暮らし方の平行である。
当時、農耕地帯の周囲には狩猟採集民が暮らす広大な土地が広がっており、中には狩猟採集だけで支えられた定住集落もあった。
狩猟採集だけで成り立つ、農耕をしなくてもよい「定住」集落、というと驚かれるかもしれないが、それはつまり「野生種の穀物を数週間かけて集めれば、それだけで家族が一年暮らせる」といった、働かずとも「豊か」な狩猟採集生活もありえるということである。
狩猟採集民を、一律に単純に、貧しく、路頭に迷った人たちというふうにイメージしないほうが良さそうである。
国家成立以前には、すでに人びとは、環境の変化に応じて、移動性の狩猟採集生活と、定住性の狩猟採集生活、そして農耕牧畜生活の間を、行ったり来たりしていたのである。
国家の外に広がる狩猟採集=交易民のフィールド
国家の支配が及ぶ領土の周囲に、そういう狩猟採集民の世界がある。
しかも国家の内部の農耕民は、実はその外部の狩猟採集民と日常的に交易をしていたのである。
移動性に富む狩猟採集民は交易の担い手として、時に国家の中枢、王にとってさえ不可欠な資源を遠方からもたらす取引相手だったのである。
そのような外部と日常的に接していることで「人びとは、国家の空間を出入りして生業形態を切りけることができた」のである(P.13)。
国家の支配下に入ることでより食べ物を得やすいとなれば国家の支配下に入り、その命令に従えばよいし、逆に国家の下に居ても餓死しそうだとなれば、狩猟採集の領域へ出ていけば良い、という具合である。
これは、地表の全てがなんらかの国家に属し、国家がひしめき合っている今日の世界の政治秩序のイメージとは、随分異なるものである。
なにより、初期の国家は現在の国家とは比べ物にならないほど「弱かった」のである。
国家が何に一番弱かったか?
それについてスコットは「初期国家の脆弱性の大きな要因は病気だった」と書く(P.15)。
そう、疫病の流行である。
つづく
関連note
ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』によれば「国家」もまた、人類が「認知革命」を経て手に入れた「虚構」の力、虚構を共有し協力を可能にする力の産物である。
弥生時代の日本の歴史についてはこちら、藤尾慎一郎先生の『弥生時代の歴史』がおもしろい。
定住し、農耕を営みながらも「機動的」だったインドヨーロッパ語族。こちら『交雑する人類』は、そのインドヨーロッパ語族の成立をめぐるお話がある。
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